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エクランの山々(ラ・メージュ東峰とペルブ)
1999 7/26〜8/12
                                     白澤光代他1名

 La Meije Oriental(3891m) 小屋3411m 取り付き 1660m往復コース ラ・グラーグから Mont Pelvou(3943m) 小屋2700m 取り付き1498 m 縦走コース エイルフルワドから今回はいつもの旅行社に頼まずJTBでJAL悟空の航空券とジュネーブのホテルとってもらい、ガイドは手紙で頼んだ。ガイドのフレッドからの返事はE-mailで届いた。

7/26(月)
神戸の片岡さんと一緒に関西空港からチューリッヒを経て、ジュネーブ

7/27(火)
ジュネーブでニース行きの電車に乗る。駅のホームに入る前に出国検査と入国検査があった。グルノーブルで降りる。タクシー乗り場はすぐ見つかった。ラ・グラーブと言う地名とホテル名を書いた紙を見せると、運転手はOKと言った。端数をチップとして700FF払った。ホテルはラ・メイジュのスキー場のロープウェイ駅の前だった。大きくて外観はgood、プールさえ在る。しかし建物は古く部屋のドアは蹴とばさないと開かないし、トイレのドアは歪んでいて閉まらなかった。でも部屋は広くテラスは二つもあり、オーナーの女主人はとても親切だった。
 午後は上の集落に見える教会目指して急坂を登る。か細いハイキングコースが牧草地についていた。急坂の傍らの柵も無い狭い庭で、放し飼いの鶏が歩き回っていた。教会の墓地には、陶器でできた花々が美しく飾られていた。

7/28(水)
二人でハイキング。部屋の窓から見えた対岸の急な草地を登る。途中で雨がパラつく。登り続けると小さな小屋があった。さらに登ると目の前に氷河を付けた壁が現れた。ひどくか細い道は上に向かい、ハイキングコースを示すケルンは左にある。少し登って氷河の風景を楽しんでから、橋を渡り右手の樹林帯に延びる踏み跡を辿る。このコースはあまり歩かれていないらしく、藪が茂っている。踏み跡を見失ったれど、小屋に近づくとの裏にしっかりしたコースが見つかった。ハイカーがにぎやかに降りてくる。

7/29(木)
 ロープウェイで中間駅まで行き、上の駅まで歩く計画。 降りると目の前にラ・メージュの氷河、反対側にはバノワーズの山々。昨日のハイキングコースよりぐんと迫力在る景色だ。小さな池に向かう。さらに上に向かうハイキングコースを少し辿り、分岐近くに座る。もしかしたら行くかもしれないルートを見ようと目をこらす。一組のクライマーが通った。彼等の行く手をずっと見つめる。彼等は一度下って沢を渡り、ガレバを歩いている。
 二人が岩場に取り付いたところで我々は腰を上げた。一度戻って反対側のコースから上の小屋を目指す予定。昨日とは打って変わってガレバだ。ペンキの道標がある。氷河の流れを堰き止めかのような小さな池があり残雪が少しあった。しばし休憩。この池は我々の位置が高くなると青く青く見えるようになった。小屋に着いた。軽食を頼んだ。ウェイターの少年は少しだけ英語を話した。
 この小屋から上へは道標は無かった。小屋の右手からも左手からの上に向かうペンキがある。右側を辿った。ルートは尾根に向かう。はっきりしているがか細い。地図のルートは尾根を通らない。変だと思って見ていると巻道のコースを降りてくる人がいうる。そちらにガレバを横切って方向転換したら、しっかりしたルートに出た。だらだらした登りが続く。下るパーティがチラホラ見える。北アの雪渓のように尻セイドーで遊ぶ人も見える。近そうに見えてなかなか着かない。曇ってガスが出てきた。ぽつぽつ雨が降ってきた。なんと霰になった。焦って登ると鉄塔が見えてきた。しかし駅はまだまだ上だった。雷雨になったときやっと駅に着いた。氷河の方からずぶ濡れの登山者が続々やってくる。ロープウェイですぐ下った。でも下のラ・グラーグに着いた時はもう陽がさしていた。

7/30(金)
昨夜フレッドから「朝食から来てくれる。」と電話があった。ホテルの入り口で待つと、フレッドが現れた。「今日はどこに行きたいか。」と聞かれ我々は昨年の岩のショートルートを頭に浮かべ「岩」と答えた。10時にハーネス・ヘル・下降器・行動食を持って出発。 彼はガイドブックから二つのルートを探し「長いルート」にすると言う。W+が少し含まれXも一つ。7ピッチでタイムは1.5h〜3h と記されていた。エイト管も持ったしダメだったら降りようの考えも彼には在ったと思う。
 すぐ近くの橋で車を降りる。ガレバを直登した後トラバース。踏み跡はか細く不安定だ。直上する草混じりの小さな尾根を登りきったた所が取り付きだった。フレッドは体重の重い私に新品のザイルを、片岡さんには使い慣れたのをセット。始めがいきなりハング気味。ハングは嫌いなので右にルートを探して登った。上で確保してくれているフレッドは見えないので、なるべく楽なルートを選んで登る。何故か、ランニングビレイは難しいところに在るので、仕方なくしばし方向転換させられる。フレッドに「出だしは難しかったから別ルートを取った。」と話すと「It'sOK、登れば何でも良い」と言ってくれたし、登るフレッドの姿はすぐ見えなくなるので、それからはもっぱら易しいルートを探した。続いて登る片岡さんが見えた時フレッドは確保を私に任せて2本のザイルを引いて登っていた。私用のザイルは新品なので、キンクしたまま上がって行くのが見えたけど、確保中の私には手に負えなかった。2ピッチ目にそれを見つけたフレッドは「危険だ」と怒ったが、「知っていたけど出来なかった。」と答えると、それからほぼ二人が登り切るまでフレッドが先行する事は無かった。
 楽しく登っていったら、ランニングビレイはかなり右のフェイス。上からフレッドに「トラバースせよ 。」と言われ渋々従う。なかなか上がってこない片岡さんに「雅子は眠っているのか。」「ハーケンが在った所は難しい。」と言うと、短気なフレッドは片岡さんを引き上げるべくザイルに滑車のような細工をし、ぐいぐいと3回ほど揚げた。難所を終えたザイルはそれからするする上がった。しかしこの岩場は脆い。フレッドが掴んだ岩がポロと欠けたり、私が登った足場が崩れて落石を起こしたり。フレッドは下降する事は諦めたようだ。次第に難しくなる。
 最難所はハングの下で、上からセルフビレイし腰が置けるだけのステップに座ったフレッドにここにに来いと言われた所は、足の先が5cm程掛かるだけ。ビレイのザイルにぶら下がって休んだ。二人をハーケンにビレイし、ザイルを操作しているフレッドは眠る鶴の用に片足で立っている。フッレドに「奇妙なっかこうだ。」と言うと「ザイルを信じているから、こうして休んでいる。光代もするか?」あわてて「ノー、ノー。」そこからの始めの3歩は、フレッドが自己ビレイしていた長いテープを置いていってくれたので、それを掴んでゴボウで登る。ハングで、テープが無かったら登れなっかたと思う。
 小さい階段状の花崗岩で楽しく登れそうになったら雨が降り始めた。二人を交互に登らせているのでザイルが上がらなくなった。でも「弛んだザイルで登るな」と怒られたので、待っては登り待っては登りになった。最後の2ピッッチは易しかったがガレバとも言え、ザイルが落石を起こすのでぐいぐい登るわけには行かなかった。
 上は草原だった。エーデルワイスを次々と見つけた。ハイキングコースを外れると沢山あるらしい。踏み跡を下ると橋に出た。急な踏み跡を下ると車を置いた橋はすぐだった。今日は6時間も掛かった。フレッドは「遅い遅すぎる」とお冠で「明日は雪のコースに行く。」と宣言した。しかし3hはともかく、ガイドブックの1.5hというコースタイムは信じられない。

7/31(土)
今日はアイゼン、ピッケル、ハーネス、ストック、ロングスパッツ、厚手の毛の手袋という北アの5月の装備。ロープウェイで上に登り氷河を横断し、ピック・ラグラーグを目指す。雪の急斜面を登り岩稜に出て帰りは直接氷河に下る回遊コースを取ると説明してくれた。1本のザイルに繋がれて氷河歩きを楽しむグループや、ピークを目指すパーティがたくさんいた 。ざくっと開いたクレバスの上の氷河の急斜面を登るとピークは岩。取り付きまで氷河の踏み跡を辿る。
 クレバスの端を目指して登り、その端に二人を座らせると「光代ビレイ。」と言ってフレッドが登り始めた。片岡さんは懸命にザイルをほぐす。「ここは氷だ」の声が上から来る。アイススクリュウで支点を取ったフレッドから「来い。」の声。片岡さんが先、次に私で二人一緒に登る。途中から右手はピッケルで左手は雪をホールドにして登る。今日のペースは快調で、フレッドは私のカメラを持ち、写真を撮ってくれる。ランニングビレイは残置のテープにかけられていた。「テープは置いてこい」の声にアイススクリュウまで置いて行って「あれはチタンだ。高いんだ。」と怒られてしまった。少しトラバースしてから数m下るとリッジに出た。そのままトラバースし雪の斜面を登るパーティがほとんどで、氷河から直接から岩場の基部の雪を登る人が多い。リッジ好きなフレッドは「ここを登る。」と言う。そして頻繁にストップさせ写真を撮る。
 ピークで行動食を取っていると、我々と同じルートを登るパーティが下に見えてきた。「彼等も岩を登る。」と言っていたフレッドが突然「行こう彼等は岩を登らない、下で合流しよう。」という。ぴったりリッジの下の雪の斜面で合流。フレッドは男性二人を連れたガイドにアイススクリュウを見なかったか聞く。「知らない。」の答えだったようだ。「登り返して取ってくる」という。それからクレバスの反対の端目指して下る。ぴったりクレバスに誘導したフレッドは「パーフェクト。」と満足。クレバスの縁を辿るが足首まで潜って早く歩けない。「早く早く」と後ろからせかす。端に着くと「光代ビレイ。」と言って、ダブルアックスであっという間に登ってしまう。写真を撮ってる片岡さんに「そんな事してないでザイルほどいて」と思わず叫んだ。戻ったフレッドは「僕も息がきれた。」
 再び雪原をロープウェイの駅まで戻る。ハイカーと合流する前にハーネスやアイゼンを外す。駅はにぎやかだ。

8/1(日)
Mt.Pelvoouxに登るのでフレッドの車で昨年泊まったエイルフルワドに向かう。大きなテント場とホテルが数軒スーパーだけの避暑地で、気持ちのいい場所だった。ガイド組合に行って来るというフレッドをしばし待ってから、ペルボックス小屋に登る。昨年片岡さんがマーモットの写真を撮った小屋で、また会えるかなの期待があった。途中から、空腹もあって片岡さんのペースに付いて行けなくなる。
 かって知ったるコースなので、焦らず遅れて行く。雨が降るかもナーという空だった。小屋の周りにはマーモットはいなかった。オーナーが代わったそうだ。昨年は明らかに餌付けしている雰囲気だった。 夕食はスペインからの二人の男性とフランス人ガイドが同じテーブルだった。男性陣の食べぷっりは見事でスープの鍋が空になるとお変わりを要求し、それも空にした。次の出てきた豆とガチョウの肉の煮込みは、皆肉を残して皿に盛る。でも、最後は肉も分け合って食べ尽くした

8/2(月)
快晴。3時起床、パンとチーズと紅茶の朝食。ハーネスを付けアンザイレンはしないで、ヘッドランプをつけ出発。ガレバを登る。時々小さなケルンの道しるべがある。雪のガリーに出ればピークは近いはずと思うけどなかなかガリーに出ない。雪にでた所でアイゼンを付け、ザイルに繋がれる。どんどん傾斜がきつく幅も狭くなる。しかし余裕のフレッドは時々「ストップ」と言って、我々の写真を撮りながら登る。上は頂上から続くなだらかな雪の稜線だった。昇った太陽は周りの山々を鮮やかにみせていた。1本のザイルが置いてあった。スペイン人を連れたガイドが置いた物らしい。小休止して頂上へ。山頂には6人のイギリス人パーティとスペイン人がいた。山頂からは遠くモンブラン、さらに遠くスイスのモンテ・ローザ、近くは南壁を見せるラ・メイジュ、氷河を付けたパール・デ・エクラン。見渡す限り山が連なる。フレッドは「母がモンブランよりずっと良い山だ。一番好きだと言ってるんだ。」という。同感だ。人が少くて展望は勝る。
 ここで、フランス人ガイドにフレッドは頼まれたらしい。「氷河の写真を沢山撮ったなら自分にも分けてくれ。客に見せたい。」 傾斜がきつい所は後ろからフレッドに確保されて下ったが、緩くなると「I fast」とへレッドが先頭で走るように下る。氷河はここでも後退し、クレバスが多い下部はガイドブックのルートとは変わって岩場に出てがリーを下った。残置ハーケンも沢山あった。先行者が懸垂で下るところはフレッドにつり下げられて降りた。下でフランス人ガイドにザイルを解いて岩場から離れろと注意された。
 次の下降点で6人のイギリス人に追い付いた。彼等の動きは遅い。偵察にいったフレッドは「岩場なのにアイゼン付けてるから遅い。」と不満そう。待っている間に若いスペイン人が英語で話しかけてきた。「驚いた。貴女達は氷河をかけるように下った。You are good」それを聞いたフレッドの顔に満面の笑みが浮かんだ。そうです。素晴らしいのはフレッドなんです。中年のスペイン人もフレッドの事を「変な客を連れたガイドから 有能なガイド」に評価替えしたらしく、フレッドに姓名を聞いていた。スペイン人は正統派で懸垂下降し、我々はフレッドに小ハングをつり下げられる。落石が起きるので、 ガリーを彼等がくだり切るのを待ってから降りる。氷河を横断し再び溝を降りる。せっかちなフレッドはここスペイン人を待たずに、違う下降点を探し、彼等を追い抜いてしまった。
 氷河の末端でアイゼンとハーネスを外す。しかしここから長かった。いわゆるハイキングコースでは無く時々ちょっと危ないところが現れる。始め「岩か雪か」と聞かれ「雪がいい」と答えると、始め急な雪渓下りのようなコースだったが、その後はガレバだった。先に行くフレッドは必ずちょっと危ないところで待っていた。下に車道が見えて後少しの所で一人のイギリス人が呆然として座っていた。Tシャツの肩に直径10cm位の丸い穴があいている。仲間も座り込んでいる。何が起こったのか。彼らを抜いて下る。下に出るとフレッドが「車を取って来るから、始めにあったレストランでビールを注文て待っていてくれ」と言い置いて行ってしまった。
 レストランにフレッドのミレーの黄色のザックを見つけ、日陰に座る。ショウケースを覗くとこってりしたタイプのケーキが沢山あるが食指は動かない。 ビールを注文する。戻ってきたフレッドが車からサンダルを持ち出してくれたのは嬉しかった。サラダを注文してもらう。これは今回食べた中では一番美味しかった。スペイン人達が一緒に乾杯しようと言ってくれた。「congratulaion」中年男性の方は筋肉質でガイドかと思うくらいだった。 フレッドは片岡さんに「サンダルを買え。」とスポーツ店に寄る。これはとても軽くてお土産にしたいなあと思い後で探したけど見つからなかった。

 8/3(火)
リラックスデイ。フレッドは昨夜リヨンから来たガールフレンドとデート。我々は再びロープウェイの頂上駅へ行く事にする。前回は嵐で何も見えなかった。のんびり景色を眺め景色の案内板をみる。ここからモンブランが見えるそうだ。

8/4(水)
ラ・メージュの山頂は見えないし、これから数日間好天は期待できないらしい。「フレッドがラ・メージュ東峰なら早朝3時間晴れだ行けるから、悪天でも行こう。」と言ってくれた「.Tシャツの換えを持て。」との事。イーグル小屋までは登り6時間である。登山道に入ってすぐエーデルワイスを見つけた。登山道の傍らで見たのは初めてだ。ジグザグにのぼる。2時間後雨が降り始めた。行動食用に買って来たキッシュはとても喉を通らず、羊羹を食べる。台地にでた後、雪の斜面を登り、岩の尾根を辿り氷河に降りる。
 岩尾根の前でアンザイレン。先行者の姿がガスの中に見えた。雨具のズボンを付けなっかたため私は下半身がずぶ濡れになる。ズボンの中を水が流れるのを感じる。寒さと疲れを感ずる。後から片岡さんは「あの時は唇が白かった。」と私に言った。
 イーグル小屋は氷河の上に付きだした岩にへばりつくように在った。トイレは別棟で、20人程収容の2段の蚕棚と、テーブル二つの食堂と、厨房が在るだけ。換えズボンも何もない私はパンティを換え、雨具のズボンをはいて毛布に潜る。片岡さんは幸運にもタイツを持っていた。アンダータイツや短パンだけの同宿者が居た。全員濡れた衣類やハーネスを小屋の天井から吊り下げる。客は全部で10名。フレッドは厨房に手伝いに行く。小屋番は二人。食料はヘリで運ぶのかなあ。ここでもスープ、メイン、デザートが出るのだ。夕食は美味しかったけど味が濃かったので、我々はかなり赤ワインを飲んだ。親子と見える男性の父親の方は小屋の中や外をビデオを撮影している。あと二組の若い男性。彼等の靴を観察。私はがっちりした革靴で、フレッドはケイランドの布の軽登山靴。ここでは軽登山靴は彼等だけ。でもペルブでは重登山靴の私がむしろ異端だった。小屋からトイレの方向は風が当たらないが、氷河に向かうと強風が吹き荒れる。フレッドが「疲れたか」と心配そうに問うので[NO]と答える。

8/5(木)
 4時起床。外を窺ったフレッドは出発を遅らせると言う。しかし朝食後小雨が降り始めているのを確認すると「すぐ、出発。」と変更した。良くなる見込みは無いと考えたようだ。氷河を横断し雪の斜面に取り付く。同宿者も全員出発した。尾根に出た所は急斜面だった。先行者は大きなステップを切ってゆっくり登る。
 登るきると先行者はそこから露出した岩場に移って登っているがフレッドは「帰りの為に僕はステップを切り続ける。」と言って大きなステップを切り続けてくれた。腕を交換しながらバイルを振るう。後続の人たちはフレッドがするのをただ待つ。さらに細い尾根を登り続けると狭いピークに出た。10人が全員そろった。皆高度の影響で辛そうだ。
 一番始めに下る。あの急斜面でフレッドが「後ろを向いてクライマーの様に降りろ。」と言った。後ろ向きで降りろと言ったのは初めてだ。でも大きなステップが在るので下れる。片岡さんは足が届かないのでずり落ちたとこも在るという。フレッドは「ステップが無いと一人づつ確保しなければダメ、だから疲れたけどステップ作った。」と言う。
 イーグル小屋が見えた来た。鷲の巣は相応しい名だ。氷河から突き出た岩に小さな小屋がへばるつくように在る。近藤等氏の本の「小屋まででもクライミングだ。」の文が思い出される。小屋で行動食。フレッドに何頼むと聞かれて「ホットミルク」と二人して言う。他の人は疲れた表情でも、食べている。我らは元気な顔だが食欲は無い。
 下山は氷河を横断し岩場に取り付く。鎖が在る。5m上のはスキーツアー用だという。ロープウェイは無いし「素晴らしいけどハードなコースだなあ。」と思う。尾根に出て岩を下り雪の急斜面を下る。さらに登りではガレバを登った所で岩か雪かと聞かれ雪というと、雪渓に向かった。台地に出た。下は晴れているが稜線はガスの中。葛籠折りのコースに出たらフレッドは車で待つ、と言って駆け下って行った。
 雨中登山について「better than nothing]がフレッドの言葉だった。下山後フレッドはゴアテックスを新調したと言った。雨の中を歩くことはあまりないらしい。私も「あの特別な小屋に泊まれて良かった」と答えた。
 この夜フレッドに「今までのヨーロッパの山でどこが一番良かったか」と聞かれた。片岡さんはハズと知り合った、マッターホルンと答えた。私はアイガーと答えた。「シャモニのガイドと行った。ガイドもenjoyした。」賑やかすぎる山は好きじゃないので「モンブランもマッターホルンも人が多すぎる」と付け加えた。

8/6(金)
 バノワーズ国立公園に近いモダンへ移動する。9時半に峠に着く。植物園はまもなく入れる。そこでは大輪のオダマキや、全長10cm 程の水芭蕉、2mはある菊科の花が咲き誇る。薬草園にはジキタリス、トリカブト、などラ・メージュを借景として見事に花が咲く。モダンのホテルでフレッドと別れた。モダンは過疎の町だった。駅付近は一応繁華街。ガイドブックを探した本屋で地図入りの本を立ち読みしたら「don't touch」といきなり怒られた。彼女は英語はそれしか言わなかった。写真と地図が入った本が欲しかったが無かった。レストランは一軒だけ、カフェは何件か在る。我がホテルは広いレストランルームが在るけど閉鎖していた。教えられたレストランは幸いにも安くて美味しかった。それから毎晩そこに通った。

8/7(土)
 スポーツ用品店で見つけた地図でハイキングコースを決める。谷から中腹の山小屋まで車道が入っている。ハイキングコースもついているが歩けば半日はかかりそうだ。タクシーを使うことにし駅に行く。待っていたのはジープ型のタクシーで仕方なくそれに乗る。デイバックを荷物置き場に入れ、我々二人を運転席の横に座らせる。綴れ織りの坂をぐんぐん上ると、素晴らしい展望が広がる。200FFだった。降りたところは左右にコースがある。右は険しそうだが左はなだらかなピーク。
 先行者は皆左を登る。樹林帯を抜けるとアルプで延々と奥へハイキングコースは延びている。右手の谷を隔てた連なりは少し氷河もある。小さな峠を越すとさらに奥に峠が見える。そこまでは秋吉台のような雰囲気だ。白い岩が積み重なるところでマーモットを見た。空は雲行きが怪しい。
 峠に出た。反対側は5月の剣の雷鳥沢のようにまだらな雪と青い小さな池、遠くに小屋もはっきり見える。雰囲気は北アの峠なのに周りの岩山の標高は3400mもあるのは変な気分だ。反対側の斜面には氷河が在るらしく、頂上付近が白い雪の皮をかぶっている。引き返し途中から小さなピークの反対を巻くコースを取る。山小屋に出た。少し下に車道がある。片岡さんがタクシーを頼んでもらうと行って山小屋に入る。そこは電気がいなくて真っ暗だったけど、携帯電話でタクシーを呼んだでくれたそうだ。

8/8(日)
 帰りの飛行機のリコンファームを忘れていた。旅行社を探すがモダンには無かった。ホテルのカフェの女性に聞いてもリヨン行かないとエールフランスは無いと言う。東京のフランス政府観光局でもらってきたパンフレッドにエールフランスとJALのパリの電話番号を見つけたが、何回かけても誰も出ない。もっと大きい町に行こうと電車に乗る。 再びJALのパリ支店に電話。フランス人が日本語で応答してくれたそうだ。先ほどは昼休みでだれも出なかっただけらしい。この町は銀行が日月連休。 8/9( 月 )夏だけ在るというバスに乗って、再奥の小屋まで行き付近をハイキングする予定。 バスから見える景色は素晴らしい。バスの終点はスキーリゾートで、ハイキング基地でもある。リフトの下に直登する踏み跡が在る。狭くて急だ。かまわず登ると小屋が見えてきたがスキーシーズンではない今は閉鎖されていた。突然馬に乗った10人ぐらいのパーティが来た。片岡さんはガイドに手真似で「下までずっと平らなコースか」と聞かれていた。「そうだ。」と答えると、ガイドを先頭に駆け下って行った。スキー場の後には伸びやかな草原が広がる。この草原を馬で駆け回って戻ったのかなと思う。 馬の足跡を探してルートを探る。か細い踏み跡を見つけて辿る。人影は全くない伸びやかな草原。またもや雨が降り始めた。岩の下で雨宿りしながら行動食を取る。車道はかなり下で、ルートを見つけられないと降りられそうもない。滝が連なる沢に出た。その脇に踏み跡が見つかった。地図の下降点とは全く異なるけど下る。岩場にはザイルがヒックスして在った。

8/10(火)
 シャンベリーを経てジュネーブへ。 8/11(水 )今回の切符は帰りはパリ経由なのだ。パリ空港で日食を見ることが出来た。

ガイド:Fred Auge E-mail:fred.auge@wanadoo.fr

 


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