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ら・ねーじゅ No.251
1996.11月号


天候不順のスイス                   
                     白沢光代      
96/8/9(金)〜17(土)                  


 アトラストレックのマッタ−ホルン登頂ツア−(6名)に参加する小林由利子さんについてツェルマットに行った。私の予定はクライネンマッタ−ホルンからブライトホルンの裾を巻きカスツ−ルを越えイタリア側のクインチノ・セラ小屋に泊り、リスカムを越え、4556mのマルゲリ−タ小屋に泊まりモンテロ−ザ小屋へ降りる、2泊3日の縦走であった。問題は二つ。ツェルマットに入った翌日から4000mの縦走が出来るのか、リスカムからリスヨッホへのシャ−プな尾根が下れるか。二つ目の問題は駄目だったら、リスカムからモンテロ−ザ小屋に下ろうと考えていた。

 10日(土)晴
 ツェルマットに近付くとブライトホルンが見えマッタ−ホルンも車窓から一瞬見えた。この日アタックした人は登れたようだ。(後日ガイド組合の前で会った日本人の若い男性は10日も待ったと話してくれた。連日雷の予報で登れなかったそうだ。)明日の天気予報は山は雪で街は晴れ。マッタ−ホルン組はブライトホルンへ高度順化に行く予定だが、多分駄目とのガイド組合の予想であった。

 11日(日)晴後時々雪
 起きたら東壁にうっすらと雪を付けたマッタ−ホルンがしっかり見えた。話は一転し出かける事になった。6人のブライトホルン組にガイドが二人私に一人。来たガイドは全員カナダ人だった。カ−ルとダンとブライアン。現地係の杉浦さんが「天気が悪いとタクシ−とリフト使って帰ることになるけどいいか」とガイドが聞いているという。タクシ−?何故と思うけど行きたいのでOKという。

 私のガイドは一番小柄なブライアン。片耳にピアス、後ろにシュリンゲ程のおさげが下がっていてとても見分け易い。

 クライネンマッタ−ホルンに着くと早くも強風が吹き荒れガスも出て、やはり悪天だった。ブライアンはズボンを撮み「bad weather wait」と言ってどこかへ行った。タイツを穿きに行ったらしい。

 ザイルを付けられ歩き始めた時は濃いガスの中だった。雪原にはしっかりトレ−スがある。ブライトホルンの頂上へのル−トと別れる辺りで突然晴れた。前から来た日本人がブライアンに写真を撮ってくれと頼んでいる。私も撮りたいのをがまんしてたのに!。いそいでカメラをザックからウェストポ−チに移す。

 突然振り返ったブライアンがパスポ−トとマネ−は持っているかと聞く。出発2日前に旅行社から電話があり、「小屋代は自分で払って欲しい。すでに払った代金は返すから」といわれ3泊分として600スイスフランを用意していた。

 戻ってくる疲れた雰囲気の2パ−ティとすれちがった。追い付いた先行パ−ティは、ブライアンから15分下れば小屋が在ると聞きトレ−スの分岐で下り始めた。我々も数枚写真を撮ってから下る。天候さらに悪化しアラレが降り始めた。

 氷河に突き出した岩場に立つ丸い屋根の小屋が見えた。三省堂で買ったイタリア製の地図 Cervino Monte Rosa によると Guide Val d’Ayas小屋だ。食堂と4人部屋が10くらいと水洗トイレがあった。1991年建設。綺麗な小屋だけどちょっと雨漏りしてた。イタリアの小屋なので受け付けでパスポ−トが必用だった。部屋には2段ベットが二つで、下段は座ると頭がつかえる。マットと毛布2枚と枕がおいてあった。

 外でパイプ煙草を吸っていたブライアンが「イタリア側からマツタ−ホルンに吹く強風がある時は天気は悪い。」という。小屋の右側はガスが巻いて悪天を予想させていた。「明日悪天だったらここから10km下って、タクシ−でスキ−場まで行き、ゴンドラでツェルマットに戻る。 晴れたらクインチノ・セラに行く。」という。ガイド組合の予想と観天望気で晴れるとは思っていない?。彼はイタリア製の5万図モンテロ−ザ付近のコ−ティングしたのを持っていた。衿に大きくCMHと書かれた黄色のヤッケを着ていて、ゴシックスのガイドだという。カ−ルもCMHのガイドだそうだ。

 夕食はス−プかパスタにステ−キと豆デザ−トにフル−ツの缶詰。宿泊者は20名程。全身用のハ−ネスを付けたクライマ−が少々。ガイドは彼だけかもしれない。彼に小屋を教えられた英語を話す2人とその知り合いの計6人で食べる。マッタ−ホルンのガイド料はいくらか(700フラン)とかマルゲリ−タ小屋の宿泊料はいくらかとしきりに聞いている。 この小屋はガイドと二人で2食付き106スイスフランだった。リラで計算し電卓で換算し釣りもスイスフランでくれた。

 12日(月)晴れ時々曇り
 5時起床。ブライアンの時計がピ−ピ−鳴った。外に出てみると、谷に向かって左は星が出ているが、右はガスに包まれている。ブライアンが昨日と同じと言う。1cm程雪が積もっている。ザイルにつながれて雪を被ったガレ場を下る。氷河を下るとザイルを外してくれたので花の写真を撮りながら行く。カナダにも似た花が在るという。日本にもある。8月半ばなのにかなり咲いている。ガレ場を少し行くと休業中の小屋があった。

 下り続けると牧場に出た。古ぼけた石の小屋から牛の声がする。車道に出た。下り続けるとリゾ−ト地に出た。3時間近く歩いている。はじめに見つけたレストランにここで良いと言ってしまう。中に入っていったブライアンがタクシ−がを頼んでくれた。しばらくして姿が見えないので探すと、裏で白いシャツの運転手らしい男性とフランス語で交渉していた。ブライアンが地面に100と書いた。100スイスフランは安かった?。彼のマイカ−とおぼしき2ドアの車で約1時間半。Sint Jacqesからチェルヴィニア迄いくつかの街を越えて走った。そしてプラト−・ロ−ザまでゴンドラに乗った。雨が降ってきた。ゴンドラの中でブライアンがハ−ネスを付けた。見下ろすとはささやかなハイキングコ−スが付いている。しかしリフトが縦横にかかるので風情は無い。ブライアンはbig resortとつぶやく。プラト−・ロ−ザにはスキ−ヤ−が大勢居た。何人かはサンドイッチをほうばっていた。ザラメ雪の上に新雪が5cm程あり、ここでのスキ−は今日は楽しいかもと思う。

 ザイルにつながれ約1時間スキ−場を歩く。ガスで遠くは見えない。ブライアンは1度磁石方向を確認した。クライネンマッタ−ホルへのゴンドラ二つ目駅のTrockener steg付近はかき氷の様な雪だった。1:30だった。ブライアンがやっとレストランに入ろうと言ってくれた。ここの海老と何か(緑の野菜)のクリ−ムソ−スというスパゲッティはおいしかった。21フランもしたけど。スイスに戻ると、ガイドはゴンドラが無料だった。ブライアンは「I’m free」とうれしそう「モンテ・ロ−ザに行きたいか?」「行きたい。」「あさっては晴れるからあさって行こう。」「OK」50フランのチップを渡して別れた。

 13日(火)晴れ時々曇り
   私はガイドを行動日3日予備日1日計4日分頼んだはずなので 今日を予備日とすれば明日モンテ・ロ−ザ小屋から行くのは問題無いと考えていた。エスケ−プル−トを取って始めと終わりだけ実行した、と考えたかった。ブライアンもそう考えてくれたように思う。ガイド料も旅行社に払った形なのでブライアンが納得する料金が払われたのかは不明で、次回からは絶対自分で払うようにしようと思った。悪天の場合のエスケ−プル−トは考えていなかった。イタリア側に降りるのは簡単だけど、スイスに戻るのは難しい。ブライアンの取ったコ−スが最も簡単な方法だと分かった。昨日はガイド付きロングハイキングだった。英語が通じそうもないイタリアの田舎では、彼が居ないと困る。それに地図も予定のコ−ス分のコピ−しか持っていなかった。

 「明日モンテ・ロ−ザに行く」と言うと現地係の杉浦さんはびっくりした。そんなこと出来ないかもと言う。「ガイド組合に行って聞いてくる。」という。 

 11時に本人と来てくれとの事でガイド組合に行く。OKだった。ブライアンが来る。2時の電車で出かけ小屋で待つようにとの事である。小屋代200電車52チップ50予備費100と考えるとフランが少し足りない。準備をして出かけると銀行は昼休み。でも電車の切符がビザカ−ドで買え何とかなると一安心。

 往復切符を買いロ−デンボ−デンで降りる。降りたら係氏が居て鋏を入れる。モンテ・ロ−ザ小屋の道標に従って下ると、にこにこしたハイカ−やむっりした登山者とすれ違う。装備も雰囲気も全然違うのだ。ツア−リ−ダ−に引率された日本人ハイカ−もいた。

 約1時間で氷河に着いた。硬くて汚い氷河。トレ−スが全く付いていないくて200mおきという赤布のぶらさがった道標が頼りだ。先行する外国人グル−プを見つけ付いて行こうとしたが、足が早くどんどん遠さかる。仕方なく一人で行くと決める。道標を探しながら歩くので時間がかかる。1時間程で氷河が終わった。

 さらに30分程岩場の急登が待っていた。ガイドブックにハイキングコ−スと書かれていたのに悪路でかなり驚いた。しかしスニ−カ−で歩いている外国人もいた。ビブラムソ−ルの靴は硬い氷河で全く滑らないので、恐くは無い。

 小屋の入り口を探していると「裏側だよ。」と日本人の声がした。守友さん夫妻だった。彼も明日登る予定でガイドを待っているという。6日からスイスに来ていてアイガ−に登ってきたそうだ。西壁の下山がつらくて、疲れが残っていて、今一登る気力が出ないという。6時頃すごい早さの二人が氷河を来ると言うので多分ガイドだろうと思う。

 6時半頃名前を呼ばれテ−ブルに座らされた。ガイド組合でもらってきた紙を受け付けで出した時、ガイドが来たら、もう一回一緒来なさいと言われた。ブライアンが来ないので、私は呼んでもらえない。守友さんが一緒に座ろうと言ってくれる。ここまで、ハイキングに来た若い日本人男性と4人で座る。皿が5枚配られた。ホ−クやナイフやスプ−ンは自分で取れと中年女性が来て言う。

 やっとブライアン到着。彼の腕をひつぱって受け付けに行く。守友さんのガイドも来たので皿が1枚足りない。先程の女性にをもう1枚と頼みに行っても駄目と断られた。守友さんのガイドのジョンが皿を貰いに行く。かの女性は6人客が居るのを確認し、やっと皿を追加してくれた。細いメンが入ったス−プが鍋でくる。次にハムステ−キとマカロニが大皿に盛られてきた。ブライアンが取り分けてくれた。最後は梨のジャム?。

 明日は2時起床。食後にジョンは丁寧に守友さんの装備を点検する。500mlの水は余分だから置いて行け、フリ−スの上着は暑いから脱げの指示。アイゼン、スパッツ、ハ−ネス帽子手袋も点検。だがブライアンは「same yester− day?」OKで終り。彼は大雑把な人らしい。二人のテルモスに紅茶を入れてもらえた。

 この小屋はペットボトル、電池が分別されていた。寝室は大部屋の2段ベットでマットに枕に2枚の毛布。シラフ持参の人も居る。ガイドは別室。外見はともかく中は日本の古い小屋に似ている。低い天井、暗い照明、荷物置場や靴置場が整備され、替え靴がある所はちがうかなあ。自炊客もかなりいる。

 8月14日(雪のち時々晴れ)
 2時に電灯が点いた。トイレに行こうと外に出ると、雪が降っていた。しかし気温はかなり高い。ブライアンはタバコを吸いながら、空を見ている。食堂に行くともうジョンは朝食を取っている。パンとビスケットとジャム蜂蜜ペ−スト、それに紅茶。持参のバナナを食べる。  2時半、ヘッドランプで、出発。ブライアンは雪の中をなんと傘をさして歩いている。始めはガレ場で、トップのジョンがル−トを探す。雑に積まれた小さなケルンが道標だ。雪がうっすらと積り歩き難い。1時間半ほど行くと、氷河になった。ハ−ネスを着けてザイルに繋がれる。時々クレバスがある。ヘッドランプの電池が切れそうだ。

 3時間ほどたった時、守友さんが足を抱えうずくまった。「足がつったのですか?」と聞くと。「クレバスを越えようと飛び降りた時、パンと音がした。ふくらはぎが痛い。」という。肉離れ?アキレス腱切断?「足がつったのなら治ると思うけどそれ以外は無理だと思う」「僕はここでリタイアする。」 ブライアン「We go」 やがてル−トは単調な登りになった。電池が完全に切れた。ブライアンが時々後ろを照らしてくれる。

 傾斜が強くなっ所で、「put on crampon and drink」先行するパ−ティを見上げる。まだまだ先は長い。ル−トはトラバ−スになった。
 コルに出た。休んでいると後続パ−ティに追いつかれた。そのパ−ティも休み、後から考えると難所の前に一休みする定位置だったらしい。寒いでの羽毛服を着る。薄いフリ−スのジャケットと毛糸の帽子は朝小屋に忘れてきた。悪天のためか予想より暖かく手袋は薄手のまま、帽子が無くても耐えられた。

 ル−トはトラバ−ス気味の急な登りになる。ブライアンの言うことが中々理解できない。危険だからピッチを上げる。ロ−プが張らないようについて来いという事らしい。仕方なく必死で登る。雪は締まっていて、アイゼンは効く。再び単調な歩きが続く。越えても越えても前に丘が出てくる。 いくつかの本で読んだ

「飽き飽きするル−ト」の言葉が頭に浮かぶ。私の計画はここを登らなくてすむ名案だったのに。

 最後の登りにかかる。稜線の方に体を向けアイゼンはフラットに置くけれど足を横向きに揃えた登りだ。岩場の前のステップに着いた時「you finish.you tired and dangerous」少し休んだら降りる。といわれて下を見るとえぇ!というような急斜面だった。どうやって下る?ブライアンが怒ったように、反対を向けという。斜面に背を向けると恐怖感は無くなる。「same track」と言われ足を交差させながら、横向きで素早く踏み跡を下る。「good」の一声。

 コルの手前の岩に戻った時、岩に座って休めという。後残りは500m「big mountain sunyday you gou」雪が浅いのでピッケルは少ししか刺さらずビレイ出来ないようだ。雪が硬いのでスリップしやすい。危険な所を1ピッチだけ登らせ納得させようとしたらしい。下のコルに、次々とパ−ティが来る。いくつかはそこを目的地としていたらしく握手しあっている。ノ−ザイルの3人連れもいた。ブライアンがびっくりしたように「oh no rope」という。しかしのぼり続けるパ−テイもある。ガイドと二人の組はマルガリ−タ小屋までだそうだ。あるガイドレスパ−ティは急斜面をアイゼンの前爪で登っている。斜面側でなく稜線ぎりぎりを登るブライアンの方法はスマ−トだ。

 前夜テルモスにに入れてもらった紅茶はあまり甘くない。失敗と思う。行動食を食べ下山にかかる。恐かったトラバ−ス部分はしっかりした踏み跡がついた雪の斜面に変わっていた。どんどん下る。

 突然晴れだした。遙か下から10人ぐらいのパ−ティが登ってくる。純白の大斜面に−本のトレ−スだけが見える。この山はスキ−こそ相応しいと思う。そして今はブライアンの言うvirgin snowだ。オレンジのマ−クはヘリポ−トだと教えてくれるけど分からない。ツェルマットでもらったパンフレットにヘリスキ−モンテロ−ザ4200mとあった。

 大パ−テイが登ってくる。「out track?」とブライアンに聞くと「右」と日本語で言われてしまった。さらに下る。3人の日本人グル−プとすれ違う。こんな時間にこんなに下でどこまで行くつもり?

 雲海の上に山が見えだした。リスカムモンテロ−ザ ブライトホルン は美しい。しかしマッタ−ホルンはほんの頂上だけしか見えない。終日雪の中かなと気の毒に思う。この日ヘンルリ小屋は7時までしんとしたままだったそうだ。小林さんだけがガイドとトライし「スピ−ドも大丈夫、晴れていたらきっと登れた」と言ってもらえたそうだ。

 クレバスだらけの氷河に着く。戸惑っているとOK I goとブライアンが先に立ってくれた。ガレ場に着いた。アイゼン ハ−ネス スパッツを外す。休めと言ってブライアンは煙草を吸う。

 ほとんどガレ場で時々雪も現われ、朝のル−トと違うコ−スを歩いていると思う。綺麗に積まれたケルンを見つけのたで「Look」と言うと「Tourist course」と言って見向きもしない。ケルンが綺麗か雑かでコ−スを見分けるらしい。

 やっと小屋に戻った。ゴムの短靴に変え中に入る。スパゲッティはもう無いそうだ。仕方なくオムレツを頼む。ジャム入りの甘い物でとても食べられない。このランチ込みで126フランだった。1時間程休むと「Come toget−
har」と言ってくれる。氷河を一緒歩いてもらえるのは有り難い。ロ−デンボ−デンまでノンストップで2時間10分だった。後少しで駅という辺りに居た西洋人家族が下を指差し「鹿」と教えてくれた。子鹿も交じった7、8頭の群れが居た。

 駅に着く。ベンチに座りマッタ−ホルンが見えるのを待つ人々が居る。ちょうど3時で、ベンチに座ったブライアンの言葉は「13 hours work.tired」。

 8月15日 晴れ山はガスの中
 今日はツェルマットのお祭りで2時からパレ−ドが在るという。3時駅集合。それまでに女性3人は地下ケ−ブルのあるロ−トホルンに行こうと一致。ゴンドラをさらに2本乗り継ぐ。オ−バ−ロ−トホルンまで登るか迷う。登ったのは正解だった。5cm程のエ−デルワイスを見つけたのだ。若い一人旅の日本人男性に会ったがガスで展望は無く人も少ない。帰りにさらに丁寧に探すと、急な登りにかかる前の少し沢状になった辺りでエ−デルワイスの大群落を見つけたのは感激だった。美しい一輪を撮った写真は、最高の記念だ。

 ゴンドラを下るごとに植性が変わる。だんだん背の高い草になる。スネガの有名な池の反対側に黄色の花が群生するお花畑があった。さらに下の広場で西洋人家族が寝そべって餌でマ−モット誘いだそうとしているのを、小林さんが見つける。そっと近付くと3匹のマ−モットの親子が居た。手から餌を食べる所を撮影しようと苦心中の男性とその娘達。

 場所を譲ってもらって我々も挑戦。行動食のチ−ズで試す。小林さん成功、池田さん林檎で成功。私に近付いた親はチ−ズに口を付けたけどプイと行ってしまった。飽きてるということらしい。

 2時からのパレ−ドを見るため急いで地下ケ−ブルに乗る。華やかなで地域毎に工夫を凝らした、すばらしいパレ−ドだ。途中でフィルムが無くなったのは残念。花で綺麗に飾られた馬車に乗っているのがお婆さんだったり、可憐な衣装のお婆さんがいたり、楽団に若い女性がいたり楽しい。楽団員の目は楽譜に釘付けなのも微笑ましい。赤が基調の楽団、青が基調の楽団どれも美しい。昔の農夫や農婦の仮装の隊は女性もキセルをくわえている。むむ!男女平等?

 マッタ−ホルンのツア−の若い男性が一番勿体なかったのはお金だと言った。ガイド料金は返るにしてもね。もう一人は「僕にはガイド登山は合わない」と言った。日本でロッククライミングをしてた人には物足りない面があると思う。整備されすぎているのだ。登ったというあの男性もおもしろい所は無かった、とつぶやいた。ガイドの中山茂樹さんの「だからあの標高差が5時間で登れるのだ」も確かに言えている。もう一人の男性は「何といってもあの天辺に登っててみたい。」女性の池田さんは「再チャレンジを誓う。」小林さんは「フリ−の時のハイキングが楽しかった。また来たい」私は計画が可能だったのか不可能だったのか、判断できず残念だ。富士山に3回も行ったのに。モンテ・ロ−ザに下から登るのはもういい。モンテ・ロ−ザのスキ−もいいなあ。あの計画は再チャレンジの価値はある。アルプスの縦走だから。

【概念図】


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