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ら・ねーじゅ No.258
1997.10−12月号


国内 初滑り新記録だ!?            

11月の三岩山ヤブスキー


                           1997年11月1日〜3日 
                         L.岩毅、M藤田英明、加藤佳恵 

 久し振りの本格的?秋山登山、晩秋の香りを求めて−のつもりであったが、晩秋どころ 
か初冬も通り越して、「もう山スキーをしてしまったのだ!」という山行になった。   


11月1日 晴れ                             

 昨日の深夜、茂原から千葉への帰宅途中でラジオの天気予報が「山は雪が…」と言って 
いるのを聞いて、急にひらめいた。スキーを持って行こうと。             

 今日、混んだ湾岸を走らせながら、藤田のヤツ、無事佳恵さんにスキーのことを伝える 
ことが出来たかな、とチラッと思った。が、それよりも、はよ帰ってきーっ、という敦子 
を振り切ってきたことのほうが気になりながらの運転だった。3連休の最初の土曜日の夕 
方、思った以上の渋滞で1時間も遅刻して藤田君のマンション?に着く。佳恵さんが怪訝 
な顔をして迎えてくれた。助手席が空だったからだ。敦子を誘ったが、寝違えて首の筋を 
痛めていて来れなかったと伝えた(本当は論文の締め切りの為首が廻らなくなっていたの 
だが。)。ちょっと残念そうな佳恵さんだった。で、スキーはと聞くと、やっぱりうまく 
伝わっていなかったようだ。もう一日早く思い付いていれば、だったかな?       

 ま、とにかく、スキーを2台積んで、夜空を見ながら、はい出発である。いつもながら、
「これから行くぞ」のアクセル踏む時が、一番ご機嫌である。てなことを、途中、携帯で 
チラッと敦子に漏らしたら、受話器の向こうからプリプリの声。まぁっいっか?     

 彼らと車で一緒なのは、3月の海谷以来である。 あの時もそうだったが、結構明るい 
(いやかなり明るい?)佳恵さんの話で、(いや、実は私が最も明るい??)やたら盛り 
上がりながら、一路東北道を北に向かう。順調に那須塩原ICから塩原温泉に入る。トン 
ネルを二つくぐりぬけ会津に入ると気温が零度になる。 今日は板は積んだがチェーンは 
あっさり忘れる。中山トンネルの手前から部分的に凍結、11月初旬なのにもうヒヤヒヤ 
運転である。しかも、桧枝岐に近づくにつれて廻りは真っ白の銀世界! それでも無事、 
夜12時、桧枝岐のアルザ尾瀬の里のオートキャンプ場に着く。深夜なので、勝手に張っ 
てしまう。星空が素晴らしい。                           


11月2日 快晴                             

 朝、快晴。もう、廻りは銀世界である。テントに一言管理人への伝言を張って、車を登 
山口の小豆温泉に回す。登山口には早くも3パーティーは来ていて順に出発していく。意 
外に多いなと言う感じ。もちろん、どのパーティーも当然スキー無し。我々もまさか山頂 
に大雪とも思えず、3人で1台だけ板を持っていくことにする。結果的には、この判断が 
敗因だったのかな、と今は思う。                          

 まぁーとにかく出発。先行トレースは黒桧沢沿いの夏道を忠実に辿っている。我々もそ 
れに従う。黒桧沢から尾根に上がるあたりまではたいした雪量でもなかったが、標高12 
00m付近、夏道が大きく右へ冬尾根の鞍部に向かってトラバースするあたりから、くる 
ぶしくらいまで潜るようになる。このあたりからの景色はもう冬そのもの、ここから望む 
三岩山は快晴の中、純白に輝いていた。さて、先行者達はラッセルの気配っぽく、トレー 
スも夏道を離れ冬尾根に向かってダイレクトに直登をはじめた。我々も新たなラッセルを 
する気もなく、忠実に先行トレースを辿る。私だけチョコっと板をつけたが、薮が濃すぎ 
てすぐシートラーゲンに戻る。尾根を登るにつれトレースは深くなり、膝上ラッセルの様 
相である。案の定、冬尾根に上がりきったあたりでその先行パーティーに追いついてしま 
う。標高1500m付近、もう正午である。スキーならば何とかなるが、板1台ではどう 
しようもなく、また日が落ちるのが早い11月では山頂はもうギブアップである。    

 私はスキー&シール登高、藤田君は先行パーティーと一緒にラッセル、佳恵さんはその 
後からついて行く。私は途中、シールトラブルで30分ほど要したがあとは順調に飛ばし 
て、13時過ぎには標高1800m付近窓明山と三岩山の分岐点近くまで行く。三岩山は 
会津駒と違い山頂付近まで木が密生していたのと、下りの時間も考慮して、ここらで終わ 
りとした。積雪はこのあたりで1.5mくらいか。暫くしてから、藤田君、佳恵さんをは 
じめとして他会の人も続々と着く。山頂泊まりの人もいる。この三岩山−窓明山は来年の 
国体コースになるそうで、この分岐点近くにログハウス風の新しい小屋が出来たそうな。 
次回は使いたい。                                 

 窓明山を背に記念撮影した後滑降にはいる。登りは何とかなったが、下りはやはり完全 
なヤブスキーである。結局シールを着けての滑降となる。私が標高差100mほど滑り、 
あとは藤田君が標高1500mまで滑った。まだまだ、この雪量では歩くほうが楽だった。
釣瓶落しに暮れる秋の日と競争するがごとく下山する。                

夕方キャンプ場に戻り早速管理人を探し出して?手続きをする。この管理人のおじさん、
会津の地の人らしく人情味があり、いろいろ便宜を図ってくれる。果ては、日曜の午後6 
時、この時間、村でたった一軒しか開いていない食料品屋まで先導してくれる。おかげで 
無事シェフ藤田君の鍋にありつけ、そのまま、おじさんの用意してくれたファイヤーで夜 
更けまで星降る夜空の下、ノンダ、クッタ、ダベッタで過ごすことができた。      


11月3日 快晴                             

キャンプの朝寝坊程気持ちいいものはない。時間をたっぷり使って後かたずけをする。 
その後、ゆっくりプールで泳いで、温泉に浸かって、家路に就く。帰りに益子の陶磁器祭 
りに寄ろうと思ったが渋滞で行きつけず残念。                    


 (後記)この山行、山頂には辿り着けませんでしたが、11月2日などに日本のしかも 
2000mそこそこの山で、シールで登りとにかくスキーで滑ることができ、もう大満足 
です。おまけに素晴らしい景色と、クッテノンデの楽しいファイヤーに、温泉プールで汗 
かいてと、たっぷりあそばせてもらいましてありがとうございました。         



【コースタイム】                             

11/1 千葉(岩宅)15:40=(湾岸道)=目白(藤田宅)17:45/   
     18:00==池袋18:30=浦和19:20=(東北道)=佐野   
     20:00/45=(東北道)=那須塩原21:30==塩原21:45 
     ==会津高原22:30/23:00==桧枝岐24:00       

11/2 桧枝岐7:35==小豆温泉(780m)7:45/8:00――    
     1200m 11:00――1500m 12:00――1800m   
     13:15/45〜〜1500m 14:30――1200m 15:30
     /16:00――小豆温泉16:45==桧枝岐17:10       

11/3 桧枝岐13:15==塩原15:00==矢板15:40/16:50==
     下館18:15==谷和原19:35=(常磐道)=加平20:00== 
     西新井20:10/21:00==目白21:30=(京葉道)=    
     千葉22:00                           


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