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ら・ねーじゅ No.248
1996.7月号


室堂から松尾谷  酒井 正裕          
 ’96.4.27〜28    計1名                 


 立山カルデラの常願寺川源流は大規模な砂防工事で有名であり、無雪期には工事関係者だけの世界となるが、山の奥深さから積雪期には人跡未踏の地となり、その状況を知る人は殆どいない。

 遥か昔は、立山温泉が営業しザラ峠に通ずる登山道もあり、多くの人で賑わっていたらしいが、今では夢物語となってしまっている。

 かねてから、一度訪れて見たいと思っていたが、この山行で願いがかなった。ただ、残念なことは、立山温泉の露天風呂脇で一泊することができなかったことである。

4/27(土) 室堂から松尾谷、立山温泉へ
 3月の雪崩に遭った後遺症から、まだ山への自信もなく、何をするにも集中力に欠けた状態が続いていた。また、日頃からの運動不足と雪崩の件がもとで飲み始めた煙草の本数も最近は多くなり、全く歩く自信が無くなっていた。心の中は不安で一杯だったが、しかし、この不安を取り除くためにはやはり山に登るしかなかった。
 また、今回も連れがなく一人となってしまった。いくら変わったルートといっても、連れがいないのは淋しいし、雪崩に対しては全く無防備となり、できれば避けたかった。

 26日夜の急行能登に乗り、早朝に富山に着き、立山駅に向かう。今年は雪が多いと聞いており、一体どの程度だろうかと心配していたが、車窓から見た立山連峰は思った以上に低いところまで根雪があり、ゴールデンウィーク時においては、少なくとも今迄私が体験したことがない程の残雪量の多さだった。

 山々の木々も芽吹いていなかった。

 今日は、日帰りの予定でいたが、アルペンルートの混雑待ちと雪が予想以上に多かったことから、日帰りでは殆ど不可能だと思い、家には今日帰らないことになるだろうという旨、実家に連絡した。幸いにして天気に恵まれそうであるが、雪は例年の状態ではなく、それを考えると心配だった・・・・。

 室堂から、室堂山方面へ向かうトレースをたどる。標高2600m付近からこれを離れ、トラバースして室堂山と国見岳のコルに着く。

 シーズン中の立山は多くのスキーヤーで賑わっており、この付近でも、国見だけに登り弥陀ケ原方面に滑るパーティに出会う。

 ここから、スキー滑降に移るが、この300m下部は台地状となっており、国見谷と松尾谷を分ける地点となっている。

 ここは、国見岳の岩壁基部を雪崩に注意してトラバース気味に滑ったが、雪が悪く、悪戦苦闘した。普段ならアッという間に滑ってしまうのに今日は勝手がまるで違っていた。

 ふと気がつくと、転びまくって難渋している私を一頭のカモシカが頭上高く冷ややかな目で見守っている。

 松尾谷の滑り出しは、国見岳から松尾谷に延びている尾根からであるが、かなりの急斜面であり、雪の状況を確かめつつ滑り出しの地点を捜した。

 松尾谷は上部は急斜面であるものの、斜面は広いので快適な滑りが楽しめると思われたが、やはり悪雪のため本当にスキーの滑りらしくなったのは、松尾谷の下部の緩斜面になってからだった。やがて、谷の右岸側にルートをとり、堰堤を左に見て松尾谷下部の台地に滑り込む。

 ここは樺の台地であり、今まで滑ってきた松尾谷の眺めがよい。スキーを着けたままで歩きを交えながら磁石を頼りに湯川谷に懸かる大きな砂防堰堤を目指して台地末端に滑り込む。

 眼下には泥鰌池が見えるが、ここから湯川谷本流までは急斜面のため雪が付きにくく、通常の年であれば薮こぎとなるだろう。状態によっては、ザイルがあった方がよいかもしれない。雪が多いので、ここは雪をなんとかひろいながら下降したが、それでも僅かではあるが薮漕ぎとなった。毎度のことながら、スキーを担いだ薮漕ぎは嫌である。

 ここを苦労して下降すると、泥鰌池のある台地に出る。泥鰌池は雪に埋もれていなかったので大変不思議に思った。

 湯川谷は、スノーブリッジを見つけて渡ることができた。

 ここを渡りきり、砂防工事用の作業道に出ると、ここも広い台地となっている。作業道に沿ってつけられた電柱をたよりにしばらく進むと、湯川谷に注ぐ小さな沢を入れるのでこの沢を越えたらすぐに湯川谷に下降する。

 ここは、地図には道の記号があり、これにほぼ沿って立山温泉まで進むこととなるが、雪が少ないと下降点が判り辛いかもしれない。

 ここを下り、湯川谷左岸を縫うように進むと、立山温泉についた。気がついて見ると、今迄転ぶに転んだために、娘から借りた時計に水が入り、狂ってしまっていた。

 また、楽しみにしていた立山温泉の露天風呂(工事関係者用)は、地図に出ている大きな橋の袂と思われ、トタンの小屋があったが、雪で覆われて入浴できなかった。

 このことは大変残念であったが、心中はそのようなことに構っていられるほど余裕はなかった。というのは、温泉先にある軌道用のトンネルの入り口が雪に完全に埋もれているように見えたからだった。ここが埋もれているようだと、最悪の場合はもと来たところを登り返す以外に下山する方法はないからであった。このトンネルを通過することは殆ど不可能なように思えたが、とにかく傍まで行ってみることにした。

 幸いにして、なんとか通行できることがわかりほっとしたが、軌道をたどって立山駅に出るのは、余りにも雪崩の危険性が高すぎて諦めざるを得なかった。

 時間もかなり経っていると思われたので、この先の水谷随道の中でビバークすることに決める。ビバーク中に随道が雪崩で埋もれてしまうことも想定されたので、出口の状態を確認してからビバークとする。出口では、またカモシカとばったり出会い、お互いにびっくりする場面もあった。また、ビバークした場所には、四角い箱のようなものがあり物置に使ったが、よく見ると簡易トイレだった。

 奇麗だったので、気にせずにその脇で寝ることにした。

4/28(日) 立山温泉から弥陀ケ原
 早朝、いろいろ考えたが、ここから弥陀ケ原に向けて尾根を登ることとした。少しきついが、これが最も安全で確実なルートだと思った。また、立山カルデラから弥陀ケ原に登れる尾根は、恐らくこれが唯一だろう。

 この尾根は特に危険な個所はないが、標高1300から1400m付近は、稜線上にブッシュが出ており、稜線をはずして左側を歩いた。

 通常の年であれば薮漕ぎがひどく、ルートに採るにはかなりの覚悟が必要であると思われ、一般的ではないと思われる。

 かなりの時間をかけ、やっとの思いで弥陀ケ原に着くと、そこは一面雪の原だった。バスの音が聞こえ、やっと人のいるところへ帰ったことを実感した。正面に大日岳を見ながら追分に向かう。視界が悪ければ、目標物に乏しいため、平衡感覚さえも怪しくなると思われるが、今はのんびりスキーで歩くことができる。

 この山行は予想以上に手間取ったが、このことによっていつの間にか山に対する自信を取り戻しつつある自分に気付いていた。


コースタイム

平成8年4月27日(晴れ)
室堂(10:00)−>室堂山と国見谷のコル(10:40)−>松尾谷−立山温泉−水谷随道(時間不詳)

4月28日(快晴)
水谷随道−弥陀ケ原(追分)(11:00)

【概念図】


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