Last Update : 2010/07/20  戻る

La Haute Route 2010
シャモニ〜ツェルマット

2010年4月1日(木)〜13日(火)

メンバー:久保田修子、加瀬幸男、菅澤秀秋

[行 程 概 要]
4/1 成田=フランクフルト=ジュネーヴ=シャモニ
4/2 シャモニ=アルジェンチェール=グラモンテスキー場=シャモニ
4/3 シャモニ++エギーユ・デュ・ミディ山頂・・・〜ヴァレーブランシュ氷河〜モンタンベール=シャモニ
4/4 シャモニ=アルジェンチェール++ログナン++グランモンテ〜ログナン氷河〜アルジェンチェール氷河>>アルジェンチェール小屋
4/5 アルジェンチェール小屋〜アルジェンチェール氷河>>パッソンのコル〜>>トゥールのコル〜トリエン氷河〜・・・エキャンデイのコル〜アルペット谷〜シャンペ
4/6 シャンペ=ルシャーブル++ヴェルビエ〜>>ショーのコル〜2,764m地点>>モミンのコル〜>>ローザブランシュの肩〜プラフルーリ氷河>>プラフルーリ小屋
4/7 プラフルーリ小屋>>ルー峠〜>>パス・ドゥ・シャット>>ディス小屋
4/8 ディス小屋>>シェイロン氷河>>ブレネイのコル>>ピン・ダ・ローラ〜>>ヴィニエットのコル〜ヴィニエット小屋
4/9 ヴィニエット小屋〜モン・コロン氷河>>エベックのコル〜2,940m地点>>モンブリューレのコル〜3,120m地点>>ヴァルペリーヌのコル〜ツェルマットスキー場・・・ツェルマット=シャモニ
4/10 シャモニ・・・ブレバンスキー場〜++フレジェールスキー場〜++ブレバンスキー場・・・シャモニ
4/11 シャモニ(買物・市内観光)
4/12 シャモニ=ジュネーヴ=フランクフルト
4/13 成田空港

(4月1日) 成田9:35=現地時間14:15フランクフルト16:50=17:55ジュネーヴ=20:30シャモニ  (小雨)
7:30 成田空港集合。荷物はスキー用具一式の他は10kg程度と、重量規定の20kgの半分程度に抑えたので身軽である。出国の手続きを済ませ、ルフトハンザ航空でフランクフルト乗り継ぎ、ジュネーヴまで定刻のフライトだった。長いフライトの間は寝るか食べるか飲むかで、ビールやワインはいくらでも持ってきてくれたがブランデーが一番旨かった。機内最後尾でストレッチをしながら見たシベリアの大地は脳の表面のように丘陵地と河川が入り組んで見えた。ジュネーヴ空港で関西方面からの2名が合流し参加者全員が揃い、現地エージェントのアルプスプランニングジャポン代表の神田美智子氏が出迎えてくれた。神田氏の「明後日からは悪天の予報」との言に皆の顔が暗くなる。手配されたベンツの大型バスでゆったりとシャモニに向った。ジュネーヴ市内は復活祭が始まり車の量が多く、通常1時間程度のところが1時間半ぐらいかかった。日本車もかなり走っていた。
シャモニでは三ツ星ホテル「HOTEL VALLE BLANCHE」に荷物を解き、神田氏の紹介してくれたイタリア料理店で夕食。参加者一同はすっかり打ち解け、良い雰囲気となる。パスタもピザもおいしいが、ビールとワインはもっと旨かった。各人の分担額20ユーロ。明日は皆でグラモンテスキー場で足慣らしをすることになり、周遊パスを神田氏に依頼しホテルに戻る。時差は−8時間だが影響はほとんど感じないですんだ。

(4月2日) シャモニ9:00=アルジェンチェール=9:30グラモンテスキー場15:30=16:15シャモニ  (晴)
7:00からバイキング形式の朝食。ハムもチーズもパンもおいしい。朝食後、頼んであった周遊パスを受け取り、ホテルから5分ほど歩いて路線バスの停留所に向う。停留所の周辺には大勢のスキー客が待っていて、来たバスも満員で日本の通勤電車のようだったが、若い女性に囲まれているうちにアルジェンチェール着。混雑しているゴンドラで中間駅経由、グラモンテ行きロープウェイ乗場に並び始めたが30分経っても2mほどしか進まず、諦めてBOCHARDゴンドラで2765m地点に上る。やや重パウダーのオフピステを楽しみ、ログナンに戻る。ピステを滑る人たちは皆すごいスピードで滑っている。
11:20 早目の昼食。スキー客たちは外のテラスでゆったりと陽を浴びている。12:20再びグラモンテ行きロープウェイに並び始め、13:15グラモンテ山頂駅(3275m)。ドリュ北壁が眼前に聳え、遠くにグランドジョラスが見える。寒いが上部の雪はさすがに良い。少し滑り降りた台地からはアルジェンチェール氷河を隔てて正面にシャルドネのコルに向かうジグが切ってあるのが見え、右にはアルジェンチェール小屋がかすかに見えた。スキー場は日本にない規模で、ゴンドラとロープウェイを3本滑ったところで、「もう十分」であった。おまけでコースを外れコブだらけの狭いヤブを下ってコースに戻り下山。おまけは事前の足慣らしとしてはハードだった。帰りのバスも満員。
18:00 ホテルの英国風パブでビールを飲みながら、神田泰夫氏を交えてミーティング。アトラストレックからの最終案内に「アイゼン不要」となっていたことについて神田氏はさかんに首をかしげていた。氏の「山小屋の布団にはシラミがいるから、シュラフインナーを持ってきたか」との話に一同「ゲ・ゲ・ゲ」となり、早速、氏が勤務しているスネルスポーツで購入する。後にこの話は全く事実と異なることが判明した。この日も昨晩と同じイタリア料理店で晩餐。各人の分担額20ユーロ。
21:00 ホテルに戻る。現地は緯度のせいか、朝明るくなるのが遅く、夜は遅くまで明るい。さらにサマータイム制で1時間早めているので感覚的にその差は大きく感じる。

(4月3日) シャモニ8:00 ++ 9:00エギーユ・デュ・ミディ山頂駅(3,800m)・・・〜ヴァレーブランシュ氷河〜 ++ 12:00モンタンベール(1,913m) = 13:30シャモニ(1,035m)  (曇り)
7:00 朝食。この日からガイド二人と行動を共にする。ホテルより徒歩でエギーユ・デュ・ミディ山麓駅まで行き、混雑しているロープウェイ2基を乗り継いで山頂に向った。山頂は富士山より高いが高度の影響は感じられない。凍りついた山頂駅からの眺望は抜群で、モンブラン、グランド・ジョラス、シャモニ針峰群など果てしなく続く山並みが楽しめる。ハーネスを付け二組に別れてアンザイレンし、凍結した細い雪稜の下降ではストックをまとめてガイドが担ぎ、私たちはスキー板を持ちながら下る。
目の前を歩いていたTN15氏が3回ほどスリップして尻餅を着く。平らなところまで100mほど下りスキーを付ける。通常ルートのジュアン氷河の上部へは行かず、まっすぐ東へ向かい急斜面を滑っていく。振り返るとセラック帯がいまにも崩れ落ちそうだ。メンバーの技術確認のために予定されていたイタリアとの国境・エルブロンネ(3,462m)へのシール登行は行われず、レキン小屋での昼食休憩も割愛された。そのままメール・ド・グラス氷河の長い下りとなる。傾斜は緩いのだが雪面が踏み固められているのでスピードがかなり出て、制御するのが大変だ。モンタンベールの鉄道駅に近づくころには太腿が限界状態で、氷河からゴンドラ乗り場までの登り階段がとてもつらかった。
氷河の周辺には30年前、50年前の氷河位置が示されていて、急速に後退している様子が窺えた。発車時刻までビヤタイムを楽しみ、アプト式登山電車で急勾配を下りシャモニに戻る。
塩分が不足したせいかむやみにラーメンが食べたくなり、MOR氏と4人で中華料理店「雪園」でスープそばで昼食。麺はとてもソバとは思えない代物で、期待した方が悪かった。日本のラーメンの旨さを再認識させられた。19:30よりホテルでミーティング。神田氏から「水と行動食は必要だが山小屋でも買える。荷物はとにかく軽くするように」と説明がある。スコップ・ゾンデもガイドが携行するという。
明日は悪天で午後から好転する予報とのことで出発は11:00に遅らせることになった。この晩はホテル前の郷土料理店「LE MONCHU」を神田氏が予約してくれたので豪華な晩餐となった。
各人の分担額40ユーロ。

(4月4日) シャモニ(1,040m)11:15=アルジェンチェール(1,257m)++ログナン(1,970m)++グランモンテ(3,275m)13:50〜ログナン氷河〜14:20アルジェンチェール氷河>>15:30アルジェンチェール小屋(2,771m)  (雪のち曇り)
7:00前に窓の外を見ると雪が降っていたが、11:00にロビーに集合したころには雪は止んでいた。天候によっては出発を見合わせることもあると聞いていたので、とにかく予定どおり出発できてほっとする。携行しない荷物は神田氏が預かってくれたので助かった。ガイドの案内で一昨日とは違うバス停から乗車したら始発に近いのかガラガラだったが市内を巡回する間にすぐ満員となる。
グラモンテ山頂駅(3275m)から念願のオートルート第一歩を踏み出す。出発時にフレッドはシールをヤッケのポケットに入れるよう指示していた。アルジェンチェール氷河に滑り込み1時間ほどのシール登行でアルジェンチェール小屋に到着。陽が翳った氷河上は寒気が増し、雪も硬い。ジジは小屋に到着時に帽子を風で雪壁の下のほうまで飛ばされて回収するのに一苦労していた。
モダンなデザインのアルジェンチェール小屋は、改装後、初のシーズンを迎えたとのことで木造のとてもきれいな小屋だった。ガイドが確保してくれたテーブルに着きビールとワインで乾杯。ロシティで空腹を軽く癒す。代金はまとめてTN25氏が支払い後で精算したが、彼は皆から経理部長と呼ばれるようになり、このパターンは山中ずっと続いた。野菜スープから始まる夕食のメインはポークのオートミール添え、デザートのプリンまで食べたら満腹となる。
部屋は我々11名がちょうど入れる大きさで、一人当たりのスペースも70cmは確保されていた。このあと泊まった山小屋はどこでもこの水準だった。今晩の泊り客は80名ほど。

(4月5日) アルジェンチェール小屋(2,771m)7:45〜アルジェンチェール氷河>>11:10パッソンのコル(2,970m)〜>>13:50トゥールのコル(3,281m)14:20〜トリエン氷河〜・・・15:20エキャンデイのコル(2,796m)〜15:30アルペット谷〜16:35シャンペ(1,500m ホテル泊)  (快晴)
6:45 朝食。食堂の窓からはドロワット北壁が正面に見え、その右にはベルト針峰群が朝日を待っている。狭い小屋の出口で板を付け、カリカリに凍りついた斜面をトラバースしてアルジェンチェール氷河に降り立ち、シールをつけて歩き出す。昨日の降雪のためかシャルドネのコルに向かうパーティは一つも無く、どのパーティもパッソンのコルに向っていく。エギーユ・デュ・アルジェンチェールの下部をトラバースし、10:00パッソンのコルへの登りにかかる。狭いクーロアール状の急斜面を200mほども登らなくてはならない。板をザックに付けて登り、途中から二組に分かれてハーネスにザイルを結んでの同時登攀となる。上部の悪いところではガイドがアイゼンを付けて確保しながらの隔時登攀となる。私たちのチームはジジを含め5名。私はミドルに入ったが目の前をいくTN15氏はジジのステップを踏み崩してしまい苦労している。仕方なく別の位置にステップを切りなおすしかない。10cmほどの硬雪の下は氷なので、アイゼンを着けていない私たちには厳しい登りだった。我々のパーティはこのクーロアールにトップで取り付いたがもたもたしているので、後続のアイゼンを着けたパーティが次々に脇を抜けていった。1時間以上かかってようやくコルに抜けることができた。


6日間の行程中、一番厳しい登りだった。サレイナの窓のすぐ東にあるトゥールのコルへの登りは、幅の広い急斜面で今回初めてガイドからクトー装着の指示が出た。目の前を登っていたTN15氏がキックターンを失敗して仰向けにひっくり返ってしまう。なかなか起き上がれずザックを外してあげてようやく引き起こす。氏のトラブル時になぜか傍にいることが多いようだ。MOR氏は板をガイドにまかせ、キックステップで登っているがつらそうだ。急な部分を越えてからはコルまでうさぎ組同士の競争のようになる。二日目になると自然にうさぎ組とかめ組に分かれるようになっていた。トゥールのコルで国境を越えてスイスに入ったことになる。トリエン氷河に滑り降り、板を担いで硬い斜面を登りエキャンデイのコルに到着。ここからアルペット谷の長い下りが始まるが、雪質は悪く斜面も荒れていて滑りを楽しむには程遠い。ただ我慢でとにかく下っていく。スキー場脇の林道を滑り、ようやくシャンペの町に着く。人影はほとんど見えず、静かな広い道をロッジまで歩く。
「HOTEL DU GLACIER & SPORTING」はロッジというよりホテルで、ツインの部屋は奇麗だった。ただ部屋履がないので、部屋内は裸足、部屋から出る時は兼用靴のインナーシューズを履かなければならない。インナーが湿っているので快適ではなかった。町のコープで飲み物を調達
。 19:30 ディナーは本格的なコース料理で、スープ、お洒落なサラダ、ローストビーフ、デザートはいろいろ選択できた。他の泊り客は二組ほど。

(4月6日) シャンペ8:00=ルシャーブル(800m)++8:30ヴェルビエ(810m)9:00〜>>11:00ショーのコル(2,940m)11:15〜2,764m地点>>12:15モミンのコル(3,003m)13:05〜>>14:15ローザブランシュの肩14:40〜プラフルーリ氷河>>15:00プラフルーリ小屋(2,624m)  (快晴)
7:15 朝食。トレーラーにスキー道具を積んだマイクロバスでルシャーブルへ移動し、ヴェルビエのスキー場へ。このスキー場はとてつもなく広く、スイスで一番大きいスキー場とのこと。山頂行きのロープウェイの混雑を避け、2,890m地点から登ることとなった。 10:30 シールを付けてショーのコルをめざす。緩い斜面での休憩時に、2mほど脇に立っていた加瀬さんの足元に30cmほどの穴がぽっかり開いていた。のぞいてみたら底が見えなかったという。クレバスの怖さを目の当たりにし、「休憩時もスキーを外すな、雪上ではハーネスを着けていろ」という意味を実感した。
いったん2,764m地点まで下ってからモミンのコルへ登り返す。また緩く下りローザブランシュ(3,336m)を左に見ながら肩に着く。ローザブランシュへの登頂を私たちは楽しみにしていたのだが、ガイドは気振りもみせず先に進んでいく。プラフルーリ氷河を辿ってプラフルーリ小屋が見えてきたところでジジがルートを見失い、雪壁を降りる破目となる。小屋に先着したうさぎ組はビヤータイムが最高の楽しみなので、まずビールを頼みテラスで後続の到着を眺めているとフレッド率いるかめ組は難なく雪壁の下を廻りこんできた。ワインとロシティで遅い昼食。
18:00 夕食はスープ、ビーフのタイ米添え、デザート。
小屋の洗面所では水が豊富に使えるので存分に体を拭うことができた。水に不自由しなかったのはこの小屋だけだった。

(4月7日) プラフルーリ小屋(2,624m)8:05>>8:30ルー峠(2,804m)8:40〜パス・ドゥ・シャット(2,386m)>>12:20ディス小屋(2,928m)(快晴)
7:00 朝食。今日はルー峠を越えてから、ディス湖に沿った4kmのトラバースが待っている。ディス湖は真っ白で平らな雪面となっていた。落ちたらただではすまない急斜面や雪の解けた草付、岩場をスキーを付けたまま回りこむなど、気を抜けない箇所もあるが、一番緊張したのは右側から出ているデブリを渡っていく二ヵ所だった。バレーボール大の雪塊は硬く、急いで渡らなければと思うが、一歩ずつ歩いて渡るしかない。他のパーティがディス湖岸に降りていくのにフレッドは高度を下げないようにトラバースを続けていくので右足ばかり疲れてしまう。こうなるといかにスキーを滑らすかにかかって、滑走面とワックスの良否が体力消耗に大きく影響したと思う。谷を渡れるかどうか偵察に行ったフレッドが300mほど先で合図してきたので待機していた私たちも続く。偵察のおかげで湖岸に下りずにすみ、効率的にパス・ドゥ・シャットを越える事ができた。日陰の谷を登るのでガイドからクトー装着の指示が出る。外す時には「片足づつ外し、両足ともスキーを外すのはやめろ」と注意される。
谷から抜けると暑くて大汗をかき、小屋が見えてからの最後の登りがつらかった。まずビールで水分を補給し、ワインとロシティで昼食。小屋前のテラスでは大勢の人たちが談笑していて、私もとかげを決め込む。小屋前にヘリが到着した時は、干してあるシールが飛ばされないよう急いで取り込む様子はいかにもオートルートらしいと思った。
シャモニを出てから同じ行程で歩いている他の外国人パーティ(私たちが外国人パーティか)とは顔見知りとなり、休憩時や山小屋などで笑顔を交わすようになってきた。日本に留学していたという女性から日本語で話しかけられ、この女性とはその後も話をするようになった。彼らとの決定的な違いは体格と年齢で、私たち以外は若い人ばかりだ。テレマーカーはほとんど見かけず、オートルートではテレマークでは厳しいようだ。
18:30 夕食はスープ、ソース付きハム、デザート。ワインがおいしかった。今日でデジカメの電池が切れてしまった。

(4月8日) ディス小屋(2,928m)7:30>>シェイロン氷河>>10:30ブレネイのコル(3,635m)>>12:00ピン・ダ・ローラ(3,796m)12:30〜>>ヴィニエットのコル〜13:00ヴィニエット小屋(3,160m)(曇り一時小雪・ガス)
6:15 朝食。小屋を出てシェイロン氷河を辿り始めてまもなく、8:00 トラブル発生。TN15氏が右足ふくらはぎの肉離れで歩行不能となった。前日から兼用靴の調子が悪く、この日、小屋を出発する直前に片方のくるぶし位置の可動ナットが脱落したのだ。フレッドがディス小屋に掛け合ってくれ、ありあわせのナットで補修し、先発していた私たちを追いかけてきたのだが、朝一番の筋肉が温まっていない状態で追いつこうと無理をしたのではないかと思われる。連日の蓄積疲労も影響していたかもしれない。ジジが小屋へ駆け戻り8:15救助を要請。8:55にヘリ到着。9:00にTN15氏はヘリで救助された。大怪我ではなく、また小屋が近く、場所もヘリが近づける平坦地だったのがラッキーであった。3,600m付近の急斜面を登りブレネイのコルを経由してピン・ダ・ローラ頂上へ到着。行程中の最高到達点で唯一ピークといえる山頂を踏むことができた。山頂直下ではつぼ足で登ってくるメンバーもいた。ここまできてやっとマッターホルンが見えてきた。狭い山頂は大勢の人たちで混雑していたが、みんなが私たちと同じように笑顔で一杯だ。行程中で一番感激に浸った時だったと思う。
山頂から硬い斜面を下り、ヴィニエットのコルを目指す。そりを付けたセスナが雪面すれすれに飛び、タッチアンドゴーを繰り返している。ヴィニエット小屋に近づいたところで先行パーティが立ち止まっている。回り込んで覗き込むと40度を超えていそうな硬い急斜面が100mほど続いていて、慎重に横滑りを交え小屋に続く雪稜に出て本日終了。小屋は断崖の上に立っていて雪崩の心配はないが風当たりは強そうだ。外観は石造りで古風だが、太陽光発電装置も備え付けられていて内部は近代的な設備であった。洗面所にはシャワー設備もある(積雪期で水がないため使えなかったが)。小屋からはモン・コロン(3,637m)など周囲の山々がすばらしく、アルペン的景観の真只中にいる喜びを感じる。夕方からはガスで視界がなくなってしまい残念だった。
18:00 夕食は野菜スープ、ビーフとパスタと茄子の炒め、デザート。
小屋で飲むビールの値段は日本と異なり、下界とあまり違わないのがうれしい。

(4月9日) ヴィニエット小屋(3,160m)7:00〜モン・コロン氷河>>8:55エベックのコル(3,392m)9:05〜2,940m地点>>11:00モンブリューレのコル(3,213m)11:15〜3,120m地点>>13:30ヴァルペリーヌのコル(3,518m)〜15:30ツェルマットスキー場16:00・・・ 17:00ツェルマット(1,620m) = 20:00シャモニ  (晴)
6:00 朝食。小屋から雪稜を歩き急斜面の下に出てシールを付ける。今日が最終日だが行動時間は一番長いので気合を入れて出発する。登り下りを繰り返してエベックのコル、モンブリューレのコル、ヴァルペリーヌのコルの三つのコルを越えていく。モンブリューレのコルの登りは30分ほどだったが急な硬雪で、シール登行とキックターン技術が試される場所だった。2名がシール登行をあきらめつぼ足となる。コルからはダン・デュランが見えた。ヴァルペリーヌのコルからは正面にマッターホルンが聳え、滑り降りていくにつれ圧倒的な大きさで西壁がせまってくる。基部を回りこんで北壁の下に出る。昔あこがれた時代があって、首が痛くなるほど見上げて感動に浸る。セラック帯のある長い氷河の両岸には堆石が積み重なっていて、ここでも氷河の後退が見てとれる。雪に隠れた岩を何度か踏んでしまいエッジを傷めてしまった。ツェルマットスキー場の連絡路を下ってスキーを脱ぐ。終わってしまった。
観光客で混雑している道を板を担いでツェルマット駅まで歩く。途中、神田美智子氏が出迎えてくれた。駅前のレストランで完走の乾杯をしたが、皆、疲れたのか口数が少なく、いつも陽気なジジもあまり話さない。完走した8名が気持ちを出し合い、フレッドとジジに感謝の気持ちを伝えた。ここで別行動となるYMD、TN25氏と別れ、タクシー乗場に向う。市内は電気自動車のみ通行可能でシャモニに比べると道路も狭く、空き地がほとんどなく建物が建ち込んでいる感じがした。タクシーでタッシュまで行き、神田泰夫氏のワゴンに乗り換え、シヨンの古城や谷の景観を楽しみながらシャモニに向う。延々と続く岸壁とその下の傾斜地には葡萄畑がひろがっている。白っぽい桜や杏の花が咲いている。神田氏の話を聞いているとおもしろいので眠っていられなかった。ずいぶん飛ばすので、ここは高速道路かと聞くと、「一般道だが制限速度が90km、高速道は130kmぐらいが多い」とのことだった。シャモニのホテルでシャワーを浴びて21:00からおなじみのイタリア料理店で改めて乾杯をした。このときは6名とも元気が戻っていた。各人の分担額20ユーロ。

(4月10日) シャモニ・・・10:00ブレバンスキー場〜++フレジェールスキー場〜++13:00ブレバンスキー場・・・15:00シャモニ  (晴のち曇り)
7:00 朝食時に元気な加瀬さん、KDR、OUE氏とブレバンへ滑りにいく話しがまとまった。ホテルから20分ほど歩き乗場に着くと、今回日程中初めて日本人に声をかけられた。振り向くと都山協のゼッケンをつけた団体スキー客30名ほどがいた。PRANPRAZゴンドラからブレバンゴンドラに乗り継ぎ2,525m地点から滑り出す。オートルートを滑った後のせいかターンが大きくなりスピードが出る。でも圧雪のなんと滑りやすいことか。ブレバンからLIAISONゴンドラでフレジェールスキー場へ移動。全リフトを一通り滑った後ブレバンへ戻る。両スキー場を合わせるとTバーリフトを含み15本のリフト、64ものコースがあるという横に大きなスキー場だった。ブレバンのテラスで陽を浴びながらゆったり昼食休憩しているとMOR氏と久保田さんが上ってきた。パラセールが2機、「見てよ」と言いたげに頭上を旋回し、一機がコース上に着陸したとおもうとすぐ飛び立っていった。うまいものだ。日本ならすぐパトロールがとんでくるところだろう。
ホテルにはヘリで救助されたTN15氏が戻っていたが松葉杖姿が痛々しい。
19:00 夕食。MOR、TN15氏を交え5名で中華料理「金龍」。各人の分担額30ユーロ。

菅澤 記


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