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姫神山


2011年11月3日     曇後快晴

メンバー:梅原(単独)

 11月2日、夕方の新幹線で盛岡まで行き、ビジネスホテルに泊まった。生ビールと冷麺で大人しく寝て、翌朝始発電車で好摩へ。予約しておいたタクシーで(侘しい駅なので、必ず予約しておいた方が良いかもしれない)2100円。一本杉登山口で降車した。

6時30分。朝霧の中を出発。昨夜やや強い雨の降った天気は、確実に回復している。標高差600m程度なので、速く登ると山頂も霧の中かもしれない。ゆっくり登って霧の晴れるタイミングに合わすことにした。 出だしの右手斜面に続く植林の杉林が尽きると、良い雰囲気のブナ林になった。登山道は広くて歩きやすく、いつもより速度をかなり落としたにもかかわらず、岩の転がった山頂まであっけなかった。振り返ると目論見通り、次第に霧が薄くなり始めた。時間はたっぷりあるので、360度の展望が得られる小台地状の山頂で、天気が更に回復するのを待った。西側眼下は雲海が続き、その先の岩手山が青空を背景に次第に鮮やかさを増した。北東南方面はすっかり雲が無くなり、森や牧場の緑が広々としている。岩手の山はこれだから良い。



見渡すと、東に派生する田代コースから南西に延びる尾根にかけて、楽しい山スキーが出来そうである。但し標高差400m程度滑った後、街に戻るのに長々と歩かなければならないだろう。

 下方からキャーキャーと黄色い叫び声が響き渡り、次第に近づいてきた。二十代前半であろう山ガール2人のパーティーだった。雲海に浮かんだ岩木山に大変感銘を受けた様子であった。今回山で見かけたのはこの二人のみだった。意外に人気ないのだ。

 下山はこわ坂コースを選んだ。その名からスリリングな斜面を予想していたが、序盤に粘土質が雨に濡れていて滑りやすい箇所が少々ある程度で、中盤からはゆったりした尾根道を鼻歌まじりに歩いて、林道に出た。スキーやスノーシューで登るなら、このコースが一番楽だろう。林道を標高差90m下って先程の一本杉登山口に着いた。

未だ9時半。タクシーではなくジョギングにした。前後を岩木山と姫神山が眺められる牧場の中の道路をゆったり下るのは良い気分である。往路を途中から外れ渋民に向かった。峠を越えると渋民の町で、巨大なイオンのアウトレットに着いた。一本杉登山口からここまで走行時間は正味40分程度なので、約7kmぐらいだろう。

アウトレットにはスーパーマーケットの他にレストランとゲームセンターなどの娯楽施設も併設されている。その裏側に啄木記念館がある。前方を国道とバイパスにしたロケーションにがっかりした。北上川を見下ろせる丘とかに建てられなかったのか。

この展示館は展示物も乏しいせいか、宮沢賢治の力も借りていた。啄木は職を投げ捨てて小説家を志したが鳴かず飛ばずで、薬代さえも手に入らず26歳で病死した。多くの文学者が啄木を評した文章を展示してあるなかで、藤沢周平が一番的を得ていた。「誰もが挫折者であるから、啄木に共鳴するのだろう」。啄木の短歌はあまり好きではなかった。「我泣きぬれて」「なつかしきかな」といった安直な表現を使わずに人の心の琴線を振るわすのが、優れた文学者ではなかろうか?ただ、この歌は素晴らしいと思った。

 かの時の言いそびれたる 大切の言葉は 今も胸にのこれどあと20年も長生きしていれば、完成された優れた歌人或いは作家になっていたのかもしれないが、夭折したからこそ名を残せたのかもしれない。

駅までは約2km。交通量の多いバイパスの両側に続く町に、啄木の故郷讃歌が思い浮かぶような風情は皆無であった。渋民駅前は店舗が全く無い侘しさ。あれだけ巨大なアウトレットがあれば、無理もない。

盛岡で3時間ほど散歩した。例年より冷え込みが緩いとはいえ、不来方城址の紅葉は見頃であった。

一本杉登山口6:25−一本杉6:36−五合目6:52−六合目7:01−七合目7:14−7:44姫神山山頂8:28−9:11こわ坂登山口9:15−9:26一本杉登山口9:30−渋民への分かれ道10:18−新幹線鉄橋10:30−10:48イオン

梅原 記


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