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多武峯/御破裂山 (標高618m) 

平成27年5月9日

天気:曇後雨

梅原秀一(単独)

 前日と打って変わって天気が芳しくないので、当初予定の「葛城古道」から「多武峯(トウノミネ)街道」に変更した。前者は晴れた明るい日に歩きたいが、後者は曇天の方が寧ろ相応しい気がした。主に飛鳥時代の史跡を訪れるからだろう。

早朝の近鉄に乗り桜井で下車。商店街の外れに、街道入口の表示がある。それを南に道なりに行けば、多武峯・別名談山神社に至る。

自動車道はすぐに寺川沿いの田園風景となる。まず、川の右手の丘中腹に建つ聖林寺を訪れた。早朝でしかも奈良盆地の外れの寺なので、一人ゆったりと国宝・十一面観音を拝観出来た。

街道は次第に傾斜がきつくなり、山深さが増していく。大抵の観光客はバスを多武峯入口まで利用するが、静かに歩いて行くことが、奈良の旅の醍醐味である。

街道が西に方向を変えると間もなく多武峯入口で鳥居が右手に現れ、自動車道から離れ参道に入った。急勾配の坂道を登り切ると談山神社である。祭神は藤原鎌足で長子・定慧創建。この「談」は中大兄皇子と鎌足がこの地で蘇我氏を討つ談合を行ったことからの命名である。また、鎌足の継嗣は長男ではなく次男の不比等であるため、不比等は中大兄皇子(天智天皇)の実子ではないか、とうい説がある。あり得そうである。


多武峯から明日香への途中、こんな田園風景に出会える

境内はモミジが多く紅葉シーズンは大変混雑するが、参詣者は疎らだった。御破裂山へは神社の裏手から濃い樹林の中の登山道を15分登る。山頂に鎌足の墓所がある。

多武峯から更に西に冬野川沿いに、時折県道をショートカットする登山道を使いながら明日香へと下った。点在する集落の鄙びた景観に心なごんだ。これも奈良の良さ。

下り切って蘇我馬子の墓所であったらしい石舞台である。ここで雨が降り始めた。

以降、明日香を縦断して桜井駅まで笠を差して歩くこととなった。

明日香と言えば乙巳の変・大化の改新である。皇位を簒奪しようとした蘇我入鹿は大悪人という定説を、最近では否定する歴史家・学者が多い。実権を握った中大兄皇子の政権は、律令国家の形成どころではなく、白村江の大敗から朝鮮政策を頓挫させ、唐の侵攻を恐れ軍備増強の大規模な土木工事が民を疲弊させた。更に、皇子は猜疑心から大勢の皇族や豪族を陥れ処刑或いは自殺に追い込んだ。現在の明日香は寺院や史跡が散在してはいるものの、田畑ばかりの典型的な田園である。それが嘗ては日本の政治の中心であり、権力を巡って多くの血が流れた地であった。

明日香から桜井までは交通量の多い県道なので、退屈極まりないが我慢である。最後に安倍仲麻呂と晴明で有名な安倍一族の氏神として建立された古刹・安倍文殊院を訪れた。国宝の文殊菩薩像は素晴らしく抹茶の振る舞いもあるけれど、拝観料は高額だ。などと文句を言うと御利益は無いかもしれない。元々文殊菩薩には見放されているのだから、期待するだけ無駄? 拝観後朝出発した桜井駅まで戻って、この日の歩行距離は20qを軽く超えている。日本アルプス縦走などに比べたら、a piece of cakeだが。

これからも、毎年5月と12月に奈良の古道を歩くことになりそうだ。次は紅葉の葛城古道にしたい。それまでに、伝説の修験者・役行者についての知識をもっと仕入れておこう。彼は登山に関してもパイオニアであるから。

[タイム]
桜井駅8:15―9:05聖林寺9:30―多武峯入口10;10―10:20談山神社正門―11:40御破裂山11:45―談山神社正門11:10―石舞台11:50−(昼食)−14:45安倍文殊院15:10―桜井駅

 


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