ら・ねーじゅ No.256
1997.6月号
火打山
1997.4.26〜29 メンバー:作野晃一他4名
4月26日 快晴
前夜9:30亀有駅前を出発、関越・上信越・長野道を通り杉の原スキー場ゴンドラ乗り
場前の駐車場に1:30に到着した。7:00まで車の中で仮眠の後、8:30のゴンドラ
に乗り、国際第3高速リフトを乗り継ぎ、同リフト下り場を9:25に出発した。今回は山
スキーを初めてする人を1名伴っているのでシール登高の指導をしながら、ゆっくり三田原
山を目指した。遥か眼下には野尻湖、右手正面には黒姫山・高妻山が聳え、遠くには北アル
プス連峰が見渡せ、風もない快晴と言う絶好の登山日和に恵まれたことは新人を伴った今回
の山行では神に感謝したい気持ちであった。3日前の雪は腐り、滑るのには向かない雪質に
なっていたがシール登高はしやすかった。しかし、やはりトラブルが発生した。新人Mさん
のビンデングが未調整(山道具屋で合わせて貰ったと言っていたが)のためヒールピースが
何でもない所ではずれてしまうので、途中で強度を調整したり、もう一人Fさんのコールテ
ックスのシールの糊が全く効かなくなっていて、ガムテープで固定したり。やっとの思いで
12:25三田原山山頂に到着した。360度の展望を楽しみながらの昼食は今までの苦労
を吹き飛ばせて、正面に見える真っ白な火打・影火打・焼山の三山を見ると新たな意欲を沸
き立たせてくれる思いであった。
13:00三田原山山頂から黒沢池に向かって待望のスキー滑降にはいった。しかし腐っ
た雪に悩まされ苦労しながら13:26黒沢池に到着、シール登高で茶臼岳の鞍部を経て1
4:27やっと高谷池ヒュッテに到着した。もうこれから火打山を目指せる気力もなくビー
ルで乾杯。16:00に久しぶりにラジオ放送の天気図をとった。帯状の高気圧で明日も好
天が期待できそうである。
ここで感動したことを1つ、19:30満天の星空の中、影火打山の上にヘールボップ彗
星が美しく尾をひいているのが見えました。
4月27日 快晴
今日も昨日に続いて風もない良い天気。8:00高谷池ヒュッテをシールで出発。シール
の糊の飛んでしまった約1名はアイゼンで出発。天狗の庭から雷鳥平・火打の肩までトラバ
ース気味に上って行くところは雪が堅く新人にとってシールを上手く操作できずアイゼン
に変えたが他の3名は快適にシールを効かせ火打の肩に9:19到着した。火打の肩は少し
風があり寒い。ここで小休止の後、澄川へ滑り込んだ。源頭部直下は約35度、それに約3
0度−27度位の広い素晴らしいU字状斜面が続いていて意欲をそそられたが、悲しいかな
4日前の降雪が腐れ雪となり我々の技術では如何ともしがたく2、3回転の後スキーのトッ
プが引っかかり前方回転をするはめになり、七転八倒の苦しみの末、当初は1920m地点
まで滑って1つ向こうの沢を雷鳥平に登り返す予定の所を、2100m地点の所で滑降を打
ち切った。(このため登り返しが非常に大変なこととなったのであるが。)
さて、火打山の頂上までツボ足で登り12:02着。ここでも360度の大展望を楽しめ
た。朝日、雪倉、白馬、杓子、白馬鑓、唐松、五竜、鹿島槍、立山、剣、槍及び穂高まで北
アルプス連峰のすべてと言った具合。昼食後、明日滑ろうと思う影火打を下見、影火打沢か
らいい斜面が鍋倉谷に落ち込んでいるのが確認できた。12:30火打山の頂上から正面尾
根をのぞく方向に滑降開始。正面尾根コースをうかがうが、お椀を伏せた形の頂上直下のあ
まりの斜度(約40度)、下が見えないための高度感、それに加えてこの雪質に恐れをなし
て、火打の肩の方向に迂回した後、鍋倉谷2015m地点まで一気に滑り降りた。肩からの
雪質は上部はまだ少し堅かったが途中から大好きなザラメとなり、やっとスキーが楽しめた。
そこでコーヒーを入れ大休止とし、15:00高谷池ヒュッテに帰着した。
夕方頃から空に卷層雲がでてきた。天気は下り坂のようだ。今日は天気図をとるのはやめ
た。何故ならヒュッテで18:50にNHK衛星テレビの天気予報をやってくれるのが分か
ったからである。便利な世の中になったものである。それによると、明日は低気圧が鹿児島
沖にでてくるので日本南岸は天気が崩れるが、北日本はまだ好天が続くとのこと。この辺は
丁度その境目になりそうである。19:00から約1時間「火打山の四季」のビデオを放映
してくれた。それを見たらまた別の季節にもここへ来たくなった。今日はヒュッテで双眼鏡
を借りてヘールボップ彗星を見た。卷層雲のせいで少し霞んでいたが見えた。
4月28日 曇り後雨
やはり曇りである。しかし高曇りで北アルプスも見える。午前中は持ちそうだ。8:05
高谷池ヒュッテを出発。今日は影火打山を滑る予定である。シールの糊のはがれたFさんは
ガムテープの代わりに幅広のゴムバンドでビンデングの前後を縛っていた。今日は皆シール
を着けて出発した。昨日雷鳥平付近のトラバースでシール歩行ができなかった新人のMさん
は、今日は頑張って火打の肩までシールで通した。少しシール登行に慣れてきたようだ。火
打の肩からはスキーを担ぐ人、引っ張る人それぞれ好みに応じて頂上まで登った。頂上で小
休止の後、山頂付近でスキーを付け火打山と影火打山の鞍部までスキーで下った。火打山頂
から影火打沢の雪質はスキーのエッジが立つ程度に程良く締まった雪であった。影火打沢は
広い沢であるが上部の斜度は35度程でカール状となっており少し緊張する。スピードので
ないように慎重に滑った。2200m位から影火打山の尾根に乗り上げた。この辺から雪質
はザラメとなる。またこの尾根は斜度30度位の滑り台のような無木立の斜面が一直線に鍋
倉谷との出合いまで続いており快適(快哉を叫びつつ)に滑り降りた。今回の山スキーで最
高の滑りであった。2000m付近になると雪質は重い湿雪となったが、1890mの影火
打沢と鍋倉谷との出合いまで一気に滑り込み、そこで小休止とした。その後鍋倉谷を遡行し
昨日の休憩地点の少し上で大休止としクラムチャウダーを作りのんびりとした時を過ごし
ている内に雨が降り出した。急いでヒュッテに戻ろうとしたとき、Sさんのシールの前の金
具が飛んでしまった。原因は湿雪でシールの糊が全く効かなくなってしまったようである。
このシールもコールテックス製でありFさんと同じ症状のようである。13:15ヒュッテ
着。
今回の予定が全て終了して雨になったのは幸運であった。そこでヒュッテで酒を飲んで歓
談。閑話休題。:我々「中年山スキー湯治会」のメンバーは、私の義兄で教師のSさん(5
9才)、その教え子でやはり教師のFさん(48才)、私の会社の同僚のKさん(47才)
と私(50才)の4人でしたが、今年からさらにSさんの知り合いの教師Mさん(高校の山
岳部顧問、56才)が加わりました。皆スキーは一級または一級相当で、残雪期のみ、登り
が少なく、かつ滑りが楽しめて温泉が必ずあり酒の飲めることが条件で、私の滑ったことの
あるコースでそのような条件に合った所を見つけて行っています。そもそも1985年(昭
和60年)5月、立山での悪夢(内蔵助平からの登り返しで極度の疲労と緊張で十二指腸潰
瘍を再発し真砂沢小屋付近で下血、ヘリで富山市民病院へ運ばれた。)の翌年以来のことで、
至仏山をかわきりに八甲田山(3回)・尾瀬ひうちケ岳(2回)・会津駒ヶ岳・鳥海山・蓮
華温泉・白馬大雪渓・針ノ木雪渓・岩木山に行っています。入った温泉は、岩木山羽黒温泉・
八甲田(酸ケ湯・谷地・猿倉・八甲田)・八幡平(後生掛・藤七)・栗駒(湯ノ倉・鳴子)・
鳥海山猿倉温泉・土湯・木賊・湯ノ花・塩原狢の湯・小谷・葛温泉と言ったところですか。
さらに余談:高谷池ヒュッテに3泊したので管理人の築田さん手作りの版画の絵葉書を2枚
貰いました。ちなみに2泊だと1枚だそうです。
4月29日 快晴
昨晩から強い風が吹いている。素晴らしく晴れ上がっているがまだ風が強い。今日は帰る
日だ。温泉、温泉と唱えながら茶臼山を快適に滑り降り、黒沢池を横切り、1時間で三田原
山を登り返した。三田原山からの下りもザラメで快適滑降約400mの標高差もあっと言う
間にスキー場についた。国際第三高速リフト脇のコースの雪はメチャクチャ重く腿がパンパ
ンになったが、無事ゴンドラ山頂駅に着き山行を終えた。