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98年年末の関西遠征           

その2 : 愛宕山登山競争            



                           1998年12月6日 晴れ 
                               メンバー:梅原秀一 

 三条京阪から各所にバス路線が延びているらしく、7時過ぎに清滝行きに乗車した。渡 
月橋で有名な嵐山から北へ山間部に20分ほど入った所が清滝で、愛宕山神社の登山口で 
ある。美しい渓谷であった。                            

 山頂の愛宕山神社は、都営地下鉄御成門駅側の愛宕神社をはじめとして、全国に何百と 
ある愛宕神社の総本山である。また、歴史好きの人ならば、明智光秀の謀反を決意した連 
歌、「時は今あめが下しる五月哉」とうたったのがこの愛宕山であると、思い浮かべるだ 
ろう。                                      

 レースは京都トライアスロン協会主催の10回大会である。とはいえ主催者は言う。  
「昨年は50人参加したのだが、今回は20人あまりと寂しい」こんなマイナーレースは 
初めてであった。                                 

 表参道をつめるレースで、完全に登山道である。この夏入山の登山者が一人、行方不明 
だそうだ。好天なので登山者が続々と登り始めていた。人気あるハイキング・ルートなの 
だろう。                                     

 9時30分にスタート。清滝の標高は約120m。 ゴールは神社直下約870mで、 
コースの全長は約6kmとのことであった。参加者の多くは、京都トライアスロン協会会 
員のようであった。 大抵のトライアスリートは、ランニングは恐るに足りない。 特に 
6km程度では自慢のスタミナは発揮しきれない。しかし毎年優勝のあんちゃんは強かっ 
た。中盤でいきなりペースアップされて振り切られた。約50秒差の35分53秒で2位 
でのゴールだった。                                

 ゴール後神社を参拝して、往路をジョグで下った。レースでは風景など楽しむ余裕はな 
かったので、この下山でコースの雰囲気を味わった。といっても、特に変哲のある山道で 
はなかった。杉林の中で展望は得られない。紅葉はこの年の他の山々と同様、鮮やかとは 
いえないものであった。ランシャツとランパンで冷え切った体に、下山後の主催者のふる 
まってくれた豚汁がありがたかった。                        

 賞品に巨大でずっしり重い、アイスホッケーの用具も入るようなスポーツバッグをもらっ
たので、その日の午後の観光に閉口した。何しろここまで来た高い交通費のもとを取ろう 
と、嵯峨野の数多くの寺院を回ったのだ。しかし、拝観料はちょっとした寺は五百円であ 
る。実に五千円近くかかった。このうえ賽銭も払えっていうのか?ためらってしまう。  

 多くの寺院のうち宝篋院(ホウキョウイン)は、くぐり戸から庭園に入った人は必ず感 
嘆の声をあげた。庭に散り落ちたモミジの紅の鮮やかさに驚くのだ。同じ地域の他の庭園 
と何故こうも異なるのだろうか?                          

 嵯峨野を静かに物思いにふけりつつ散歩するつもりだったが、スポーツバッグは重いし、
紅葉最盛期のせいか人の群れは押し寄せる。なる程京都は観光都市であった。湯豆腐とミ 
タラシ団子の店の多さといったら・・・ それから感心したのは老人アマチュアカメラマ 
ンの団体。三脚禁止の立て札をものともせず、混雑した庭園の通路に大型カメラに大型三 
脚。傑作のためには木の根がえぐられることなど、些細なことに過ぎないのであろう。  

 嵯峨野から嵐山の渡月橋に着いたのは日没の頃であった。この辺りはみやげ物屋の集中 
した区域である。京都でさえも、それらしい特色あるみやげ物は少ないようだ。京福電鉄 
と阪急と地下鉄でホテルまで戻った時は疲れきっていたが、夜の新京極へ勇んで繰り出し 
たのだった。                                   

                                  (梅原 記) 


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