Last Update : 2016/11/29 戻る

八ヶ岳連峰・編笠山〜権現岳〜赤岳 


2016年10月15日(土)〜16日(日)  八ヶ岳連峰・編笠山〜権現岳〜赤岳 
菅澤ほか会員外S、K氏の3名

10/15 快晴
光が丘4:30=調布IC=小淵沢IC=観音平(1520m)715/7:30―雲海8:20―押手川900/915―編笠山(2524m 10:20/10:45--青年小屋(2380m)11:05/11:30-ノロシバ―ギボシ(権現岳西峰2700m)13:00―権現小屋 (2670m泊)13:10                                                                        

 観音平駐車場は満杯で路駐の列が延々と続いていたが、念のため駐車場奥の林道に入ってみるとその先の駐車場は知られていないせいか余裕で停めることができた。

 押手川まで樹林帯を快調に歩き、一休みしてから急な登り一時間ほどで編笠山山頂に到着。大勢の登山者が憩っている。山頂からはこれから向かう権現岳やその先に見える阿弥陀岳の眺望がすばらしい。昼食を済ませてからゴーロの歩き難い道を下って「最も遠い飲み屋」の赤提灯がぶら下がる青年小屋に着いた。旧棟の隣では増築工事中で、ヘリで降ろされた資材が山のように積んであった。今日の青年小屋は満員だそうだ。

 予定時間よりだいぶ早い。天候に不安はないので権現小屋泊まりをキレット小屋まで足を延ばすか、時間によっては赤岳を越えるかなど勝手なことを言い合っていたが、成り行き任せでのんびり行くことにした。

 すぐ樹林帯に入り、一気に高度を上げてノロシバにつくと展望が開けて正面のギボシの岩肌がはっきりとみえる。ここまで上がると御嶽から北アルプスも見えた。戦国時代には武田軍がここで狼煙を上げたのだろうか。

 逆層のトラバースで稜線へ出て、縦走路から外れたギボシのピークに立ってみると赤岳・阿弥陀岳の岩肌が陽に輝いている。

 目の前の権現小屋に到着。遠くから見た小屋は傾いているように感じたが、入ってみると本当に谷側に傾いていた。

 受付を済ませ、5分ほどの権現岳東峰(2715m)に行ってみた。山頂には古い鉄剣と不動明王が祀られていて、飛び出た岩頭の上に立ってみる。ポカポカの陽を浴びながら小屋前で懇談。夕食のカレーはとてもおいしくて、小屋食ではめずらしくお代わりをしてしまった。今晩の泊客は20名ほどで、布団は一人一枚で快適だった。

10/16 快晴
権現小屋(2670m)5:50-旭岳(2672m)―ツルネ―キレット小屋(2450m)7:05/7:20―天狗尾根ノ頭―真教寺尾根分 岐―赤岳(2899m)9:05--赤岳展望荘9:20/9:30―行者小屋(2340m)10:20/10:50--美濃戸(1700m)12:30― 美濃戸口(1415m)13:15/13:30=(成田車に同乗)=観音平13:30/13:50=小淵沢IC=帰京     

5時からの朝食を済ませ、ヘッドランプが不要になるころ出発。小屋のすぐ上に赤岳への分岐があり、10名ほどが日の出に向かってカメラをかまえている。

すぐ61段の長い鉄ハシゴを降りるが、傾斜が緩いので恐怖感はない。キレットまで250m以上の下りの始まりである。旭岳の西側の鎖場斜面をトラバースし、潅木帯を下って行く。少し登り返してツルネに出た。正面には天狗尾根の大天狗、

小天狗の岩峰が見え、左前方には阿弥陀岳がそびえている。

まもなくキレット小屋だろうと、クサリにつかまりながら下っていると目の前の木陰から黒いものが飛び出した。一瞬、熊かと思って身構えたがカモシカだった。毛並みが黒くて明るい日差しになれた眼には日陰の中がわからなかった。5mほど下った斜面に立ち止まり、じっとこちらを見ている。後続に写真を催促したがクサリにつかまっている最中でだめだった。

改築されたキレット小屋の営業は終了していて、水場も涸れていた。ここまで同行した単独の女性が先発していったが、山頂まで標高差は450mあり、途中ゆっくりできる場所もなさそうなので急ぐことはない。ここからはヘルメットをかぶった。

砂礫の道から傾斜が増し、岩稜の登りが天狗尾根ノ頭まで続く。10mのハシゴとクサリで50mの岩棚をトラバースする場所は高度感満点で、その後もハシゴやクサリが稜線まで断続的に現れる。岩は硬く乾いていて快適だった。

文三郎尾根からのルートと合流してすぐ、満員の赤岳山頂に到着。座れる場所もなく、頂上小屋も営業を終了していたので人ごみを掻き分けるように展望荘まで下って一休み。

地蔵尾根は崩壊がすすんで、蛇カゴとハシゴだらけの人工的な登山道になってしまっていた。

大勢が休んでいる行者小屋でビール休憩。美濃戸までが疲れた足には長く感じられた。美濃戸には四駆ではない普通の自動車がたくさん駐車していて不思議だったが、美濃戸口までおりて理由がわかった。道路がずいぶん改良されていた。

双子池から転進してもらったN氏の車で観音平まで戻り、好天の週末で大渋滞の中央道を帰京した。

 以上

記:菅澤

 


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