Last Update : 2011/08/24  戻る

早月尾根から剱岳、立山剱岳 2,999m、立山(大汝山) 3,015m

2011年 7月 30日(土)〜8月 1日(月)

メンバー:菅澤、A氏、T氏の3名

7/29

新宿西口バスターミナル23:30==

このところの大雨で信濃川水系や只見川では河川氾濫が起きていて、登山路の崩壊などが心配だったが予定どおり出かけることにした。

昨年9月に下ノ廊下に行った時と同じ夜行バスで新宿を出発。各方面へ10分ごとに発車するバスは若者たちで一杯だった。

7/30  雨のち曇り

5:50富山駅・・・電鉄富山6:18==6:42上市6:50== 7:20馬場島登山口7:40―― 12:30早月小屋(泊)

雨上がりの富山駅北口に到着し、地下道で反対側の地鉄駅に向う。上市では予約しておいたタクシーが駅前で待っていてくれたので荷物を積み込むとすぐ馬場島へ向うことができた。

準備をしているうちに降り始め、雨具を着けての出発となってしまう。登山道は最初から急で、慣れない体にはきつい。途中2回の休憩で先行パーティを抜きながら、予定時刻より少し早く、標高2,200mの早月小屋に到着。樹林帯の急登で展望も無く、土砂降りの雨なので、ただ歩くだけだった。

濡れた衣類を乾かしているうちに雨が上がったので「明日は良いかな」と小屋の人に聞いてみると「前線が近づいているから?」との悲観的回答でがっくりする。それでも小屋前のベンチに落ち着いて冷えたビールで乾杯するうちに、私たち酒飲み3人組は元気を取り戻していた。

ハイシーズンの週末だが天候のせいか登山客は少なく、割り当てられた10人部屋には我々3人のほかは単独の1人だけだ。この青年は普通のサラリーマンだというが、わずか2年で100名山を登ったそうである。

朝食は4:30からというので、面倒くさがる小屋の人を押し切り弁当にしてもらう。3人が持参したアルコールは1日で飲み干してしまい、いつ寝たのかも覚えていない。冷たい水割りを飲みたい一心で担ぎ上げた2kgの氷は最終日まで持ち、融解防止の工夫は成功だった。

7/31  曇りのち雨

早月小屋4:15――5:30 2600標高点5:40―6:40 2800標高点6:50 ―7:40剱岳8:10――9:00平蔵のコル――前剱―― 一服剱――くろゆりのコル――11:45別山乗越(剱御前小屋泊)

3:30に起きてみると満天の星空で、富山の明かりがとても美しい。好天を期待したが、2600標高点に着く頃にはガスに包まれてしまった。でも雨具を着けないで済むだけでもありがたい。山頂までの標高差800mは昨日の半分と考えれば気も楽になる。森林限界を過ぎたあたりからガスも切れてきた。2800標高点からは岩場となり、北方稜線の上に顔を出した太陽を正面に浴びて登る。左手の剱尾根の側壁が1,000mの高さで池ノ谷右俣に落ち込んでいる。

小屋の朝食を済ませてから出発したという同室だった単独青年にあっという間に追い越された。彼はこのまま穂高まで歩くのだという。子連れの雷鳥が登山道のすぐ脇にいたが親鳥はわざと目立つように振舞っている。タテ、ヨコのクサリが連続した岩場を登り、別山尾根に合流すると急に登山者が増え、祠が見えてまもなく岩ばかりの山頂に到着。山頂はガスに包まれ周囲の展望はなく、山頂では必ずなでる三角点も見つけられなかった。写真を撮ろうと祠の前に立ったところ、後からきた関西弁の熟女たちにあっという間に押しのけられ憮然となる。北方稜線に続く道には「危険」の標識。三ノ窓にベースを置いてあちこち攀った頃を思い出す。展望もないし、どんどん人が増えてきて下りの渋滞に巻き込まれたくないので降りることにする。

室堂方面から別山尾根を登ってくる登山者は列をなして、さすが人気の剱岳だ。ヨコバイとタテバイだけでなく、ほかの場所でも登り・下りのルートを分けてあるのでスムーズに下れた。平蔵谷、武蔵谷の雪渓を足元に見ながら岩場の上り下りが続く。

剣山荘には寄らず稜線通しに歩くうちに雨となってしまう。時々ガスの切れ間から剱沢のテントが見える。周辺にはハクサンイチゲやチングルマが咲き誇り、目を楽しませてくれる。雪渓を三回トラバースして別山乗越に上がり剱御前小屋に到着。時間が早いので、立山を越えて一ノ越までがんばろうかと提案したら「お腹一杯」とのこと。本日はここまでとする。13時過ぎからは大雨となったので結果的に正解だった。

乾燥室で濡物を乾かし、食堂でゆったりする。買ったビールは早月小屋より100円安いが冷えてなかった。

割り当てられた15人部屋は私たちのほかに単独の人2人だけだった。夕食まで読書などで時間をつぶす。

「夕陽が出ました」との館内放送でみんな一斉に窓に寄ってみると、大日岳に沈む夕陽が見事だった。5時からの朝食を弁当にしてもらう。

  8/1  晴

別山乗越4:10――4:40別山――5:30真砂岳5:40――6:15富士の折立――6:30大汝山6:50―― 7:00雄山7:10――7:50 一ノ越8:10―― 8:45室堂ターミナル==10:10黒部ダム10:35==10:50扇沢 11:00== 12:40長野駅13:02==14:26大宮

ヘッドランプを点けて歩き出し、明るくなったころ大きな祠の鎮座している別山山頂到着。別山に登るのは初めてだ。真砂岳まで来ると後立山連峰の山並みがシルエットとなって浮かび上がっている。真砂沢や内蔵助カールの上部には残雪が豊富でまだ滑れそうに見えた。番の雷鳥が目の前の道を横切って行く。黒部ダムや室堂から見る立山は台形に見えるが、ここから見る富士の折立はピラミダルで荒々しい。緩く下ってガラガラの岩場を登り返して富士の折立を過ぎ、立山の最高峰・大汝山に到着。山頂は尖塔状の岩場となっていて、今回の山行で初めて展望がひらけた。岩の殿堂という形容がぴったりの剱岳、緑色の黒部湖をはさんで後立山連峰、雲海の上に煙を吐く浅間山、八ヶ岳の右に富士山、甲斐駒と南アルプス、穂高、薬師、大日岳が見える。

展望をたっぷり楽しんで雄山に向う。山崎カール側から雄山神社の脇に出ると参拝料500円とある。A氏、T氏が峰本社に参拝して降りてくると、それを待っていたように白い上着をつけた巫女風の女性が現れしっかりと参拝料を徴収された。

急なザレ場を一ノ越に降りていくと続々と登山者が登ってきて、その列は室堂まで続いている。一ノ越から室堂までは立派な石畳だがコンクリートで固めた石は硬すぎて膝に良くない。降る途中、大勢の人だかりがしていたのでのぞいて見ると雷鳥の撮影会だった。

35年振りに剱岳に登れたのは良かったが、2004年8月に設置されたはずの三等三角点に触れることができなかったことが心残りである。 (帰宅後に調べてみたら三角点の埋設位置は祠から北東13mの位置であった。)

(菅澤 記)


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