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ら・ねーじゅ No.253
1997.2月号


奥多摩/倉戸尾根・三頭山&鶴の湯  
                         96/12/28・29 
                                梅原秀一 

12/28(土)倉戸尾根 快晴                     
 年末に長距離走の仲間達と、毎年東京近郊の山に温泉を主目的としてでかけて 
いるが、今回も年の瀬とはいえ、総勢17人と大盛況だった。         
 ホリデー快速奥多摩号は、初夏は朝2本であったが、冬期は1本だけとなって 
いた。6月に利用した際は混雑していたが、今回は空席が目だった。さすがこの 
季節では登山者が減少していた。学生のワンゲルだろうか、20キロ以上と思わ 
れるザックを背負ったグループを見かけた。金峰あたりまで足を延ばすのだろう。
最近では珍しい光景であった。                       
 奥多摩駅で2グループに分かれ、精鋭部隊6名は、駅から石黒尾根を駆け登り、
我々残り11名は、バスで湖のドラム缶橋近くの今夜の宿、馬頭館にひとまず入っ
て、そこから倉戸山方面へと出発した。                   
 自動車道を東に約五百M進むと、トンネルの手前に倉戸山への指導標がある。 
地図では道路の左からとりつくはずだが、工事のため変更になったのだ。木製の 
指導標の、文字がやっと読み取れるほどかすれていたことから懸念されたが、宿 
のおばさんが忠告してくれたとおり、ここからの山道は荒れていて廃道化しつつ 
あった。もう少し先の目の湯からの登山道の方が、良い道なのであった。    
 不明瞭な踏み跡にルートを探す。急峻な尾根、岩場をよじ登る。遥か下に奥多 
摩湖。高度恐怖症の男は必死に岩にしがみついてしまい、歩みは遅々とした。彼 
はフルを2時間45分で走るのだが、この後普通の山道でも元気がなく、ブレー 
キとなった。図体はでかいのにだらしないのだ。               
 倉戸山で昼食。御前山・御岳山等の山並みの眺めを十分に楽しんでから、更に 
尾根を登った。適当な所で引き返す予定である。               
 標高1、450Mのかやの木山(くすの木山と地元では呼ばれている)は、山 
頂を左にはずして道は登っている。山陰には雪がうっすらと積もっていた。ここ 
で精鋭部隊が、鷹の巣山から走り下ってきた。予想していたより大分早く合流し 
た。                                   
 全員を新たに二つに分け、下山にかかった。今度は道の良い目の湯への下山路 
を選んだ。このまま湖に飛び込むかと錯覚するような急斜面を下ると自動車道だ。
 宿までの約2KMは、一番風呂を求めての競争となった。          
 馬頭館は「奥多摩の温泉を守る会」の長老に電話して、道路から離れた静かな 
宿を紹介してもらった。ダムにより奥多摩湖が誕生したわけだが、その際「鶴の 
湯」も他の村落とともに湖底に沈んだ。近年源泉から汲み上げ温泉は復活した。 
宿は浴槽も広く湖の眺めも良好だった。この時期に泊まる団体は珍しいらしく、 
品数も奮発してくれた。到着が3時半と早かったので、かなり酒量が増えてしまっ
た。                                   
 夕食は酒と歌、カラオケは曲目が少なく、歌詞を見ずには歌えぬ人は困惑した。
私はカラオケは嫌いなので、好都合であった。あんなものが東南アジアでも流行 
しているらしいが、よその国の文化まで破壊してはいけない。少年時代は渋谷の 
ど真ん中に住居があったが、流しのギターをよく見かけたものだが、歌は歌詞を 
読んじゃいけない。演奏は手拍子と茶碗と箸でも十分なのだ。         


12/29(日)三頭山 快晴                      
 今日も快晴。7人は朝のバスで帰り、残り10人で三頭山を目指した。ドラム 
缶橋で湖の対岸に渡り、急峻な糠指尾根を登り詰めた。山頂直下には僅かながら 
積雪があり、片側が鋭く切れた斜面などは、あいつがいたら面白かったのに。  
 山頂からは、雪化粧した富士が、鮮やかに青空に映えていた。反対側には雲取 
山等の奥秩父の山々が見渡せた。しばし展望を楽しんだ後、東に鞘口峠を経て、 
奥多摩周辺の自動車道をドラム缶橋へと下山した。再び馬頭館で入浴して手うち 
蕎を肴にビールという魂胆である。                     
 三頭山から鞘口峠までは、秋の山岳耐久レース(71.5KM)のコースでも 
ある。私が何十分かぶっ倒れていて死体と間違われた岩陰を確認して、懐かしく 
思った。                                 
 鞘口峠から谷を下った。そっくり伐採されていて殺風景だった。       
 自動車道の3.5Kんは、温泉とビールと食い物を思い描き、全員一丸となり 
奥多摩湖へなだれ込んだ。                         
 宿に2時到着。汗を流し、日当たりの良い離れで湖と山々を眺めながら、黒っ 
ぽい香りの良い田舎の蕎と刺身こんにゃくで飲むビールはうまい。無上の贅沢で 
あった。                                 
 バスで奥多摩駅に出て青梅線に乗車。メンバーの3人は私の向かいの座席で、 
澤の井の一升瓶を紙コップに傾け、グブグビグビと飲んでいる。背景の車窓には 
真っ赤な夕焼けである。途中駅で堅気の人々が乗車して、近くに座ろうとしては、
一升瓶と三人の迫力に圧倒され去っていった。青梅線にはもう少し長く、山間部 
を走っていて欲しかった。都会が近づくと、前田鉄之助の剣岳の詩が’思い浮か 
ぶ。                                   
 「人間は所詮下界のもの、矛盾と秩序の中に帰るのだ」           


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