Last Update : 2013/11/10 戻る

谷川岳主脈半縦走

2013年9月21日(土)〜22日(日)

菅澤秀秋、ほか会員外1名  

9/21

ロープウェイ山頂駅7:25―熊穴沢コル―9:20トマの耳9:40―10:40オジカ沢の頭10:50―(大障子避難小屋)―12:00大障子の頭12:15―12:50呉策新道分岐13:00―13:07万太郎山―毛渡乗越―15:35エビス大黒の頭 15:45―(エビス避難小屋)―16:55仙ノ倉山 17:05―17:55平標山―18:25平標山ノ家(素泊)  

前回8月とは打って変わった好天で、ロープウェイには100名以上が列を作っていた。

谷川岳までは快調に歩いて、山頂では展望も楽しめた。これから歩くオジカ沢ノ頭から万太郎山に続く稜線を眺めると俎ーが左に大きく張り出している。今日の行程は長いのでピークごとに休んでいくことにして出発。

肩の小屋からの下りは笹が刈り払われた快適な道だ。南面のオジカ沢源流や幕岩を眺めながらオジカ沢の頭を越し、直下のクサリ場を過ぎるとカマボコ型の大障子避難小屋があった。主脈稜線上の4つの避難小屋のなかでは一番大きく、床がフラットに敷かれているので10名は横になれそうな広さがある。水場は群馬側に10分と案内にあった。

大障子の頭を過ぎて、右にキレ落ちた万太郎谷を見下ろすと、かなり大きな滝がかかっているのが見えた。

登り返して万太郎山手前の吾策新道との分岐に到着。5人パーティーが土樽へ下山していくのが見える。振り返ると、オキノ耳〜茂倉岳の稜線が遠くに並び、今日歩いて来たダイナミックな山容が見える。ここまでで行程の半分でまだ先は長い。行く手には仙ノ倉がどーんと横たわっている。

万太郎山頂からの下りには越路避難小屋があった。オジカ避難小屋と同じくらいの広さだが、床がフラットなので、3〜4人は寝られそうだ。最低鞍部の毛渡乗越まで400mほど標高を下げてから、エビス大黒ノ頭まで300m以上も岩稜を登り返さなくてはならない。この頃になると疲れからかSTさんのスピードはガクンと落ちた。彼のザックは私の二倍の重さなのでやむを得ないか。水分だけで4リットル持参したとのこと。

エビス大黒からは平標山の家が見えたがまだ距離があり、陽も傾いているのでゆっくりしてはいられない。明るいうちに着きたい。

岩交じりの道を100mほど下り、250mほど登り返す途中にエビス避難小屋があった。横になれるスペースはせいぜい2人〜3人くらい。振り返るとエビス大黒の岩塊が鋭く聳えている。

仙ノ倉への登りがまさに最後の山場となり、急斜面を喘ぎながら山頂に到着。予定より1時間以上遅れが出ているが広い頂上でしばらく休んだ。仙ノ倉からは道も緩く広くなり、ロープの張られた木道をもくもくと歩いた。STさんが持参した3リットルの飲み水は底をついてしまった。平標山頂で夕日が完全に沈み、どんどん暗くなってきて山の家まであと10分ほどのところでヘッドランプを点けた。

遅い到着に気兼ねしながら素泊まりを申込み、避難小屋棟に寝場所を確保できた。先着の宿泊者はすでに夕食を済ませて寝袋の中である。二食付きの宿泊棟は満員のようだ。若い管理人の態度は高圧的だった。

避難小屋内部には炊事テーブルもあったが、遠慮して外のベンチで食事の準備をした。まずはビールで乾杯。今日一日をペットボトル一本で済ませたので水分がいくらでも入る。STさんは食欲がないとかでビールとマーボーハルサメだけ食べて寝てしまう。私は二日遅れの中秋の月を眺めながら、彼が担ぎ上げた日本酒を飲んだ。

これまでの彼との70回を超える山行では休憩を入れてもCTどおりに歩いてこれたので、今日も17時までには到着できるだろうとの過信があった。充実感に満ちた一日ではあったが、計画が甘かったと反省する。天候が崩れなかったのは幸いであった。

9/22

平標山ノ家6:55―8:55元橋バス停9:26== 10:00 越後湯沢12:00==12:26土合12:50==水上IC ==帰京      

バスの時刻に合わせてゆっくりと朝食を作る。ホタテの缶詰でチャーハンをつくったが極めて美味で、食欲が戻ったSTさんとカップラーメンまで食べた。小屋をあとにして、ゆっくりとバス停まで下り、バス停でも残りの食料を肴に水割りを楽しんだ。

湯沢発1004の電車に乗るつもりで、バスを降りてからホームまで駆けつけたが様子がおかしい。駅員さんに尋ねると予定していた電車は季節運行とのこと。8月の計画書に記載してあった時刻を点検していなかった。2時間を駅構内の温泉とヘギ蕎麦で過ごし、土合に戻ってから車で帰京した。

(菅澤 記)

 


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