ら・ねーじゅ No.260
1998.3−5月号
湯ノ丸山
1998年1月24日
菅沼 博
1998年1月24日(土) 地吹雪
今シーズン初めての山スキーなのに、さんざんなスタートを強いられた。
酒井リーダーほか大勢の参加者があった。途中では弱層テストも行った。降雪があっ
たばかりで全山真っ白と、前回(10年程前)の印象とは全く違っていた。新幹線の
開通で小諸へ行く直通がなくなってしまい、シュプール号で万座鹿沢口からタクシー
で地蔵峠へ(8500円程)登り、食堂で完全装備に着替える。賀来さんは朝の新幹
線とタクシーで地蔵峠へ来た。
今回はビッブスをたくさん持参したので、リフト終点でビップスの発信テストを行
い出発する。途中あずまやの所で酒井リーダーが弱層テストのやり方を全員に教えた。
ここには遭難防止用の鐘も設置されている。最近雪崩に関する関心が高まりどこの会
でも雪崩講習会が行われているようだ。だが所詮登山者と山スキーヤーでは積雪その
もののとらえ方が全く違うような気がする。もちろん雪崩事故に対する救助技術は同
じなのだが。
ツボで往復のパーティーと頂上直下ですれ違う。悪天(見通しはそこそこ)に阻ま
れ頂上直下の登りは随分苦労を強いられた。シールの具合がいまいち、のメンバーも
おりちょっとした急斜面で余計な苦労を強いられている。
頂上は強風が吹き荒れており気温も低い。たかが湯ノ丸されど冬山、顔にしっかり
凍傷が.....下山は要領を得ずてっきり角間峠へと思いこんでいたので、先行2
パーティーがどんどん右手の方へ滑って行くのに驚く。 結局ゲレンデへ出るまでス
キー場に下ることにはほとんど気がつかなかった。あれあれと思いながらもただつい
て行くだけになってしまい、開けた斜面、開けた斜面と滑ることのみに集中してしまっ
た結果、地図も見ないし、ルートの確認もしないしということになってしまった。藪
が多少あったが幸いな雪質に助けられ(助けられなかった人もいたが)無事休業中の
鹿沢スキー場のゲレンデに降りた。
シュプール号で日帰りのメンバーは酒井リーダーが車で万座鹿沢口まで送ってくれ、
ギリギリで間に合ったが、おりてからがせわしなく大変だった。