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小谷山 (滋賀県長浜市)

平成28年5月22日 快晴

メンバー:梅原秀一(単独)

 新幹線ひかり朝一番を利用し米原から北陸線に繋ぐと、9時半頃虎毛駅に到着。駅舎に併設された観光案内所のレンタサイクルが、この日の長い行程をこなすのに大助かりだった。殆どの荷物を預け、追手道コース登山口まで2qの道路を飛ばした。

 小谷山は全体が大河ドラマで度々舞台となる小谷城址である。織田信長軍の秀吉の活躍で、1573年に落城した。

鳥の囀りを聞きながら雑木林の尾根道を約4q登ると本丸跡に到着。崩れた石垣が散在する。この城は京都と北陸及び岐阜との行軍を叩く絶好の位置にあり、再度築城させないよう、信長は石垣を徹底的に破壊したとのこと。

尾根を更に北上。木々のまにまに、左手に琵琶湖右手に田植え真っ最中の田圃とその向こうに伊吹山が時折姿を現した。六坊跡の鞍部から西に急斜面を登ると、標高495 mの小谷山山頂。この頂にも大嶽城と呼ばれた砦があったそうだが、その形跡は殆ど無い。

六坊跡まで戻り清水谷を下山した。多くの石碑から、朝倉家重臣の屋敷がこの清水谷に連なっていたことが分かる。典型的中世末期の山城であった。

長政の男児は皆処刑されたが、信長の実妹で長政正室・市とその娘三姉妹は助命され、四人ともその後も激動の生涯を経験する。長女・茶々はこの後二度の落城を経験し、二度目の大坂城では、父長政を討った秀吉の豊臣家を道連れに滅ぼしている。長政の怨念に動かされての、彼女の宿命だったのかもしれない。

登山口に下山し、歴史資料館を見学してから、河毛駅に自転車を飛ばした。

河毛駅9:35→<自転車>→小谷山登山口9:50→本丸跡10:10→山王丸跡10:20→六坊跡(清水谷への分岐)10:25→小谷山山頂(大嶽城址)10:40→六坊跡10:50→11:10小谷山登山口・歴史資料館見学11:20→<自転車>→11:30河毛駅



梅原記

 


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