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ら・ねーじゅ No.254
1997.3月号


アンナプルナ再訪                    

              1996年12月27日〜1997年1月4日  
                               岩崎正隆  


 近年、仕事の関係でなかなか長期の休みがとれず、ネパールにもだいぶご無沙 
汰してしまった。この度、新婚旅行という名目で、ほぼ10年ぶりに訪れる機会 
を得た。当初、私が初めてのネパール行きで体験したポカラからのジョムソン街 
道の大展望台、ブーンヒルへ連れて行こうという思いがあったが、今回行ったチャ
ンドラコット−ダンプス間にあるオーストリアンキャンプはそこに勝るとも劣ら 
ない、アンナプルナとマチャプチャレの大パノラマがえられた。        
 
 ポカラの町外れから出発したゴラパニ峠やジョムソン方面へのトレッキングも、
今は自動車道が奥まで延びたので車を利用すれば1日ほど短縮された。     
 かってはポカラの町並みを抜けセティ・コーラ沿いに進み、チベット難民キャ 
ンプ、スイケットの村を経て、フェディからノーダラへの急登ではだいぶ汗をか 
かされた。チャンドラコットまでは、ロバの隊商が行き交う石畳の街道を、たっ 
ぷり1日かけて到着できた。                        
 今ではポカラからバスでルムレへ、そこから一時間程のゆるい登りで着くこと 
ができる。17年ぶりのチャンドラコット、まだ電気はなく、煮炊きは薪で、女 
性達がせっせと集めてくるのは今も変わらない。               
 自動車道の開通によってその沿線の村々では、物資の輸送や人の往来など様々 
な変化が起きていよう。便利になったことで何よりも教育や医療の普及がもたら 
されることを願う。農山村地域の生活基盤の安定がネパール全体の安定につなが 
ると思う。                                
 
 1996年12月30日の朝、乾期にあたるこの時期の天候は周期的に変わっ 
ていて、昨日来、重たそうな雲が空を覆っていた。日が昇るにしたがって、アン 
ナプルナ南峰とマチャプチャレが、ちょうどベールがはがれる様に雲間から姿を 
現してくれた。この劇的な対面に感動して何枚も写真を撮る。思っていたよりも 
早く天気が回復してくれた。                        
 チャンドラコットからタンチョークへ向かう道も立派な石畳が続く。モディ. 
コーラをはさんだ対岸の南向き斜面には、ヒマーラヤを背景に見事な段々畑が広 
がる。営々として築き上げられたいかにもネパールらしい景観だ。タンチョーク 
から木々が生い茂る道をポタナへ向かう。シャクナゲはまだだが、ツツジ科の仲 
間が白い小さな花をつけて、甘い香りを漂わせている。            
 ポタナからいったん下り、左にダンプスへの道を分けて、細くなった山道を進 
む。ほどなく標高2200mの広々とした尾根上のオーストリアンキャンプに着 
く。ポーターたちは先回りしてテントをはっていてくれた。ゴラバニ峠のプーン 
ヒル程の登降もなく、アンナプルナ連峰の大パノラマが得られるすばらしいキャ 
ンプ場だ。                                
 豪華な夕食の後、満点の星に抱かれながら、焚火を囲んで皆でロキシーを酌み 
交わす。シェルパがマダルを持参して叩いてくれた。そのリズムに合わせて歌に 
踊りに愉しいひとときとなった。                      
 
 
 夜明け前、わずかに氷ついたテントのジッパーを開けると外は一面の霜柱で、 
月明かりに照らされて白く光った。ヒマーラヤはまだ眠りからさめていない。  
 朝日に輝く山々を撮らんと丘へ登る。霞たなびく中、東のマナスル三山から朱 
色に染まりだす。そして今、マチャプチャレが太古の眠りから醒めて天空に突き 
立たんと輝きだした。地平線から太陽が顔を出し、我々のところにも光が注がれ 
た。久しぶりに対峙するヒマーラヤの荘厳な夜明けに感動する。        
 昨晩は興に乗って深酒してしまった。半睡の頭にはマダルの響きがまだ残って 
いる。ダンプスへの下り道、この素朴な楽器の良さを再確認した私は、カトマン 
ドゥで買って帰ろうと決めた。                       



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