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マッターホルン紀行

2012年7月27日〜8月5日

メンバー 菅澤秀秋、加瀬幸男、田中秀和、ほか会員外4名

7/27(金)  夕方から雨

0825成田空港第一ターミナル南ウィング4階出発ロビー 集合。アトラストレック社の黒澤氏が見送り。

スイスインターナショナルエアラインス゛ LX-161便にて1025成田発。

スイスはユーロ圏に属さず独自通貨(CHFスイスフラン)なので、空港の両替所で5万円ほど両替した。レートは1CHF=84円程度であった。

12時間のフライトで現地夏時間の1550にチューリッヒ着。日本との時差はマイナス7時間。

チューリッヒ空港にて出迎えのアトラス社・手塚ツァーリーダーと合流し、専用送迎車でヴァリス地方の登山基地・ツェルマット(1620m)に向う。高速道路を走る車は9割がヘッドライトを点灯している。

首都ベルンを過ぎてFRUTIGENからGOPPENSTEINの間、車ごと貨車に乗るカートレインを初めて経験した。ほとんどトンネルの中を走る鉄道だった。

2130ツェルマット到着。町の建物は景観と調和していて、外壁には木を張り、ベランダには必ずといっていいほど花が植えられている。ベストウェスタンホテル「バタフライ」に8/3まで連泊となる。レストラン「スタディル」にてビーフロシティの軽い夕食。なにか頼むと必ずおいしいパンが付いてくるスタイルは以後どこでも同じだった。20.5CHF。

7/28(土)  朝には雨があがったが夕方からまた雨

朝食後、0830に出発。ツァーリーダーとともに高度順応をかねてラックレール式登山電車でゴルナーグラート(3089m)へ登る。1898年に営業開始のゴルナーグラート鉄道は、野外ではヨーロッパの最高地点を走り、頂上駅まで9kmを7つの駅で結んでいる。標高2600m以上の岩だらけのアルプ(牧草地)がゴルフコースとなっているのには驚いた。ダウンヒルバイクのコースもあっておもしろそうだ。

ゴルナーグラートは風が強く、レストランに入って昼食。このレストランはかっては高級店で一般客は入れなかったと加瀬さんから聞く。

二駅分をハイキングで下る途中、リッフェルゼー(Riffelsee)に逆さマッターホルンが写っているのを見ることができ、池には小魚が無数にいた。リッフェルベルグ駅(2582m)からツェルマット麓駅に戻り、アルピンセンター(ガイド組合)にて翌日のガイドとの合流方法、ブライトホルンとマッターホルンのコンディションを確認。予定ではブライトホルンのハーフトラバース(中央峰4159m〜西峰4164mへの縦走)か、ポラックスへ登り、アイゼン歩行や岩登り技術についてマッターホルン登山の個々の適性をテストされることになっている。携行装備も確認した。案内によるとツェルマット周辺には延400kmにもおよぶ整備されたハイキングコースが展開されているとある。

ツェルマットには登山用具店が数多くあり買物には便利だが、観光地のせいか日本と比べて高価のようだ。マッターホルン登山中は自由な飲食ができないと聞いたので、ドイターのハイドレーションを購入。これが実際に非常に有効だった。
1900からスイス料理店「シュバルツホルン」でラクレットなどの郷土料理とワインを楽しむ。空気が乾燥しているせいかビールがとても旨い。58CHF。宿に戻ると明日の朝食が弁当(ハムとチーズのサンドイッチと果物、水)で用意されていた。

7/29(日)  朝には雨があがったがガスが低い

0600に出発予定だったが直前にガイドから連絡が入り「一昨日来の雪でブライトホルン、ポラックスとも中止。代わりにリッフェルホルン(Riffelhorn 2928m)で岩登りテストに変更」とのこと。出発時刻も0745に変更となった。肝心のマッターホルンは降雪があれば2〜3日は登れないので気がかりである。

ツェルマット麓駅で4名の山岳ガイドと合流し、昨日と同じ登山電車でゴルナーグラートの一つ手前のローテンボーデン駅で降り、リッフェルホルンの取り付きに向う。参加者7名にツアーリーダーが加わった8名を4名のガイドがリードすることになった。アンドレアスという23歳の若いガイドが私をセカンドに入れ、5m後の加瀬さんと二人をリードする。

テストなので難しいルートではないだろうとの考えは甘く、30m6ピッチのうち1cmあるかないか、または外傾していたりぬるぬるしたスタンスなど本気モードで攀じるところが数箇所あった。そんなところで爪先立ちのままセルフビレイもなしで加瀬さんが微妙なポイントをクリアするのを待っているとMPPとなってしまう。山頂近くなるとコンテで歩けるようになってほっとする。自宅近くの体育館外壁のクライミングウォールでごくたまに遊ぶ程度で、本番のマルチピッチは30年ぶりだったが、最初の1ピッチで感覚が蘇ったのはうれしかった。

4組はそれぞれ異なるルートを登ったのだが、私たちの辿ったルートは凹角、フェース、トラバース、垂壁ありとトレーニングには最適の変化に富んだルートだった。要所にはしっかりしたピンがあって、余計なピンはなく整備されている印象で、ガイド組合がテストに指定する場所だけあると感じた。山頂で休憩後、裏側の崖に行き、直径4cmほどの固定ロープを伝って降り、ごぼうで登る練習をさせられた。10mほどの高さを二回させられ、腕がバンプする前に終わったから助かったが、5m長い距離を登った加瀬さんは大変だったと思う。若いNAK42、TAC35の両氏はさらに長い距離を三回させられたという。アイゼンの携行指示もあったがアイゼントレーニングは行われなかった。田中さんと組んだTkh61氏は5mほども滑落し、田中さんは巻き添えをくい負傷した。今回ツァーに申し込む際に技術・経験レベルを申告することになっていたが、事前チェック機能は働かなかったのか、疑問である。

今日登った岩山はアルプの中に飛び出していて、見る方向によっては日本で○○岩と呼ばれそうな形状をしていた。

ツェルマットに戻り、アルピンセンターでテスト結果を聞いてきた手塚氏からホテルロビーで説明があった。結果は7名全員がマッターホルン登山適格とのこと。ただしガイドの付帯意見として「明日、ブライトホルンのハーフトラバースを経験したほうが良い」とのことであった。ところがこの付帯意見を採用すると7/31のマッターホルン登山予定が8/1にずれ込み、8/1はガイドの確保数が4名しかないという。それでは3名があぶれてしまう。協議するまでもなく7名全員が付帯意見を採用せず、予定日程でマッターホルンに向うことに決定した。なお今日の予定がブライトホルンからリッフェルホルンに変更になったのでガイド料が45CHF返還されることになった。アルピンセンターの案内パンフにはブライトホルン・ハーフトラバース342CHF、リッフェルホルンは297CHFとあった。ちなみにマッターホルンは1177CHFだ。

イタリア料理店「MOLINO」にて旨いパスタ、ビザと地ビール、ワインで夕食。47CHF。

7/30(月)  朝ガス、昼前から晴 彩雲

待望の好天が訪れた。1100にホテルを発ち、ヴィスプ川右岸からテレキャビンに乗り、シュバルツゼー(2583m)へ上がって周囲の絶景を楽しみながら昼食。湖水の脇には牧歌的な礼拝堂が建ち、湖で泳いでいる人もいた。近づくにつれマッターホルンはますます高く大きく聳えたっている。湖畔から岩尾根を辿り、2時間かけてゆっくりとヘルンリ稜基部のヘルンリ小屋(3260m)へ到着。途中でマッターホルン頂上左手に彩雲が見られ吉兆かとうれしくなる。

小屋に入る前に取付点を偵察。右手には北壁へのトレースが雪渓を辿っていて、反対の東壁側テントサイトには10張ほどのテントが頑張っていた。小屋で出会った日本人前泊者の話では、今日登ったのは20組ほどだったが明日は好天が予想されているので芋洗い状態ではないかという。

ヘルンリ小屋の隣の建物はかって「ベルヴェデーレホテル」であったが、何年か前に営業停止してヘルンリ小屋が管理していると聞いた。現在は使われていないようだった。

1800からの夕食は噂のコース料理が出た。かぼちゃスープから始まり、ささみ肉がのったカレー味の米、最後にチョコムースがデザートに付いた。米はアルファ米を戻し損ねたような感じでまずい。ささみ肉は量こそあったが固くて味もなく残してしまった。

食後にガイドと初めて顔を会わせた。私と組むガイドは若く長身のマイケル氏で、2人で装備の点検を行う。水は1?以内、防寒衣料の追加とテルモス携行を指示され、ピッケルは不要とのこと。手袋は各種3組を用意する。使わない装備はカゴに入れて部屋の外に出しておいた。明朝のスケジュールを確認して2000就寝。

7/31(火)  快晴

0200、混まないうちにトイレを済ませて小屋の外に出てみると東壁のフルッケン稜にかかる月明かりが凄い。聳え立つマッターホルンはあの美しい姿ではなく、黒々と威圧的だ。その姿を見ながら、やっとここまで来たかとの感を深くする。遠くイタリア側の山並みにかかる雲の中で雷光が何回も明滅していて花火のようだ。

0300起床。折りたたみヘルメットを組み立ててランプを装着。水分をはじく下着と中間着の上に薄い防風ジャケット。ウールタイツにオールシーズン用のズボン。ハーネスを付けて下に降りると食堂はすでに人で一杯だった。0330にパンが配られた。パンひとかけらと紅茶で朝食を済ませ、外で一服していると早く来いと呼ばれた。小屋の扉の内側はガイドと登山者で一杯で殺気立っている。30組ほどもいるであろうか。マイケルも前のほうにいて、急いでハーネスにロープをセットしてくれた。

0355ラッシュアワーの電車から降りるようにしながらいっせいに小屋を出発。小屋を出発する時刻には規制があるらしい。取付きまでの短い間も、少しでも前へ出ようとする組が小走りで進む。

ヘルンリ稜取付きの固定ロープやワイヤーがセットされた垂壁をガイドと2〜3mの間隔を保ってコンテで登っていく。暗闇のなか、ヘッドランプが照らす範囲しか見えず、どこを登っているのか見当もつかない。スピード重視とは聞いていたが予想より速く、登り始めてしばらくは必死でガイドの後を追うばかりで、岩場歩きの楽しさなど全く味わえず苦しいばかりだった。正直なところ、こんなペースで登られたら登頂はおぼつかないと覚悟した。マイケルは「大丈夫か?」とたびたび聞いてくる。聞くぐらいならゆっくり歩けと言いたくなったが、無理にも笑顔で「大丈夫、問題ない」と答える。1時間ほど我慢しているうちに周囲が明るくなり、呼吸も体調もなれてきて、楽ではないが普通に登れるようになった。岩も順層で登り易い。

先行パーティーが詰まっているとマイケルは待たずに別のルートをどんどん登っていく。ルートを熟知しているのだ。コースの大半は東壁側を巻いていき、ソルヴェイ小屋よりかなり下で凍結した雪が出てきた。やはり雪が多いようだ。慎重に登る。先行パーティーがアイゼンを着け始めたがマイケルはその脇をどんどん登っていく。モズレイスラブを過ぎ、0550ソルヴェイ小屋(4003m)に到着しアイゼンを着けた。アトラス社のコース説明ではヘルンリ小屋からソルヴェイ小屋間 743mを2時間30分〜3時間とあったのでやはり早いペースできている。山頂までの行程のうち腰を下ろしたのはアイゼンを付けたこの時だけだった。マイケルの指示で羽毛ジャケットを羽織り、帽子と手袋も冬用に替える。ウィーダーゼリーを半分ほど口にする。

岩壁にはピッチごとにT型やO型、豚のしっぽのようなラセン型のしっかりした鉄杭が埋め込まれていて、ロープを2〜3巻き引っ掛けて確保する方法なので時間が節約できて早い。ソルヴェイ小屋から核心部となり、急なミックスの凹角や固定ロープが連続するピッチが続く。腕が鈍らないような登り方で固定ロープをこなし、頂上に続く雪田にかかる。後続とは距離が開いてきたせいか、マイケルのスピードがゆっくりとなった。北壁側に切れ落ちた雪田では風も出てきてピッケルが欲しかった。最後の登りを這うようにして登っていると先行パーティーが下山してきた。二番目にTAC35氏、六番目にNAK42氏が降りてきた。「おめでとう」と声をかけると、TAC35氏は朦朧とした顔でうつろな目を向けただけであったが、NAK42氏は笑顔で「ありがとうございます。あと少しです。頑張ってください。」と返事を返してきた。

頭にろうそくを立てたお地蔵様のようなサン・ベルナール像の脇を過ぎると誰もいない頂上(4478m)だった。0750山頂到着。私たちの登頂はこの日11番目だった。ナイフリッジの山頂から今回初めてマッターホルンの向こう側の景観を目にする。マイケルからハグされ握手をして嬉しさがこみあげてくる。はるか遠くのモンブランをバックに写真を撮ってもらう。ダンブランシェ(4357m)が正面に見え、手前にダンヘレン(4171m)が見える。

十字架の立つイタリア側山頂に行きたいと言ったらマイケルは「行く必要はない。こちらのほうが高い山頂だ」と言って取り合ってくれなかった。

0755に山頂発。ヘルンリ小屋は遥か下で、長い下りの始まりだ。固定ロープの場所や急な岩場ではクライムダウンせず、ピンに掛けたロープをガイドが緩めて降ろしてくれるロワーダウンを多用してスピードを確保した。マイケルは同じルートを鮮やかにクライムダウンしてくる。

続々と登ってくるパーティーから「CONGRATURATION!」と声をかけられるのはうれしいが、下りパーティーと錯綜してピンの奪い合いとなり、混雑箇所では三パーティーが一本のピンにロープを掛けたりしていた。アイゼンで掻き落とす氷片がバラバラ落ちてきて危険このうえない。固定ロープが連続するあたりでTkh61氏とHIBさんとすれ違う。声を掛けたが二人とも疲れたのか元気がなかった。

ソルヴェイ小屋でアイゼンを外すかと思っていたらそのまま通り過ぎていく。暑くなったので羽毛服を脱ぎたいし、手袋も替えたい。結局、雪が消えるあたりまでアイゼンで下降することになった。2/3ほど下ったあたりで雪が消えたのでアイゼンを外し、本日始めての休憩らしい休憩となる。どら焼きをほうばりエネルギー補給。ここまでハイドレーションのおかげで喉の渇きを感じることがなかったのはありがたかった。

ソルヴェイ小屋からの下りはルート・ファインドが難しく、マイケルが後ろから日本語で「ミギ」、「ヒダリ」と指示するが、これが逆なのでまごついてしまう。彼は親切心から日本語を使ったようだが、逆だと教え、ライト・レフトでわかるからと言ってからは英語での指示となった。

そのうち腿のふんばりがきかなくなり、一歩ずつ膝に手を置いての下りとなりつらかった。取付きまで下ってようやく長い緊張から解放された。高度障害は全く感じなかった、というより感じるひまがなかったというほうが正しいかもしれない。

1205にヘルンリ小屋に到着。混雑と疲れもあって登りより時間がかかった。手塚氏とNAK42、TAC35の両氏がベンチで出迎えてくれた。顔からはひとりでに笑みがこぼれてしまう。山頂付近ですれ違った時の話をしたらTAC35氏は記憶にないという。登頂前後の記憶がなくなっているとのことだった。怖い。 マイケルとビールで乾杯。軽食を食べないかと勧めたら「ここでいつも食べているからいらない」とのこと。チップとしてメンバー間で協定した50CHFを渡す。少ないかなと思ったがずいぶん喜ばれる。サイン入りの登頂証明書と記念の金バッジをもらった。

1時間半ほど経ってTkh61氏とHIBさんが疲れきった顔で下山してきた。Tkh61氏は飲んだビールをもどして小屋の中でダウン。HIBさんはガイドの悪口をまくしたてていた。加瀬さんは登る気のないガイドのせいで山頂下100mのあたりで下山したという。なんとも言葉の掛けようもない。

田中さんが下山してこない。遅すぎる。なにかトラブルでもあったのかと心配になる。手塚氏の指示で1630.の最終ロープウェーに間に合うよう1420ヘルンリ小屋発。6名でゆっくり下っていたが最後の頃は時間に余裕がなくなり急ぎ足となる。1620にシュバルツゼーについてみると最終は1700だった。加瀬さんと二人で残ることにして、ほかの四名には先にホテルに戻ってもらう。

最終便が近づいた1650に田中さんと手塚氏が到着した。私たちが二時間かけた路を50分で駆け下りたとのこと。田中さんが遅れた理由は登山中の落石でペアのガイドが腕を負傷し、ペースが落ちたとのことであった。田中さんも鼻に氷片を受けて傷を負っている。でも大事なくてよかった。1655 シュバルツゼー発のロープウェーは途中何度も停止し、まともな案内もなかった。

ツェルマットで゛アルピンセンターに立ち寄り、登頂記念のTシャツをもらいホテルへ戻る。

この日は他の皆さんは疲れて食欲がないとのことなので、我々3名と手塚氏で夕食を取る。レストラン「POLLUX」でビーフサラダ 40CHF。

マッターホルンのガイド登山は先頭グループに入らず、タイムアウトにならない程度に後方からゆっくり登ったほうが楽しめるのかもしれない。ただ2時間の遅れが天候急変に耐えられるかは保証されないので、再度登るとしたらやはり先頭グループを登っているだろう。充実感や満足度も違うと思う。

8/1(水)  快晴 夜に雷 建国記念日

今日は予備日で予定がない。クールダウンのつもりで軽いハイキングを計画。0930アルペンメトロ・スネガの地下ケーブルでスネガ(2228m)経由、キャビンに乗り換えロートホルン(3103m)へ。ここから眺めるマッターホルンが最も美しいと言われているそうだ。

岩屑の道を1時間30分登ってオーバーロートホルン(3415m)へハイキング。山頂にはハイカーが大勢いた。ここからの展望も素晴らしく4000m級の峰々を眺めることができる。同定できたのは右からマッターホルン(4478m)、ブライトホルン(4159m)、猫の耳のようなポラックス(4092m)とカストール(4223m)、リスカム(4527m)、そしてヨーロッパ第二の高峰・モンテローザの主峰・デュフールスピッツェ(4634m)、スイスで二番目に長いゴルナー氷河、そしてリムプフィッシュホルン(4199m)が特徴的な山容を見せている。一番左方にはタッシェホルン(4491m)が端正な三角錐を聳えたたせている。まさに息を呑む絶景を楽しむことができた。

ロートホルンに戻りテラスで昼食。ビールが旨い。往復交通費62CHF。1425ホテルへ戻る。 明日も予備日なので、中止となったブライトホルンの主峰を登ることにして手塚氏に相談。朝一番で出たほうがよいとのアドバイスを受け、明日の朝食は弁当にしてもらう。

レストラン「デルビー(DERBY)」でタンポポの葉のサラダ。マッターホルンご苦労さん会とHIB嬢(?)の誕生祝。62CHF。

この日はスイスの建国記念日で、街はお祭りモードとなる。夜遅くまで花火の音が響き、夜半からの雷との競演が続く。1291年8月1日に三つの洲が同盟してスイス連邦の始まりとなったのだそうだ。

8/2(木)  晴、夕方雨

0625ホテル発。始発のロープウェイに乗り0730クラインマッターホルン(3883m)着。男女あわせて10名ほどのダウンヒルのナショナルチームが長い板を抱えてトレーニングに出かけていった。外は寒気と風で体感温度は−15度程度か。防風手袋を忘れてしまい、加瀬さんの予備を借りて助かった。

0800クラインマッターホルン氷河源頭の雪原を東に向かって歩きだし、南斜面を一登りで0920ブライトホルン主峰(4159m)到着。ここからの展望も素晴らしいのだが、北側が切れ落ちた細長い山頂には続々と後続パーティーが登ってくるのでゆっくりすることもできず、写真をとって下山開始。ロープウェーでトロッケナーシュテークまで下り、昼食。ハムロシティーとパンが旨かった。往復交通費99CHFと高い。

町に戻りツェルマット駅周辺を散歩。手持ち現金が底をついたので一万円を両替してもらう。改札口のない駅構内には、先頭機関車に日本語で「氷河特急」と書かれたプレートを付けた列車が停まっていた。これが話題の列車かと興味深かった。

今日は「行列のできる店」でソーセージと生ハムを買い、ビールとワインも仕込んでホテルの部屋で我々3名で夕食。一人17CHFで済む。

8/3(金)  晴

ホテル「バタフライ」での朝食も今日が最後。バイキング形式のメニューは毎日ほとんど変わらないものの飽きることはなく、7日間おいしくいただくことができた。朝食後、みやげ物を物色。昼食は薦められていた「カレーライス+ビール」のセットを試してみた。旨かった。15CHF。

モンブランに向うNAK42、TAC35氏と別れ、1245ホテル発。町はずれの駐車場まで歩き1330大型タクシーでチューリッヒへ向う。1730ホテル・クラウンプラザチューリッヒ着。

レストランを探しながらぶらぶら歩いてみるとツェルマットと異なりアラブ系の人が多い。ロータリー角のテラスでチキン、マトン、魚の中東料理。怖々の注文だったが旨かった。33CHF。

8/4(土)  晴

ホテルの超美少女ウェイトレスに目を奪われながら朝食。0930にツアーリーダーと共に大型バスで空港へ移動。我々6名の貸切バスは30分で空港着。

マッターホルンのルートが表示されたポスター写真を大事に抱えてきたのだが、税関に忘れてきてしまった。惜しいことをした。

チューリッヒ発1300 スイスインターナショナルエアラインス゛ LX-160便 機中泊

8/5(日)  晴 猛暑

予定時刻の0750に成田着。ツァー無事終了。

【あとがき】

三大北壁に憧れていろいろ準備をした時期もあったが、岩登りをやらなくなってから興味を失っていた。二年前の4月、オートルートの最終日にマッターホルン北壁の下を滑ってツェルマットに下ったが、目の前に高く聳えるマッターホルンを見て強く感じるものがあった。

「この山には登らなくてはいけないな。」

それ以来、西川さんからアドバイスを受けたり、旅行会社の企画を比較したりして、日程と費用効率からアトラストレック社の「マッターホルン登頂10日間」というツアーに参加することにした。オートルートで同行した加瀬さん、田中秀さんも一緒に参加されたのは心強かった。ただ三人そろっての目標達成でないことが残念で、喜びも半減である。

事前の準備としてトレーニングメニューだけは作っていた。@富士山(5〜7月の毎月、富士吉田口から頂上まで3時間〜3時間30分目標、7月は山頂ビバーク)、A北尾根往復(5月)、B北鎌尾根(6月)、Cランニングと懸垂である。情けないことに実行できたのは一つもなかった。5月に飛騨沢、毛勝山、須走から富士山の各山スキーで体を使ったぐらいで、北鎌尾根は北尾根に行くからと中止、その北尾根も5・6のコルまでで雨天中止。ランニングは6月に走り始めたものの初日1kmで膝が痛み出し、それ以降は走るのが怖くなりやめた。懸垂運動は結局一回もやらなかった。
                        
記憶に残るものとしては食事である。ヘルンリ小屋の夕食は話のタネと割り切り、それ以外に食べた食事はどれも美味しく、ビール・ワインは浴びるほど飲めて毎回大満足であった。値段は高くずいぶん散財したが、見合う価値十分の食い倒れツァーであった。

次回はモンテローザ周辺のスキーツァーが実現できればと思う。



(菅澤 記)


 


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