富士山須走り口
2003年5月24日 メンバー:梅原 5月24日晴時々曇り 自宅を午前4時30分に自家用車で出発。用賀で東名に4時45分に入りスイスイと行く。須走り口への登りにかかる直前で、カーナビの「5km以上直進」の指図に従うと、東富士五湖有料道路に導かれて山中湖まで行ってしまい、往復1000円以上搾取された。純正カーナビはこんな形で道路公団に貢いでいるのだ。時間の方も30分以上ロスしてしまった。 恐れていた須走り口登山口への道路は、道幅が広く他に全く車に出会わなかった上、すでに明るくなっていたので、難なく到着できてホッとした。丁度7時であった。登山口は意外なほど静かだった。駐車場はガラガラ。山小屋2軒はもう開いているが、出発するところの二人組み1パーティの他に人影はない。すぐ足元に輪郭が崩れた出来損ないの雲海が広がっていた。この富士の中腹以内の空のみは青空であったが、富士の上部を眺めると、快適に滑れるかどうか心中に暗雲が立ち込めたのだった。 まずは須走りでなく尾根道を選んだため、取り付けたスキーが木に引っかかり苦労した。愚かな判断だった。標高2200m辺りから、時折夏道を残雪が覆うようになるが、藪・砂地が混ざるので、スキーを引きずるなどということは出来ない。 五合目小屋から須走り側に移動し、六合目小屋から雪がうっすらと残っているので、シール登高を始めたが、雪が途切れる個所が多く着脱の手間がかかるので、細引きで引っ張って登ることにした。夏道の左側の残雪を辿りこれからの大滑降に期待を抱き、汗だくで奮闘した。それにしても登れど登れど一向に積雪が増えてこない。3000mを突破して頂上直下まで見渡せたが、その辺りは更に積雪が少なく露岩がぼこぼこ出ていた。この光景にすっかり落胆してしまい、登頂しても無意味と判断した。 八合目標高焼く3400mから滑降開始。僅かに残った雪のコースを選び、約10mの幅でターンしながら滑降した。ガリガリと音がする度に「ゴメン」と謝りながら。3度スキーを着脱して六合目の小屋に滑り降りた。今度はスキーを担いで須走りに下り、筋状に残ったスプーンカットの黒ずんだ雪渓を三つばかり滑った。爽快ではないが標高2200mくらいまで滑れたので、時間短縮には大してなっていないが、兼用靴で山道を歩いて下る苦痛は軽減できた。 登山口に2時30分に下山。路線バスで来た観光客で幾分賑わっていた。今回はスキーヤーをほとんど見かけなかった(事前にインターネットで積雪の情報を得ていて、皆敬遠したのだろうか?私のような縄文人はダメだな。)だけあり、スキーを担いだ姿が観光客に珍しがられた。 この晩泊めてもらう山中湖畔にある知人のコテージへと車を走らせると、須走りインター付近に天恵という日帰り温泉があった。大きなプールなども備えてはいるものの、平日は900円だが土日は1500円と儲け主義である。せっせと泳いでたっぷり昼寝でもしなくては割に合わないのだが、携帯電話で「ビール2ダース買って即座に来い。」とせかされてしまった。 梅原記 |