Last Update : 2004/10/03  戻る

尾瀬 燧岳・至仏山
2004年8月07日
メンバー:菅沼

2年かけて尾瀬の二つの山に登った。

燧 岳  2003年9月13日(土)

東武電車の山岳夜行を利用しての日帰りで計画した。
前夜、浅草発・会津高原で少しだけ仮眠し、早朝バスで沼山峠まで入る。小雨が降っておりどこまで行こうか悩む。6時半過ぎにとりあえず尾瀬沼へ向かう。ハイカーが多い木道を登る。途中の展望台では尾瀬沼方面が望め天気はそこそこ持ちそうだ。大江原湿原の分岐で一休みし腹ごしらえとする。
尾瀬ヶ原への道に入り少し進むと燧岳への長英新道が分岐する。前日からの雨で木道を一歩離れたとたんドロドロの登山道に変身してしまった。ドロと水たまりをよけながら登る。尾根に登ればこのドロドロから開放されると必死になって登る。尾根に出たら少しはましな道になった。ミノブチ岳直下は少し急だが、ミノブチ岳からの展望は雄大で風が気持ちいい。この辺で先行者に追いつく。
山頂マナイタグラへの登りは急登だ。この急登の手前にコケモモが赤く熟しており、躊躇せず摘んで食べた。後でここは尾瀬、いけないのかなとも思ったが後のまつり。ひと登りで9時半ころ山頂に到着した。山頂には思ったより大勢がいて驚いた。
12時半過ぎには御池に下山しなければ帰りのバスが不便なので、早々に下山を開始する。熊沢田代の池塘がはるか下に見え、御池からの登山者が大勢登ってくる。この道はけっこう急で難儀そうだ。ここの下りで足がパンパンになってしまい、熊沢田代で少し休む。天気は快晴になってしまいなんとなく暑い。ここですごく足の早い中年おじさんに追い越された。10歳ぐらい上の感じだ。
見る見るうちに木道のはずれまで行ってしまった。ここから下の道がすごい道で木の根・岩、何でもつかんで慎重に下る。再び恐怖のドロドロ道に突入した。パッとしない広沢田代を過ぎると最後の急下りだ。ここの途中でさっきの中年おじさんを追い越す。どうも転んだようで肩が少し汚れている。急いで下るのにはもっとも適していない登山道のようだった。最後の最後にあれだけ気をつけていたどろどろに見事左足をとられズブ濡れ、ドロドロになってしまった。それでも12時半には御池の駐車場に下山できた。バス停横の足洗い場で丹念に洗い流した。
12時50分のバスに無事乗れ、会津高原の駅前の温泉で汗を流し帰京した。

至 仏 山 2004年8月7日(土)

9時過ぎに戸倉の駐車場に着いた。3時間では着けないようだ。すぐにタクシーで鳩待峠へ向かう。何と15分程で峠に着いてしまったのにはビックリした。やっぱりここは歩いてはいけない道のようだ。今日は至仏山に登って山の鼻へ下り、ここ鳩待峠へ戻る周遊コースだ。
早速、9時半過ぎ木道をスタスタ至仏山へ向かって登り始める。尾瀬に“夏の思い出”はあっても冬の思い出はないようだ。ここは積雪期にしか歩いていない、その面影を感じることはほとんどない。樹林帯の木道をひたすら登る。オヤマ沢田代まで登れば展望が開ける。大汗をかいた身体に気持ちのいい風が吹いてくる。尾瀬ヶ原がよく見える。至仏山も見えるが遠く・高い。前回月山に登ったときは最後の急登でバテバテになってしまったのだが、今日は結構スタスタと登れる。もう花は遅くリンドウなど秋の花が咲いているようだ。11時半過ぎに山頂に着いた。もっともポピュラーな登山口から登っていることもあり、人の多さにはただただ驚かされる。小至仏山から至仏山へは大岩を回り込んだり急だったり大変な登りだった。もちろん山頂には大勢が休んでいる。遠くで雷が鳴っているようなゴロゴロという音が聞こえてイヤな感じがする。新しいならまたダムの全容を始めて見、大きなダムに驚いた。奥利根の山々も見えるのだが雲が多い。あまり天気は期待できないようだ。コーヒーを飲んで休んでいるうちに急にガスが出て視界がなくなってしまう。雷はイヤなので来た道を戻るか、予定通り山ノ鼻へ下るか悩む。たくさんのパーティーが山ノ鼻へ下っているので、つられて山ノ鼻へ下ることにした。2時間ほど天気がもつことを願った。
善は急げ、休憩もそこそこに切り上げ12時に下山を開始する。このムジナ沢の道は急なのにしっかりと木道が付けられており、すたすたと下れる。スニーカーなのでどんどん下れ、先行者をどんどん追い越す。天気が悪くなっているのにどうしてあんなにノンビリ下れるのかが不思議だ。途中クサリ場があったが、どうでもいいクサリだった。もう少しで原に出るというところでついに期待していない雨が降り始めすぐに強い降りになってしまった。急な木道はクリアしており問題はないが、石畳の道になってしまい、滑るので往生した。暑いのでザックの上からカッパを着け、ボタンをはずして進む。原に出ると木道をひと歩きで山ノ鼻に着いた。1時過ぎで雷雨が激しい。無料休憩所は雨宿りで満員だ。向かいの山荘の庇の下で雷雨が収まるのを待った。真夏なので濡れてもちっとも寒くならない。少し小降りになったので鳩待峠に向かって登り始めた。延々と続く木道をただひたすら歩く。途中ですれ違う人の多さにまたまた驚かされる。3時前に鳩待峠に戻ることができた。
すぐに乗り合いタクシーで戸倉に下った。帰りは途中で温泉に入り日光を通って帰京した。ずっと雷雨と競争だった。

菅沼記

 


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