Last Update : 2011/06/20  戻る

南高尾(東高尾山稜)
相模湖駅から京王線・狭間駅へ

2010年5月15日快晴

メンバー:梅原(単独)

地震に加え色々あって、2月初旬の八甲田以来の山登りであった。また、5月連休に何処にも出掛けなかったのは、二十数年振りでもある。

相模湖駅からバス停に延びている庇には、燕の巣が幾つもある。下から見ると、斉藤茂吉の「のど赤き玄鳥(ツバクラメ)梁にいて・・・」のとおり、赤い喉をしている。雷鳥とペンギン以外の鳥類は嫌いであったが、燕のこまめな動きは可愛らしい。

 バスに乗車する登山者を尻目に、一人国道20号をジョギングで高尾方面に向かい、

千木良で国道を離れ、相模川沿いに延びる自動車道を進んだ。天気は上々。不老山や石砂山などの新緑が鮮やかだ。赤馬(アコウ)地区に入ると人家は疎らになり、廃屋や荒れた耕地が多くなり、道路の通行禁止の看板が現れる。落石や路肩崩落があるためだ。ここから左に登っていく農道が登山道へと変わる。

 昭文社発行「山と高原地図」は、毎年新たに刊行しているが、2011年版高尾・陣馬では、通行禁止の表示がない。果たして毎年新しい情報を取り入れているのだろうか?精査を怠っているのならば、新年度版と銘打って発行すべきではないし、何年何月のデータから発行したか、明記すべきではないか? 一方、最近購入した、吉備人出版の「高尾山・景信山陣馬山登山詳細図」1:12,500には、通行止めの表示もある。 また、これから登る赤馬から南高尾山稜に突き上げるルートは、昭文社の地図には記されていないが吉備人出版の地図には載っている。

 農道はすぐに終わってそのまま登山道となる。標高350m辺りの高圧線鉄塔を過ぎると藪が出始め、稜線が近づくと藪は消えるがルートは不明瞭となる。尾根を外さないように急坂を登り切ると、南高尾山稜の整備された登山道に出た。ここまで登山者には全く出会わなかったし、道標もまったく見かけなかった。ここからは気軽に行けば良い。安堵したので、アンドーナツをザックから取り出してかじった。

 大洞山は指呼の間。金毘羅山・中澤峠と小さな起伏を快調に越えた。全般的に樹林の中で展望はないが、津久井湖の北側で僅かに展望が得られる箇所があり、丹沢の新緑と青い湖、そして真っ白な富士が、絵画にしたくなるような素晴らしさだった。実際には絵など描ける才能はないけれど。

 殆どの人は高尾から南下するらしく、次第にすれ違う登山者が増えてきた。加えて、

トレイルランとか可笑しな名前で、山を走るのがブームとなっているだけあり、何人かの同好の士にもすれ違った。

 東高尾山稜に入って草戸山に至ると、更に登山道は広くなる。小さいが辛い起伏を越えて四辻に到着。ここから僅かに下るとすぐに京王線高尾山口駅なので、大抵の人は高尾駅付近まで続く尾根を離れるが、私はいつものように温泉に浸かりたいので、引き続き尾根を進んだ。
 ひと登りして、伐採ゆえに見晴らしの良い丘に立つと、高尾は非常に墓地の多い町であると感じた。遠く霞んで、新宿高層ビル群とスカイツリーも確認出来た。

 尾根は終盤なのに執拗な激しい起伏が続き、疲労で足が重くなって限界に近づいた頃、最後のピークとなる金毘羅神社に到着。とつっあん達の登山者が、酒盛りを開いていた。汗で汚れたシャツを狛犬に引っ掛けて乾かしている。決して安穏な余生を送れまい。


(写真:津久井湖を眼下に)

参道を下りて住宅地に出ると、樹木の日除けがなく暑い。もう夏なのだ。複雑な道路をつっかえながらジョグして、ようやくふろっぴィという温泉施設に到着した。一週間後だったら、千昌夫ショーだった。こんな所で歌っていたのか?「カルフォルニアの青い月」という昔の米国のポップスで、Please don’t tell them how you found me.という歌詞があったのを思い浮かべた。

施設は2時間利用で800円。いつもどおり冷水に膝から下を約5分浸してから入浴。今回は殆ど走り切ったので、さぞやスリムになったのではと期待に胸を膨らませ、体重計に乗ったところ、高々1キロ半減だったのでがっかり。もうやけだー!! 鳥の唐揚で生ビール大ジョッキ2杯を空けた。1時間に1本ある高尾駅まで送迎バスには乗らず、酔い覚ましに京王線で高尾から一駅の挟間まで歩くことにした。

(コースタイム)
相模湖駅8:00−8:35千木良−8:50赤馬・通行禁止看板−9:20南高尾山稜稜線9:25−9:28大洞山−10:16西山峠−10:30三沢峠−10:35草戸山10:40−11:10−四辻−11:40金毘羅神社−12:05八王子温泉ふぉろっぴィ高尾
    
(梅原 記)


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