Last Update : 2013/06/10 戻る

La Haute Route U(ツェルマット〜ザース・フェー)

2013年4月10日(水)〜21日(日)

L:菅澤秀秋、M:加瀬幸男、田中秀和  

昨年2012年8月、マッターホルン登山の後に私たち3名はオーバーロートホルン(3414m)にハイキングに行き、ロートホルンのテラスでモンテローザを眺めながら「いつかあの山に登って氷河を滑ろう」と話した。

2010年4月のオートルートはシャモニ〜ツェルマットで終了していたので、ザース・フェーまで足を延ばしたいという気持ちもあって今回の欲張った計画となった。

検討段階ではツェルマット発クライン・マッターホルンからポリュックスかカストール、スイスの最高峰モンテローザ、ついでにアラリンホルンと4000峰を三つ登り、ザース・フェーに下るという計画だった。結果は以下の記述によるが、前回2010年のオートルートに比べると標高が高く、体力的にも技術的にも大変内容の濃い山行となり、下山後は達成感と充実感で一杯となった。

行程中は全日が好天に恵まれたが、なによりすばらしいメンバーと同行できたことが完走の鍵であったとつくづく思う。

ツェルマット〜ザース・フェーの一般的ルートはシュトックホルンからシュトックホルンパスへ出るとされている。多くのパーティーと出会ったが、ブライトホルンからイタリア側を経由してモンテローザに登り、ザース・フェーに至る大回りコース(延長約80q)を走破したのは私たちだけのようであった。

今回の山行にあたっては検討段階での調査・立案、エージェント(Club de Vacance Montagneの河野氏、柿沼氏)との交渉・確認、航空券・スイスカードなどの手配から、現地ではガイドとの交渉や会計、帰国後の精算まですべてを田中さんが担ってくださり感謝の念に耐えません。紙上を借りてお礼を申し上げます。

【行程概要】

4/10  成田→Zurich→VISP→ Zermatt
4/11  Zermatt →Sunnegga→ロートホルン→ Zermatt
4/12  Zermatt →Schwarzsee→ Kl.Matterhorn→Breithorn→ Ayas Hut
4/13  Ayas Hut → Ayas谷→スーパーモンテローザスキーエリア→Gnifetti Hut
4/14  Gnifetti Hut →Lisjoch→ Signalkuppe→ Monte Rosa Hut  
4/15  Monte Roza Hut→Stockhorn Pass→Adler Pass→ Britannia Hut
4/16  Britannia Hut→Mittelallalin→Allalinhorn→ Saas Fee→Zermatt
4/17  (予備日) Zermatt休養、買物
4/18  (予備日) Zermatt→VISP→ベルン観光→Zurich 
4/19  Zurich市内観光  
4/20  Zurich→
4/21  →成田

4/10  晴

0830 スイスエアーLX161便:成田10:25→ 15:50 Zurich16:40→VISP 19:10→20:13 Zermatt ホテル・アルプフーベル泊

成田空港に集合した私たちは換算率のよい店を探しCHF(スイスフラン)への両替をすませたが、急激な円安で1ヵ月前と比べて一割以上目減りしていた。定刻に出発した機内は満席で、12時間のフライトはただ耐える時間である。ビール、ワインを飲み、機内後方でストレッチしたりして過ごした。

チューリヒ空港到着後、予定より1時間早い列車で出発。ヴィスプでの乗り換えもわずかの待ち時間でツェルマットまで入れたのは幸先が良い。駅には柿沼氏が迎えにきてくれ、ホテルに案内してくれた。ホテル・アルプフーベルは昨年夏に滞在したホテル・バタフライのすぐ近くでメインストリートから50mほど入ったところにある。翌日のスケジュールについて簡単な打合せを行なったあと、ホテルで遅い夕食を摂って寝た。

4/11  晴

Zermatt 09:00→Sunnegga(2288m)→ 09:45 Rothorn(3103m) 10:00→12:30 Zermatt ホテル・アルプフーベル泊

足慣らしのつもりでスキーを担ぎ、ロートホルンに出かける。オーバーロートホルンの南西斜面が良さそうに見えたのでシールを貼って登り始めたが、見かけとは違いパックされた雪だったので10分ほど登って諦めて下った。あとは圧雪コースをところどころ外れながら滑り、ロートホルンでビヤータイムとし、今回登るモンテローザなどを眺める。マッターホルンは真っ白でソルベイ小屋から上は雲に隠れていた。林間コースから雪を張り付けた林道を滑り、ツェルマットに戻る。

ツェルマットに下りてからは暇をもてあまし買物などで時間をつぶした。購入したSALEWAのグローブは当たりで、翌日からの行程中ずっと使ったが防風・保温性能が高く非常に快適だった。

17:00からホテルのロビーで柿沼氏とガイドのハービィー(Mr.Herbert Luthi)を交えて打ち合わせ。ガイドから、明日の行程は短いので、予定していなかったブライトホルンを登ることが提案され決定した。ガイドが帰ったあと柿沼氏から、「無事完走したらガイドにチップを渡して欲しい」と言われたので、額を確認したら100CHFとのことであった。今年は雪が多いらしい。

前回は不用とされたピッケル・山アイゼン・スコップ・ゾンデを携行することになり、ザックは10sほどになってしまったので携行食を大幅に減らすことにする。

ホテルで夕食。加瀬さんの提案で今回は夕食付きとしたので、レストラン探しでうろうろしなくて済むのが楽で良かった。

4/12  晴のち小雪、ガス

Zermatt 07:45→ 08:15キャビン乗場08:50→Schwarzsee→09:45 Kl.Matterhorn (3883m) 10:15→1130Breithorn西峰(4164m) 1145→1345 Ayas Hut( 3394m)

駅前からシャトルバスに乗り、キャビン乗場でガイドと合流。始発のキャビンに乗りクライン・マッターホルンに向う。

ハーネスを装着して南のイタリア側に向って少し滑り、シールを貼って平坦な雪原を東にブライトホルンに向う。南斜面の下でクトーを付ける際、田中さんがほんの少し手間取っていたらハービィーから「10分もかけるな。1分で付けろ。」と冗談か本気かわからない言葉が投げかけられた。ブライトホルンには大勢が登っていたがスキーより登山者がやや多い。登山者たちを左右から追い抜きながら、ハイペースで西峰の山頂到着。細く狭い山頂の北側がキレ落ちているところでシールを外して滑走準備をしたが、菅澤は固い雪面に足を取られそうになってハービィーを慌てさせた。

南斜面は凍っていて最初のうちは横滑りで高度を下げ、しばらく下ってから曲がれるようになった。プラトーに下りてからは正面左にポリュックス(4092m)、右にカストール(4223m)を見ながらシール歩行となる。先行パーティーがシュヴァルツトーに向ったあとはトレースがなくなったが、ガイドは30cmほどのラッセルをものともせず進んでいく。たいした体力だが、このスピードが行程中私たちを悩ませることとなる。

アヤ小屋に向って滑りはじめてまもなく、加瀬さんのスキーが外れた。田中さんが板を拾い加瀬さんに向って投げたところ、板は雪面に刺さらずそのまま流れ出してしまい、田中さんが板を追いかけて20mほどで捕まえることができた。一方、加瀬さんは左半身がクレバスに転落して、必死になって這い上がろうとしていたのだ。流れ始めた板を目で追っていて加瀬さんの危険な状況を把握していないハービィーは、なんとか這い上がった加瀬さんに「片足スキーで滑れないか」と言ったが、このときの加瀬さんの気持ちはどんなであったろうか。

このころから谷はガスに包まれ、GPSとにらめっこしながら慎重に方角を探りながら降っていった。左前方にアヤ小屋が見えてきてほっとする。

小屋に落ち着いてビールを飲んでいた時、ハービィーが「明日、予定しているポリュックス、カストールはたいへんハードなコースで時間もかかる。予定をキャンセルしてアヤ谷を下り、スーパーモンテローザスキーエリアからニフェッチ小屋に登り返す。」とのこと。ポリュックス、カストールは目的の一つであったので不満を感じたがガイドの判断・指示であるのでやむなく了承する。さらに「スピードが遅いと4日目はアドラーパスから先をキャンセルして途中からツェルマットに下るかもしれない」という。もっと早く歩けという脅し文句に近い。これには三人とも無言であった。

断崖の上に建つ石造りのアヤ小屋は営業を開始して2日目とのこと。この日の宿泊客は私たちだけであった。小屋は清潔でイタリア人らしい三人の管理人はとても親切だ。ガスが晴れ、夕陽に映えるイタリアの山並みは素晴らしかった。

夕食は野菜スープと牛肉の煮込み、ジャガイモの炒め物でおいしかった。もちろんワインを楽しんだ。

ガイドの小屋での宿泊・飲食代、リフト・ロープウェイ代、交通費は私たちが負担する約束である。

4/13   快晴

Ayas Hut( 3394m) 0755→ Ayas谷滑降 →凍結林道→0900アヤ村 →0930ケーブル山麓駅0945→1105スーパーモンテローザスキーエリアのリフトトップ1120 →シール登行 → 1245 Gnifetti Hut (3647m)

アヤ小屋からいったん西に下り、まだ陽の当たらないグランド氷河を標高2000mまで1400mを滑りおりる。雪は固く氷河の末端に着くころにはかなり腿にきていた。さらに標高1700mまで林道を下ったが轍が凸凹に凍っていて疲れた腿をさらに痛めつける。アヤ村のなかを30分ほど歩いてゴンドラ駅に到着。グレッソネイ谷からは、はるかな高見にリスカムとモンテローザが見えた。

ゴンドラとリフト5本を乗り継ぎ、標高3200mのリフトトップから10分ほどトラバースしてからシール登行を始めたが、ハービィーのスピードはあいかわらずである。三人で相談して彼との間隔がひらいても気にせず、自分たちのペースを守り抜くことにした。これを「同志会ペース」と名づけた。それからの登りは菅澤、加瀬、田中の順番をかえず、滑るときは逆にした。 
木でできたニフェッチ小屋に到着。人の良い管理人で夕食はスープかパスタを選び、ポークの揚げ物とデザート。ワイン。

昨日のアヤ小屋もそうであったが、イタリア側に入ってからはスイス・フランではなく、ユーロが必要となる。いずれの小屋もカードが使えたので事なきを得た。

4/14  快晴

Gnifetti Hut(3647m) 0555→0810 Lisjoch (4151m)0815→0955 Signalkuppe (4554m)1010 →1145 Monte Rosa Hut (2883m) 

今日はいよいよモンテローザである。ヘッドランプを点けてニフェッチ小屋からほんの少し下ったところでシールを貼る。菅澤のG3 ONYXと GALMONT メガライドの相性が悪いのかトップピンをセットするのにいつも苦労するが、このときは左足がなかなかセットできず、ハービィーはいらだってトップピンをロックしてしまい「履いてみろ」という。彼の靴は菅澤と同じでビンディングはTLTである。TLTにはそういう履き方があるのかどうかは知らないが、G3をロックさせたら靴が入るわけがない。板をつけるのに5分ほどもかかってしまう。しばらくしてセラック下の大きな雪塊がゴロゴロしている箇所で左スキーのトップピンが外れてしまった。いつの間にかロックが解除になっていたのだ。危険な場所でのトラブルだったので一瞬緊張したが、流れ止めを装着していたので板を流さないで済んだ。

リスヨッホ(4151m)まで登るとすぐ左にはリスカム東峰(4527m)が聳え立っている。いい山であるが兼用靴とアルミアイゼンで越えるのは困難だろう。スイス側に滑り下りてからのプラトーでは先行トレースから外れて遠回りのルート取りが繰り返され、クレバス帯を避けているとも思えず不可解であった。

ジグナールクッペは人気のようで広い雪原を多くのパーティーが登ってくる。山頂から70mほど下の割れ目だらけの場所で板とザックをデポ、山アイゼンでハービィー、田中、加瀬、菅澤の順にロープを結び、ピッケルを片手に急な雪壁を右斜上して山頂に到着。風があるのでマルゲリータ小屋の陰に腰を下ろして小休止。アルプスで最高所にある小屋はまだ閉じていた。山頂から西の方角にはダン・デラン(4171m)やマッターホルン(4478m)、ダン・ブランシェ(4357m)、すぐ手前にドュフールシュピッツェ(4634m)が聳えている。マッターホルンが小さく貧弱に見えたのは意外だった。

山頂からは順番を逆にしてデポ地点まで下る。ここから期待の大滑降だが、雪は固くガタガタと滑る。それでも200mも下ると雪は緩んで、快適な滑降となる。セラック帯の下りでは横滑りを多用して滑った。

下方にユニークな造形のモンテローザ小屋が見えてきた。壁面に張られたソーラーパネルが異様な色彩を発している。小屋前のテラスでは大勢のスキーヤーが陽を浴びて憩っている。地下のスキー置き場に板と靴を置き、指定されたフロアまで4階を昇るのが疲れた足には大変だった。

この小屋は2009年末に新しく建て直された最新式の山小屋で、ほとんどの電力を太陽光発電でまかなっているとのこと。内装は木が張られていて、部屋は変形だがとてもきれいで清潔だった。布団や枕も変な臭いは感じなかった。若くて長身の三人パーティーが同室となった。小屋にはコイン式シャワーが2基設置されていたが通貨のコインでは使用できずあきらめた。

テラスで午後の陽をたっぷり浴びながら大ジョッキ二杯のビールで水分補給し、ロシティとワインでゆったりと昼食を摂る。ブライトホルンからリスカム、モンテローザの景観を堪能した。行程の半分を過ぎたがまだ気を緩めるわけにはいかない。

夕食に出されたたっぷりの野菜サラダは良かったが、メインは昨年のソルベイ小屋と同じカレー味の米とササミ肉で、1/3ほどしか食べられなかった。小屋の設備は最高だったが食事には不満が残った。

4/15  快晴

Monte Roza Hut (2800m) 0455→0845Stockhorn Pass(3387m) →1240 Adler Pass (3770m) 1300→1350 Britannia Hut (3030m)

今日は行程中で一番距離が長い。ヘッドランプを点け、スキーを付けて気合十分でガイドを待つ。

モンテローザ氷河の下部を北東に30分ほど進んだ岩の下で山アイゼン装着の指示が出た。準備している間に後続のパーティーはそのままシールで登って行ってしまう。ハービィーは急斜面を登り始め、私たちも続いた。しかし凍結した雪面の下はふかふかで、一歩ごとに腿までもぐってしまう。しばらく頑張ったが時間ばかり経過して一向に進めず、ハービィーはつぼ足をあきらめ、スキーに履き替えの指示が出た。足場の悪い急斜面でのスキー装着は難儀であった。この時はまだ暗く、お互いの位置も離れており、英語の指示もあいまいだったので加瀬さんはシールなしのクトーだけで登り始め苦闘していた。しばらくして気づいてシールを貼る。傾斜がきつく通常の山側キックターンが難しいのでガイドがピッケルでテラスを作った。谷側キックターンをしろというわけだ。これには助かった。それでもターンの時はまっすぐ立っていられず山側斜面に腰をつけるような格好になってしまい、登りきった時には胸をなでおろした。わずか30mほどの雪壁であったが登行手段の選択の誤りで30分以上のロスであった。

夜が明け、今日も快晴だ。マッターホルンの頂が赤く染まっている。

シュトックホルンパスを越えたところで凍結したデブリの急斜面に出くわした。ハービィーはそのままデブリを乗り越え始めたが、途中で危険を感じたらしく「デブリの末端を回れ」と指示を出した。凍結急斜面の下りトラバースは怖い。斜滑降か横滑りで下りればよいのだがクトーを付けているので階段下降して水平トラバースでデブリを越えた。

フィンデル氷河を滑降し、アドラー氷河を北東にシールで横断中、最後尾にいた田中さんが前方を行くハービィーを呼び止め、大声で文句をつけた。「お前のスピードが速すぎて私たちはエンジョイすることができない。写真を撮る余裕もない。」これまでにたまった鬱憤をぶつける激しさだった。ハービィーの顔色も変わった。さすがにこの後は少しスピードを緩めたが、それも少しの間だけだった。それからの私たちは「ピクチャータイム!!」を発して適当に写真を撮る自由を得、クライアントとしての地位も確立したように思う。

アドラー氷河の上部は山アイゼンに換えて急斜面を登りアドラーパスに到着。山アイゼンに換えてからの登りはきつかった。

ここまでくればツェルマットへUターンの指示が出される恐れはない。今日はじめてゆっくり休憩した。左手にはリンプフィッシュホルン(4199m)、右手の稜線をたどればシュトラールホルン(4190m)にいける。ガイドブックによれば往復2時間とある。

アドラーパスからアラリン氷河への滑降は豪快で快適だった。紺碧の空の下、思うままに滑る。

シールを貼って、なべ底の暑さのホールオウ氷河の上部を北東に横切り、ブリタニア小屋手前の急斜面をあえぎながら登って重厚な石造りの小屋に到着。山場を越した安堵感にひたる。小屋前のテーブルでビールを三杯も飲みながらBAD/GUIDE論議となる。ザース・フェー周辺の景観はすばらしく、この小屋を基点にしてもたくさん楽しめそうだ。

この日の夕食はスープとたっぷり野菜サラダ、分厚いベーコンが旨かった。ワイン。

4/16  快晴

Britannia Hut(3030m) 0755→0835 Mittelallalin (3457m)→番外滑走→Mittelallalin 0935→1215Allalinhorn(4027)1220→スキーデポ地点1250→1340 Saas Fee(1800m+α) →1530 Zermatt ホテル・アルプフーベル泊

いよいよ最終日。好天が続いたことに感謝しながらミッテル・アラリンまでの長いトラバースでスタート。ミッテル・アラリンからアラリンホルンへそのままシール登行かと思っていたらハービィーはピステを下に滑り下りていく。訳がわからずついていったがどうやら予定していたリフトが運行していないのでいったん下るようだ。ゴンドラで上り返して、山頂駅からシール登行開始。1時間のロスである。

2時間ほど登り頂上直下で板をデポ。山アイゼンに履き替えロープをつけたがピッケルを持つほどの斜度はなく、十字架の立つ山頂へなんなく到着。山頂からは今回辿ったコースがはるか遠くまで見渡すことができ、感慨ふかいものがあった。記念写真を撮り下山。デポ地点からはまあまあの雪で、特に北斜面になってからは快適な滑りを楽しめた。

スキー場エリアに入ってからはケガをしないように流す滑りで高度を下げていったがとにかく広く長い。ハービィーはすっ飛んで行って姿が見えなくなり、コースの分岐ではどちらに下ったのか迷ってしまう。いい加減ゲレンデの滑りに飽きたころ、やっとスキー場末端に到着した。ザース・フェーの街中を10分ほど歩き、レストランの路上テーブルで完走を祝って乾杯。感激にひたる。

ガイドは明日の予備日まで私たちと行動を共にするはずだったが、確認してみると「聞いていない」という。エージェントの説明に行き違いがあったようだが、こちらとしてはもう付き合いたくない気持ちだったので好都合である。

予約のタクシーでテッシュ駅へ出て、列車でツェルマットに戻った。駅頭でハービィーと別れ際に田中さんがチップを渡すと彼は黙ってポケットに突っ込んだ。あとで聞いてみたら50CHF渡したとのこと。昨日の論議では「渡す必要なし」、「渡すとしても半額」など意見が分かれていたのだ。

駅からホテルまでの町並みにとても懐かしさを感じた。ホテル・アルプフーベルで夕食。

4/17  曇り  

ツェルマットで休養。二日間の予備日がまるまる余ってしまったが周辺のスキー場へ出かける気にはならず、板はケースにしまってしまう。しばらくスキーはいいやという気分であった。

19日にツェルマットを発つ予定であったが一日早く出発できないかという話になり、エージェントの事務所を訪ねてみたが結局みつからなかった。しかし田中さんの奮闘でチューリヒのホテルが安く取れ、今のホテルのキャンセルも可能となり、エージェントともようやく連絡が付いて明日のツエルマット発が決定した。ホテル・アルプフーベルで最後の夕食。

4/18  曇りのち雨   
Zermatt0939→1047 VISP 1057→1154 ベルン1605→1655 Zurich  

ヴィスプで乗り換えてまもなく、長いレッチュベルク新トンネルを抜けると右手遠くにアイガー、メンヒ、ユングフラウが見えた。

ベルンで途中下車し、駅に荷物を預けて町並みを見物して歩く。路上のテラスは大勢のビジネスマンと観光客で混雑している。なんとか席を見つけてビールとランチ。メーンストリートにある有名な時計塔の周りには観光客が集まっていたが、正時ごとのからくりの動きはわずかであっけなかった。スイスで一番高いという大聖堂に行き、鐘楼のらせん階段を300段ほど最上階まで昇ってみた。世界遺産の古都の町並みを眺めることができてベルンに寄った甲斐があった。砂岩で作られた大聖堂は修復が続いている。だいぶ以前に加瀬さんが来た時は真っ黒だったという外観は白くきれいになっていた。

チューリヒ中央駅から5分ほどの、ブリストル・ホテル泊。COOPで買い出しのハム、チーズ、ピザ、ワインで夕食。

4/19   雨  

雨のなかチューリヒの市内観光に出かける。まずは中央駅の隣に建つ国立博物館に向った。展示品は宗教関係と武器ばかりでたいしたものはなかった。とくに宗教関係の展示品には残虐なリンチの光景を描いたものが多い。団体の子供たちが目立った。

旧市街に向い、大聖堂のシャガール作のステンドグラスを見られたのは儲けものだった。ブリストル・ホテル泊 

4/20  雨  

Zurich→空港 スイスエアLX160便:13:55→

日本で購入していったスイスカードはチューリヒ〜ツェルマットの往復無料、ゴンドラ・地下ケーブルが半額となるなど、ずいぶん重宝した。列車では改札がない代わりに車掌がチェックに来るがスイスカードを見せれば全く問題はなかった。

2010年のオートルートからの帰国時は、乗り継ぎ便の遅れやアイスランド火山の噴火などで予定便に乗れず、フランクフルト空港内をあちこち駆け回ったが、今回は何事もなく出発できた。直行便のほうがリスクは少ない。

4/21  雨  

→08:25 成田

10,000qのフライトは本当に疲れた。

(以上 菅澤 記)

(以下は加瀬さんのコメント)

クレバス転落の危機

 大袈裟と言われるかもしれないが「よく死なずに済んだな」と今でも思っている。山行初日にクレバスに転落しそうになり、いや、正確には半身が転落したが這い上がったのである。私が持参したストックが幸いにも握り部がピッケル形状のもので、左半身がクレバスを踏み抜いて落ちそうな時、右手のピックを反射的に突き刺して落ちそうになった体を支えたのである。

 ことの経緯はこうだった。ツアー初日にガイドとともにブライトホルン山頂を目指した。私はブライトホルン登頂が2回目であるが、スキー板で登頂するのは今回が初めてである。ガイドの歩行ペースが非常に早く、途中でいくつものパーティーを追い越して、山頂に到着したのがなんと2番目となった。こんなに早いペースで歩く必要は無いと不満に思ったが、菅澤さん曰く「彼は我々の実力を試しているのではないか」ということでその時は何となく納得した。しかし翌日以降もそうであったので、私に言わせれば彼のせっかちな性格であることが理由だろうとおもう。

 ブライトホルン登頂後にアヤ小屋を目指して滑走と歩行の繰り返しとなったが、次第に彼の速いペースがたたり、ついに「そのツケ」が私の足に襲ってきた。バランスを崩した拍子に片側の板が外れ、前方に転倒してしまった。その時、うまい具合にうしろから田中さんが来た。私の上部2〜3m程の位置だったのでつい横着してしまい「板を取ってくれ!」と頼んだのだ。彼は快く拾ってくれたのだが、私がそれを受け取りに僅か1m程登れば良いものを、疲労と横着が災いしたのか「投げてくれ」と頼んだのである。しかし、私がドジって受け損なってしまい板はソロソロと斜面を滑り落ちて行った。間髪をいれず田中さんが直滑降で私の板を追いかけて行った。じつは、このとき彼は隠れたクレバスの上を横切っていたのである。その時であった。私の左半身がスーと雪面にめり込み、同時にクレバスを覆っていた雪が落ちた。瞬間的に右足側に体重を掛け、右手のストックのピックを刺したらしい。じつは正直言うとあまりその時のことは良く覚えていない。しかし、私の目にはいまでもクレバスのあの地獄の底が焼き付いたままである。

今から思い返せば、多分落ちれば、鋭いV字形状のクレバスの底部なので引き上げることはほとんど不可能だろう。おそらく引き上げる前にV字の氷壁に挟まって圧死、もしくは即死でない場合でも体温を奪われて凍死だろうと思う。

なんとか転落は免れたが、クレバスの淵に立ったまま私は恐怖のため、体が固まってしまい動けずにいた。下を見ると田中さんが私の流れたスキー板に追い付き確保しているのが見えた。私は「有難う!」と声を出すのが精一杯であった。

 こんな事があったからか、帰国した今でも突然思い出しては心臓がドキドキする。このトラウマが消える日は来るのだろうか?そんなことを考えている作今である。

(以下は田中さんのコメント)

<総括>

1.今回のルートについて

1−1.ルート選定

 Peter Cliffのガイドブック、swisstopoのSKITOURENKARATE“MISCHABEL”を基にWEB上の情報を加味して検討したが、意外とHPで閲覧できる情報は少なかった。 単にツェルマットからザースフェーに抜けるだけでは面白みが無く、昨年7月に見たモンテローザからの滑降ラインが忘れられず、これを取り込むことにした。

 ほとんど氷河歩きとなるのでガイドの選定が最重要であり、昨夏の例からツェルマットのアルピンセンターを通すことにも不安があり河野・柿沼氏を頼った。しかし、彼等はオフピステスキーのガイドが専門であり、私達のような山スキーツァーは得手ではなかったように思われる。小屋の情報収集やガイド人選にその影響が出たと感じる。

1−2.今回ルートの確定経緯

 年明けから本格的に計画策定を始めた。河野・柿沼氏とのメールやり取りで具体化が進展したが、情報が少ない中、やはり準備の時間が少なかったと感じる。アベノミクスの悪影響で円安が急激に進んだことは心理的圧迫感があった。

a.2月6日 当初案を河野・柿沼氏に提示。
b.2月7日 河野・柿沼氏より了解との返信
c.2月11日 2,360CHF/人の見積もりメール届く。
d.2月13日 航空券手配
e.2月19日 河野・柿沼氏より確定日程表と2,420CHF/人の請求メール有り。
f.2月23日 上記に了解の返信(羊蹄山・ニセコで返信遅くなる)。
g.3月11日 柿沼氏からQ.セラ小屋がオープンしていない旨連絡有り。
h.3月15日 河野・柿沼氏宛に振込(国際郵便振替)、3日違いでセラ小屋が利用できないことは憤懣やるかたなし&ポリュックス経由アヤ小屋泊まりを提案。
i.4月11日 現地にてブライトホルン経由アヤ小屋入りが決まる。

1−3.実施結果として今回ルートの2大ポイントはクリア

 第1にツェルマットからザースフェーへ、次にイタリア側からリスカム、モンテローザを仰ぎ見る、という2点は天候にも恵まれ達成できた。カストール(またはポリュックス)を踏めなかったことは残念であるが、最大の原因は立案の準備不足に尽きると反省。

1−4.当初予定のQセラ小屋が利用出来ないことについて

a.12日間の旅程を確保していたことから、高度順応および行程の安全を考えKLマッターホルン駅に宿泊し(柿沼3/13提案)、初日の行程に備えるべきであった。(KLマッターホルン駅発10時ならば当初案でのセラ小屋入りも難しかったと思われる。)

b.Peter Cliffのガイドブックでもアヤ小屋からQセラ小屋が1日、ニフェッチ小屋までは2日行程であり、今回の当初計画はQセラ小屋開設が前提であり、アヤ小屋泊まりで翌日ニフェッチに入ること自体に無理があった。旅程全体の1週間程度の繰り下げが可能かどうか検討する余地があった(3/15の河野・柿沼氏への振込前に)。

1−5.2日目の変更点であるスーパーモンテローザスキーエリアの通過について

 上記の経緯から代案として当然検討しておくべきであったが、山から一時的に下りるだけなので安易に考えていた。里には素朴なキリスト教の祭祀物が多数点在しており、不勉強が悔やまれた。

2. 良かった、楽しかった点

2−1.好天に恵まれたこと

 先ず筆頭に挙げることは、5日連続の快晴微風という好天に恵まれたことである。天恵と言う他無く、他の全てのマイナス点を補ってあまりある。

2−2.メンバーに恵まれたこと

 次は、同行3人の体力・技量が揃っていたことである。若干のトラブルはあったとしても、完走できた要因はこれに尽きる。

2−3.迫力のモンテローザ滑降と広大なシュトックホルンパス&アドラーパス越え

 日本では絶対に味わえない贅沢な山行であった。アルプスの名峰を見ながら氷河を滑る豪快かつ快適な滑降、そして、未明から始まった長く苦しいアドラーパス越えを果たせたことは、自身への勲章ものである。

2−4.ビールとワインと晩餐

 午後の陽射しを浴びて飲むビールは午前中の格闘で流した水分を補給し、薄暮の夕餉に飲むワインは明日の活力を産む血となる。空気が乾いているためであろうがビールは何処で飲んでも美味かった。ワインはピノワール系のあっさりとした味が多かった。 夕食のメニューは次の通りだった。

(1)アヤ小屋;ベジタブルスープorパスタ、子牛の煮込み、ジャガイモと茄子の炒め物およびキャベツ漬け(チェルビニア特産)添え、デザート(プディン&フルーツ)。

(2)ニフェッチ小屋;ベジタブルスープ+パスタ、ポークカツ(唐揚げに近い)、キッシュ、デザート(プディン&フルーツ)、番外で40度のリキュール“Genepy”。

(3)モンテローザ小屋;シャンピリオンスープ、チキンのカリー煮(日本人には不評、昨夏のヘルンリ小屋でも参った)ライス添え、デザート(アイスクリーム)

(4)ブリタニア小屋;新鮮な野菜サラダ以外の記憶が飛んでしまっている!

3. 困った、困難を感じた点

3−1.初日のガイドのハイピッチ

 初日がアヤ小屋泊まりに変更されたため、私達の能力をチェックする目的でガイドのハービィーはハイピッチで進んだ。彼は私達がツェルマットで1日遊んだのみで高度順応が不十分であること、滅多にこれないアルプスの山々を写真に納めたい私達の気持ちを微塵も考慮しなかった。天候はガスが湧きだし小雪も舞うようになったが、気温の変化や風が強まることもなく天候の急変はありそうもなかった。

3−2.ブライトホルン山頂でのスキー履き替え

 ハービィーから山頂稜線の北側斜面でスキーを滑走モードに履き替える指示が出た。北側は板を流しても、転げても絶対アウトである。何故こんな危ない場所で行うのか疑問を感じた。他パーティーの人達もおり混雑していたので指示に従ったが恐かった。

3−3.シュトックホルンパス越え

 ハービィーのジグを切るルートおよびクトーの着脱、板の着脱などの登るアイテム選定は他パーティーと異なり、沢状地形から脱出するのにかなりの時間(他パーティーより+30分以上)を要した。

3−4.ガイドの資質

 以上の出来事があったため、ブリタニア小屋でハービィーに本ルートの経験を尋ねたところ2回と言うことだった。何年間で2回なのかは分からないが、経験不足である。

3−5.当方の会話力不足

 当方の会話力不足を先ずは反省しなければならないが、クライアントの要望は何処にあるのかを探ろうとしないハービィーの態度に次の言葉を探す意欲が失せてしまった。

3−6.河野・柿沼氏のオフィイス

 山行が順調に行き16日にツェルマットに帰った。17日の近場でのスキーの予定について当初予定と異なることが生じても河野・柿沼氏に連絡が取れず、オフィイスも分からなかった。1日早くチューリッヒに向かいたいと考えホテルのオーナーには了解を得ていたが、柿沼氏の了解抜きで事は進められなかった。結果的に移動する前夜の17日夜連絡がついたが、留守番役の居ないエージェントは問題大である。

4.全体の感想
 ガイドとの息が合わなかったのが悔やまれ、写真整理しているとその感が一層強くなる。勿論、これは天候そしてメンバーに恵まれ走破できた上での贅沢な不満である。兎に角、素晴らしい圧倒的なアルプスの景観の中で二度とは経験できないスキー縦走が出来たのである。同行してくれたメンバーと送り出してくれた家人に感謝。

(行程中の費用)
・往復航空券                        374,730
・現地費用(ガイド料、ツエルマットでのホテル代、エージェント手数料) 746,141
・現地費用返却                     −117,949
・スイス・カード                         67,900
・リフト・ロープウェイ                      25,739
・アヤ小屋宿泊・飲食代                   45,016
・ニフェッチ小屋宿泊・飲食代                40,481
・モンテローザ小屋宿泊・飲食代              40,768
・ブリタニア小屋宿泊・飲食代                47,226
・タクシー(ザース・フェー〜テッシュ)              14,560
・電車(テッシュ〜ツェルマット)                 1,456
・ガイドチップ                          5,200
・ツェルマットでのホテル精算(飲み物等)          11,440
・ベルン荷物預かり                       4,160
・ベルン大聖堂拝観                      1,560
・チューリヒでのホテル代                   59,462
・チューリヒ・博物館拝観                    3,120
・ランチ、食料代                        35,490
・ビール、ワイン                         18,320
合計                            1,424,820
一人当たり                           474,940

(写真 田中(秀)、加瀬)

 


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