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ら・ねーじゅ No.260
1998.3−5月号


小谷温泉から雨飾山             
                          1998年3月21日 
                   メンバー:L藤田、手塚、小林、梅原 


3月21日(土) 朝のうち小雨後晴れ
 3月20日(金)の中央線夜行のシュプール号とアルプス号で、それぞれ南小谷へ向かった。翌日はお彼岸の祭日なので列車は混雑していた。2年ぶりの夜行列車で山屋の中に置かれたので、この雰囲気が懐かしいと感じた。「はまってしまうとまずいな」とも感じた。

 南小谷駅から田中下までの一番バスには、お客は我々のみであった。この地方を訪れるのは数年ぶりだが、姫川の荒れて殺伐とした風景に鬱屈した気分になった。

 田中下まで太田旅館のマイクロが迎えに来た。身繕いを整え太田旅館を9時30分に出発。雨飾山荘で除雪が途切れシールを着けた。この辺まで数パーティーが車で入っている。大渚山にしろ雨飾にしろ、なかなかの賑わいである。
 沢沿い林道を詰め、さらに荒菅沢に入るべく大海川を進み2回スノーブリッジを越えるが、積雪が乏しくこの先行き詰まりそうなので、先行者のトレースが示すように、尾根に取り付くため、河原からのきつい登りに移った。やがてぶな林の中に斜度は緩んで、小雪がチラチラするなか、小さな尾根を辿っていった。

 目指す標高1838mのピークが近づくが、傾斜がきついのでトラバースして回り込もうとしたが、そのルートもかなりの斜度である。ガスが晴れ、向かいの山々が見渡せた。

 足元に滑りごろのすり鉢状の広大な沢が広がっている。トラバースは苦しい。「えーい、もうすべってしまえ!」、早速滑降を始めた。ブナの小さな尾根に沿って途中の雪崩のデブリの末端と同じ高度まで滑って後方を見上げると、快晴の青空に白い峰が鮮明であった。

「もう一度滑ろう。」ということになった。小林さんは昼食をとりながら待つことにしたが、他の3人はデブリを横断して反対側の尾根にとりつき、今度は1838mのピークに登った。私は今日中に帰るには、4時半発田中下のバスに乗らねばならない。この際二夜連続の夜行列車も辞さず。この天気で登らないわけにはいかない。(土曜日は大糸線から直通の新宿への特急・急行は少ない。松本8時のあずさが最終。但し松本から篠ノ井線で長野に出て新幹線なら、5時台のバスでも辛うじて、その日のうちに帰れる。)

「大荒れにはならないが、決して好天には恵まれない。」と思っていたが、1838mのピークに2時頃立った時、快晴になった。雨飾山頂はすぐにでも登れそうなほど近く、なるほど素晴らしい山だと感心した。もちろん怖そうなので登りたくはないが。北アルプスも火打方面も青空に鮮明である。しばし展望を楽しんだ。

 登って来た尾根に沿って滑降。雪はやや重い。久しぶりの短いスキーにバランスが不安であったが、大斜面やブナ林を縫って滑れば心が弾む。

 やがて樹林が密な斜面に入ると、お決まりの腐った雪。しかし私にはパウダースノーより腐れ雪の方が向いている。鈍臭いスキー技術で先行パーティーを抜き去った。

 大海川を見下ろし、先程越えたスノーブリッジの箇所が確認取れた。あとは往路を帰るのみである。

 太田旅館に3時55分に到着。「マイクロは出せない。」とのこと。田中下まで4kmと聞き、「30分か、これはぎりぎりだ。」メンバーに別れの挨拶もそこそこにスタート。慌てていたので少々忘れ物をして、藤田さんにはご迷惑をかけてしまった。兼用靴のままスキーを担いで走ったのは初めてだ。下りなので何とかなった。4時25分に田中下に汗だくになって到着した。靴擦れはたいしたことなく、兼用靴でもその気になれば走れるものだ。

 松本までは各停で2時間。最終の「あずさ」で帰った。


コースタイム
小谷温泉9:30→大河原11:00→1回目の滑降開始地点12:30/13:45→1838mのピーク14:10→小谷温泉15:55



                                   (梅原記) 

                                  電子化 作野 


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