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根子岳(信越)

2005年2月20日(日)ガス、曇り

メンバー:田中

9年ぶりの山スキーである。安全、自然、易しさ、時間から根子岳にした。トレーニングもしていないので心配はあった。菅平の旧知のEさんのペンションに泊めてもらい、朝から登り始める計画にした。

再会の山スキーとしては満足であった。

20日(日)は二つ目玉の低気圧が東に抜け、弱い冬型になるはずだが、小雪である。奥ダボスの最終リフトまで送ってもらった。7時40分である。場所を確かめて、リフト沿いを登る。視界はないし、風が強い。避難小屋位までか、と思う。リフトの終いで視界は10mほどだろうか。寒暖計が−7℃を示している。広い様子だが見えない。右手に小さな沢があるので沢を確認しながら進む。寒さが気持ちよく、山の自然の中に入ってきた感じがする。沢が狭くなりだした辺りで左手にプレートを見つけた。7、8mおきにあるようだ。切り開きになり、これならば安心だと思いつつ、ルート・ファインディングの必要もなくなる。一休みしていると一人が滑ってきた。上はガスだという。

プレートは2本分くらいしか見えないが不安はない。すぐに避難小屋に出た。中を見ると大きなザックが転がっている。少し急になるが、プレートを外さないように登る。相変わらずガスだが、風はほとんどなくなってきた。2000m辺りで下りの人が来る。高校生を引率した先生だ。10時頃には時々薄日が差し、ガスが切れ始め、菅平のスキー場が見え、斜面の様子も見えた。幸いだと思いつつ、下りを楽しみにするが、体は疲れ始めなかなか進まない。2100mで後ろから来た人に追い越された。一か所急な所で板を外し登ると、祠が見え頂上だ。へとへとになった。ゆっくり歩き、祠に手を合わせた。四阿山がすぐそこだ。

長居はできず、パンをかじる。それでも景色を楽しむ。牧場のほうから5、6人のパーティが上がってきた。

20分ほど休み、下りにかかるとまたガスが出てきて見えなくなる。雪の跡があるとはいえ、プレートを確かめながら、プルークボーゲンで降りる。2100m辺りで宿の客を案内しているFさんがスノーシューを付け登ってきた。後から大集団が登ってくる、という。登りの時、ガスが切れたこのあたりの斜面がいいと思ったのに視界が無く、残念だ。中高年らしい山スキーの20−30人もいようかと思われるパーティが来た。雪面をガタガタにしてきているので、登りの時の斜面を思い出しながら、脇にそれ、満足の滑りができた。滑っているうちに次のプレートを確かめるという具合だ。ほんの一瞬だ。左の腿が痙攣し始めた。4、5人のパーティが3つあった。

そこを超すと、小屋へのトラバース気味の斜面で難渋して降りる。ガスがびっしりでホワイトアウトである。小屋を見て、斜度が小さくなったので力を入れずに楽にターンする。雪の跡を辿る。

リフトの上に出た。ゲレンデも全くのガスだ。ゲレンデの下につき、ホッとする。

3日後に熱が出るほど疲れた。

[タイム]
奥ダボスリフト下7:40、ガス、強風−リフト上8:10−1650m 8:40/55−避難小屋9:05ガス−頂上10:30/50視界あり−避難小屋11:20ガス−リフト下11:35

田中 記


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