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ら・ねーじゅ No.259
1998.1−2月号


白馬 栂池から天狗原         

                         1997年12月28日〜29日 
               メンバー:L岩毅、SL酒井正裕、藤田英明、加藤佳恵 


 久しぶりに年末は山に入ることにした。メンバーはリーダーの岩毅、藤田英明、加藤佳恵、そして私である。

 当初は焼岳を考えていたが、帰郷した折りに見た山々の雪は信じられないくらいに少なく、上越の土樽付近でも所々申し訳程度に残っているだけだった。 山行の前日に、リーダーの岩氏に連絡を取り、急遽山スキーが可能と考えられる白馬方面に変更する。岩氏曰く、「山スキーをしないのは山スキー同志会ではない。」とのこと。この時点で、以前から楽しみにしていた焼岳は何時になるかわからない次の機会に回さざるをえなかった。意気消沈である。

12月28日 小雪
 白馬大池の駅で午後2時に待ち合わせ、栂池のスキー場に向かう。あまりの雪の無さに、もう少しで温泉での忘年会に変更する所だったが、明日の天候がよいこと、貧乏人には温泉の宿代は馬鹿にならないことから、スキー場の上で天張りすることにしたのだった。

 リフトを乗り継いでようやく着いた栂池スキー場の栂の森ゲレンデも、あちこちに土が出ており、気分が乗らないまま5分ほど歩いた所を一夜の宿とすることを決めた。先ほどまで降っていた雪もいつの間にか止み、そそくさとテントを張る。引き続き夕食の準備に取りかかる。厳冬期というのに暖かく、食事も外でとった。私はリーダーの許可を得て、食事の用意そっちのけで弱層テストを行った。積雪40cm、評価は1であり、明日の行動も全く心配ないと思われた。

 夜は、酒を飲みながら四方山話に花が咲いた。


12月29日 快晴
 予報通り天気は快晴となり風もなかった。のんびり支度をして林道を辿り始めたのは8時30分過ぎだった。1時間強で成城大学小屋に着く。この辺りから見る天狗原への斜面も薮だらけであり冬山の気分がない。帰りのスキーを考えると憂鬱だが、時間もあり天狗原に向け薮を縫って登り始める。登り始めてしばらくで、雪上訓練をしているパーティに出会う。確保技術の訓練のように思われたが、注意深く見ていないこともあり何をしているのか分からない。ザイルを付けて滑落を担当する人はスキーを履いていたから余計だった。滑落のスピードが出ないことから、スキーを履いているのだろうと思われたが、あれでは怪我のもとである。私にとっては非常に不思議な光景であった。

 成城大学小屋から1時間ほど登っただろうか、先頭を行く岩氏の登り方が不自然に思えた所があった。妙に注意深く、そして非常に登り辛そうな感じを受けたのだ。後で聞いてみると、雪の下の層でずるずる滑るような感覚があったとのことだった。私が妙高で雪崩に遭った時と同じような感じであるらしかった。

 11時過ぎに天狗原に着く。周囲は今まで見飽きるほど見てきた景色だが、とにかく展望は抜群だった。風もなく、のんびり岩の上で横になる者、写真を撮る者、昼食をとる者と三者三様だったことが、より一層気分を和ませた。私はと言えば、危ないと分かっていながら、岩の隙間に落っこちてはい上がれずにいた為、証拠写真を撮られてしまった。全くバツが悪い。

 暫く休み、私は天狗原の祠付近で弱層テストを行う。雪の断面観察から始め、直径30cm、深さ80cmの雪の円柱を作った。理屈上は、70cmでよいのだが、天狗原の積雪は80cm程度であり、どうせだからと思い地表まで掘ってしまったのだった。テストの結果は、ほぼ4に近かった。ちょっと触っただけで、円柱が上部20cmのところでスパッと切れたのだ。雪面下20cmに顕著な弱層があることは明らかだった。ルーペで観察すると、どうも表面霜らしい。今日の私は、ほとんど最後尾からのぼっていたので、雪の状態の悪さに気が付かなかったが、先ほどの登りで岩氏の登り方が不自然だったことがこの時納得できたし、岩氏がこれまでの経験から、乗鞍岳に登るのを止めたことも、このためであると判ったのだった。

 また、雪を掘っている時に人の声が聞こえたが、乗鞍岳に登るパーティの者だったことに後から気付いた。それは私にとって恐ろしい光景だった。パーティは、一番左の最も雪崩れ易い斜面を登っており、周囲に雪崩れたあとはないものの、いつ雪崩に遭っても不思議ではない状況であると考えたからだった。おそらくリーダーは雪崩に対する知識は皆無と思われた。幸いにして無事に登ったようだが、あと10cmばかり上載積雪が多ければ遭っていたかもしれない。私達が登る時も、弱層テストを実施した形跡は、我々のパーティ以外に全くなかったことも思い出した。

 天狗原でのんびり過ごした後、憂鬱な斜面を滑る。私を除いた3人は邪魔な薮をポールよろしくどんどん滑って行くが、私だけが転びころびでやっとのことでついて行く。成城大学小屋からは林道となり、天場へ急いだ。

 帰宅後、私は新聞の社会面を注意深く目を通すのが日課だった。誰かが雪崩で事故を起こしていないか心配だったからだった。その矢先、剣岳で雪庇が崩落したはずみで表層雪崩が起き、数名の登山者が池の谷へ転落したニュースを知った。地元の新聞だったので、いろいろ事細かく書かれてはあったが、雪崩が事故の原因であるにもかかわらず、雪の状態については全く記載がなかった。事故に遭った登山者の無事を願ったが、一方で白馬での雪の状態が非常に悪かっただけに、推論の余地しかないものの、この事故についてのマスコミを含め本当に適切な判断や説明がなされていたかが気になった。雪庇の崩落も、雪 
崩学の世界においては雪崩の範疇に入る。登山者が雪を体系的に熟知していれば、こんな事故を起こさなかった可能性が払拭できないように思えて仕方がないのである。雪崩事故の想像を絶する恐怖は遭った者にしか判らない。本件の事故に対し、登山者はどう考えているのか気がかりなこの頃である。


【コースタイム】

12月28日 :栂の森ゲレンデ脇の林道 16:00(天張) 

12月29日 :天場        8:40        
        成城大学小屋    9:45        
        天狗原      11:15/12:30  
        天場       14:00        
        ゴンドラ下    15:00        



                                 (酒井正裕記) 

                                  電子化 作野 


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