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ら・ねーじゅ No.256
1997.6月号


木曾御岳山                         

おんたけロープウェイスキー場より往復                    

                           1997年4月13日 
                 メンバー L岡坂準一、加藤康男、西川克之 

4月13日 晴

 前日の午後2時半に岡坂氏の車で横浜を出発した。順調に走ったが、木曾福島の手前で右折したのが間違いで、今日の宿、三岳村黒沢の旅館はらだに行くためには、木曾福島の先で右折しなければならなかった。みかけは民宿風だが、部屋もきれいで食事もよかった。

 旅館はらだを7時40分頃に出て、おんたけロープウェイスキー場に向かったが、異変に気がついた。道路標識には「冬期通行止め」とある。スキー場に行く道が冬期通行止めのはずがない。道なりに行ったのが間違いで、黒沢口登山道への道を登ってしまったのだ。わかりにくいが、途中で右折しなければならなかった。対向車にきくとおんたけロープウェイスキー場に行けるというし、道路標識にも「おんたけロープウェイ」とあるのでそのまま進む。地図を見ると確かに道は通じているのだが、スキー場の下にではなく、真ん中あたりに出てしまう。営業しているスキー場の中に車で乗り入れられるものか、非常に疑問である。やはり、残雪で進めなくなり引き返すはめになった。なお、おんたけロープウェイはスキーだけのためではなく通年営業しているので、そう思って道路標識をよく見ると「おんたけロープウェイ」とはあるがスキー場とは書いてない。この標識は夏用なのだ。

 始発に乗るつもりが遅れて、ロープウェイの終点を9時20分に出発した。よく晴れて見通しもよい。スキー場から樹林帯に入り、黒沢口登山道の尾根を登る。登り始めてまもなく岡坂氏はシールトラブルでスキーを引きずる。樹林帯を抜けると尾根の真ん中がハイ松が露出しているので、右の沢に入る。沢を進むと源頭は浅くなり、また元の尾根に上がって傾斜が急になり、上に九合目の小屋(石室)が見える。先行した加藤氏はそのまま小屋の右側をシールで登っていったが、私は左よりに尾根の肩に出て、アイゼンに換え、行動食もとり、ルートを検討することにした。

 ガイドや記録によれば左の黒沢口登山道の南側の白川源頭の沢に入るが、どこで移るのがよいか。右の斜面でもそのまま行けそうだが、地図を見ると最後に崖記号があるし、左の沢の方が若干傾斜が緩そうだ。丁度やってきたパーティにきくと、この上にもう一つ小屋(覚明堂)があり、その覚明堂の下で左にトラバースするというのでそうすることにした。しかし覚明堂の下まで登ってみるとそこからも左の沢に移れるし、どこでも大差はなさそうなのでそこで移った。結果的には肩でも石室の下でも覚明堂の下でも沢に移れた。

 沢をつめると、頂上の一角に出た。昼過ぎて少し雲も出てきて、風が強いのでザックとスキーはデポして剣が峰に向かうと、降りてくる3人パーティーの1人はスノーボードだった。私は10年前の正月以来の頂上神社の参詣となった。陰ってきたので長居もできない。デポ地に戻りスキーを付け沢へ滑り込む。大斜面がまっすぐ下へ続いている。表面がクラストしているので滑るには力がいる。肩のところで左にトラバースして尾根に戻り、もと来たコースをたどる。尾根では雪の表面は堅くなっていてよく滑る。樹林帯を滑り抜けてスキー場の上部に出た。休憩してスキー場を滑り駐車場に戻った。このスキー場は9割以上がスノーボードだった。今はこんなに大多数になっているのか。

 少々のトラブルもあったが、ここまではまず順調だった。大変だったのは、中央道の勝沼付近からの大渋滞で下の国道に降りるとさらなる渋滞、柳沢峠を通って奥多摩に抜けるとここも渋滞で、スキー場を出発したのは2時半ごろだったが、新宿に着いたのは11時を過ぎていた。それから電車に乗るとその日のうちには家に帰れなかった。
                               (西川 記) 

【コースタイム】

 スキー場ロープウェイ終点9:20 −> 剣ケ峰12:50/13:15 −> ロープウェイ終点13:50

【概念図】


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