Last Update : 2015/12/22 戻る

笹子雁が腹摺山 1358m

2015,10,13(火)快晴

メンバー:田中 健 単独

8月21日に計画し中止した山行を、天気のいい日に行った。  笹子駅から排ガスの来る甲州街道を西へ歩く。目当ての尾根筋がはっきり見えているので、楽しめそうだ。甲州街道が大きくカーブするところから旧甲州街道に入り、そこから山道が始まる。直登する。尾根筋がはっきりしていてどんどん高度を稼ぐ。思ったよりも早く頂上に着いた。この山は上部は結構急だった。直下に大きな反射鏡のような物があり、似つかわしくない。そこから今年初冠雪の富士山が大きく見えた。写真に収めた。

 頂上で笹子峠からの道を合わせる。狭いがベンチがあり、眺望を得るために木々が切ってあり、西側に開く甲府盆地とその上の南アが見えた。駒ヶ岳、北、農鳥岳の稜線がわずかに白くなっていた。

 そこからは尾根歩きになる。ピークが南にせり出したところがあり、道標にはお坊山とあったが、誤表示だったようだ。米沢山まで来て、雁が腹摺山を見ると、山頂は丸くなっていて、頂上への急登が確かめられる。紅葉も始まっていた。お坊山の手前で下りてくる人に出会う。

 大鹿峠は甲州街道の裏街道だと思う。峠から初鹿野へ下りる道が地図にはあったが、崖崩れで道はなかった。大鹿山へは縦走路を取るのかと考えて歩き始めた。大鹿山の頂上を越えたところから景徳院への2つ目の下り道がある。その道を下る予定だが、頂上を経ると思っていた。トラバース道のようなところを取り、下りの分岐に出た。頂上はどこだ?と考え、尾根筋に付いていた踏み後を戻ると、大鹿山の頂上に着いた。木々は多く、眺望はない。再び、先の分岐まで戻り、景徳院への下り道をとった。よく踏まれた道だった。地図通り、景徳院の敷地に出た。

 景徳院は武田勝頼、夫人らを弔った寺院である。勝頼一族を滅ぼした家康が家臣に命じて、冥福を祈って造らせた寺だという。勝頼、夫人、家臣の本物のお墓があったので、お参りをした。戦国の頃のものだとすると、450年くらいは経っていることとになる。山門は昔のままだという。おまけの、昔を尋ねてという山行になった。そこから車道を歩き、初鹿野改め甲斐大和駅に行った。

 山は簡単で、紅葉が始まり、冠雪の富士山をずっと見ることができ、昔を尋ねる山行だった。

 タイム:笹子駅708/10−取り付き740/45−雁が腹摺山頂上900/20−米沢山1010−お坊山1040/45−大鹿峠1110−分岐1135−大鹿山山頂1140−分岐1145−景徳院1225/45−大和駅1315/16−家1555

(田中 健 記)

 


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