Last Update : 2007/3/28  戻る

VALLEE BLANCHE(バレー・ブランシュ)
2007年 3月14日(水)

メンバー 作野、(ガイド:クリストフ、他Tさん(60歳)、O氏(70歳)、K氏(71歳)の3名)

2007年3月14日(快晴、無風)

私も今年3月で職業生活を卒業します。卒業旅行で、かの三浦敬三さんが99歳で滑ったVALLEE BLANCHEを私も滑ってきました。

今年はエルニーニョでアルプスでも雪が降らず大丈夫かと心配しましたが、前週のシャモニーは大雪で、雪崩のためモンブラントンネルを出てすぐの道路が損壊し、スキー場も閉鎖されたとか。しかし、幸運にも、我々がCHAMONIX(シャモニー)を訪れたこの週には、トンネル・道路も開通し、天候は全日晴天に恵まれた。

3月11日GRANDS MONTETS(グラン-モンテ)、12日MEGEVE(メジェブ)、13日COURMAYEUR(クールマイユール(イタリア側))で足慣らしをし、本番に臨んだ。

朝5時起床。シャワーを浴びる。いよいよ今日だ。
7時の朝食前、ホテルのベランダに出てモルゲン・ロートに輝くAIGUILLE DU MIDI(エギーュ・ド・ミディ(「正午の針」の意))とMONT-BLANC(モンブラン)を眺める。今日もいい天気だ。MONT-BLANCに雪煙も立っていない。ホテル最上階のレストランから眺めるシャモニー針峰群は未だ日陰で寒々としている。ずーと奥の名前も知らぬぽってりとした雪山に徐々に朝日が当たり始めた。朝食はフランスパンを3切れ自分で切り、チーズ2切れ、ヨーグルト、ハム1枚、ベーコン1枚、スクランブルエッグ、千切りフルーツにカッテージチーズをかけたもの、オレンジジュース、牛乳とカフェオーレとし、生野菜は不足であるが充分な栄養を取った。

8:30 AIGUILLE DU MIDIへのロープウェー駅に着く。ここで、ガイドのクリストフを紹介された。
駅前の広場でシットハーネス、ビーコンを装着した。(これらはガイド所有のものらしい。)我々のロープウェー乗車順番札は26番であった。ゴンドラは72人乗りであるので、今までに1800人が上に行った事になる。大変な人数である。広場にはまだまだ人が溢れている。10:00乗車。ゴンドラは途中で乗り継ぎ、AIGUILLE DU MIDI駅(3776m)にたどり着く。頂上駅に着く直前、ゴンドラは垂直の岩壁に最接近し、垂直に上昇する。岩壁は茶色と濃い茶色の色紙を千切って貼り付けたパッチワークのような岩肌をしていて、日本では見たことも無い珍しいものであった。

ロープウェーは富士山の高さと同じ3776m地点に着く。そこから更にエレベータで山頂(3842m)展望台に行く。エレベータの天井はガラス張りで上部が透けて見え、高度感が一層募るように工夫されている。エレベータを降りて展望台に出ると、そこは別世界である。快晴無風のなか、360度のアルプスが迫ってくる。絶景である。言葉を失った。右手にはアルプス最高峰
MONT-BLANC(4807m)が手に取るように迫り、VALLEE BLANCHE を挟んでGRANDES JORASSES(グランドジョラス、4208m)が聳えている。ずーっと奥にはかの有名なマッターホルンが見える。ぐるーっと回って下にはCHAMONIXの街が見える。また、すぐ眼下にはVALLEE BLANCHEへの滑り出しの地点が見える。ナイフリッジをたくさんの人がありのように繋がって歩いている。凄い高度感である。
再びエレベータで3776mまでおり、そこでガイドからアンザイレンされる。スキーをザックに取り付けて、両手でストックを持ってナイフリッジを降りたほうが良いのではないかとガイドに提案してみたが、あにはからんや、ガイドが4人のストックを担ぐので、我々はスキーを杖に片手はナイフリッジに立てられたポールに取り付けたロープを握って降りるほうが安全だという。その通りにした。ガイドのみアイゼンを付け、ザイルの最後尾を守っている。落ちたら引っ張りあげると笑顔で言う。トップは私、Tさん、O氏、K氏そしてガイドの順。
トンネルを抜け、ナイフリッジに立つ。道幅は50〜60cm、地面は凍っている。最初、左側はスッパリCHAMONIX側に切れ落ち、右側は雪壁である。左手でロープを握り、スキーの杖を付き恐る恐る3点支持で蟹の横ばい(兼用靴のエッジをたて、何回も滑らないように蹴りこみながら)で降りる。途中道は左右に分かれる。ガイドに指示を乞い左の道をとる。今度は左が雪壁、右はスッパリ。道はもう一度ジグを切っている。方向転換は慎重にバランスを崩さないように、滑らないようにする。緊張の連続である。先程分かれた右側からの合流地点を過ぎるとようやく斜度が緩まってきた。結構時間を掛けて滑り出し地点に着く。ここが最大の難所であった。
滑り出し地点でザイルを解く。小休止。水補給。
12:00 VALLEE BLANCHE滑降開始。最初のところは、コブの出来た急斜面をトラバース。広い氷河に滑り込む。ここからは、正面にGRANDES JORASSESを見据える大氷河の滑降。所々止まって、ガイドが説明してくれる。青氷のクレバスが所々パックリ顔を出している。少し行くと、空中にゴンドラが静止している。夏の時期のみイタリア側へ行けるゴンドラであるとのこと。この辺は快適に進む。広い氷河であるが、右手には深いヒドンクレバスがあるそうな。深さは40mもあるとか。ガイドが、「自分の持っているザイルは45mである。結びを考えると、そこに落ちても助けられない。」と笑いながら冗談を言う。大きく左に回りこむところで、左手には青氷がひさしのようになったところに差し掛かると、ブロック雪崩を警戒し、ずーっと先に見える黒い岩のところまで1人ずつトラバースで行けとのガイドの指示。コブコブになった右はスーと切れ落ちた斜面のトラバース、スピードコントロールのためスキーのトップで雪を削りながら行く。この辺からO氏の調子が悪くなってきた。ストレスと高度疲労のため体力を消耗したせいか踏ん張りが利かない(エッジが立たない)との訴え。何とか通過し、先に進む。
セラック帯に差し掛かった。右に大きなアイスフォールがあるデコボコの急斜面。(ここは三浦敬三さんも孫の三浦雄大に背負われたところ。)Tさんもかなり疲れてきた様子。急斜面で、コブのため腰が引けて回転後半で転倒してしまう。私も、回転のときスキーのトップを雪の堆積に引っ掛け一回転してしまった。右のスキーがはずれて数メートル落下してしまった。自分でスキー板を取りに行こうとしたところ、ガイドに制止された。ガイドが拾ってくれた。ここを過ぎると、もう下は平坦(なように見える)な氷河になる。
セラック帯に差し掛かって遂に、CHAMONIX のホテルではほとんど食事がのどを通らなかったO氏が、高度の影響もあり、エネルギー欠乏のためダウン。動けなくなった(14:00)。ガイドは、
セラック帯の下の平地までO氏を下ろし、すばやくヘリを要請した。ヘリは30分後に到着(14:30)。O氏は、CHAMONIXの病院に直行。(私は自分の真砂沢出会いでヘリに乗ったことを思い出していた。ガイドの話によると、ガイド付きでの山中でのヘリ要請は無料とのこと。一安心。O氏は病院で手当ての後、我々より先にホテルへ。ガイドの適切な判断で事なきを得た。)
さて、ヘリ要請中の30分間に、ガイドの指示で我々は行動食をとり、休息した。そこからは、先に見たとおり急斜面は無く、程なく、右手からGRANDES JORASSES から発するLESCHAUX氷河との出合いにつく。ここからは、
MER DE GLACE(メールドグラス、「氷の海」の意)といわれる広大な氷河である。斜度はほとんどないが、雪質がよいので、よく滑る。左右は編みタイツのようなまだら模様に雪の付いた岩壁。面白い。右手前方にLes DRUS(ドリュー)が聳えている。
スキーを滑らし、このコースの終着点MONTENVERS(標高1913m)の直下(標高約1600m地点)に15:30到着。標高差2000m、距離24kmのスキー滑降を終えた。

ここは、氷河の洞窟見学で観光客が大勢訪れている。鉄道の駅まで階段、その上にロープウェーがかけられている。ロープウェーを待っている間、
Les DRUSのクーロアールから、数人スキーで降りてくるではないか。凄い人がいるものであるとつくづく思う。また、この日もパラパントがたくさん舞っていた。いろいろな楽しみ方があるものである。ガイドによるとフランスは自由の国だそうな。自己責任であるので、オフピステを滑ろうが問題ないとのこと。ガイド曰く「なぜ、日本のスキー場ではオフピステを滑ることを禁止しているのか?」「スキー場の経営者の責任になるから禁止しているのでは。」と答えておいた。16:30頃のアプト式鉄道(標高差900mを20分で走る。)に乗れて、17:00頃CHAMONIX着。

作野 晃一 記


山スキー同志会のホームページへ