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鍋倉山(2月定例山行)

2017 年02 月19 日(日曜)
L:菅澤、M:小森宮、岩崎、武部、加瀬、田中(秀)、野村、かえどん、吉岡(新人)

朝朝食 6 時 戸狩民宿 7 時出発
温井集落登山口(550m)7:35>>都立大小屋横8:15>>9:40 巨木の谷北側尾根9:50>>10:20 鍋倉山頂 (1289m)10:40?登山口11:50

 土曜午後宿に到着し片付けを済ませ早速宴会が始まり合流したメンバーから戸狩と野沢では少し雨が降ったと聞きがっかりしていましたが夕食後酔っ払っている間に雪がチラチラ振り始め朝起きるとそこそこ積もっていたので今年は行けるぞ!と期待しながら朝6時から朝食を食べ7 時出発となりました。早い朝食のお陰で40 周年記念山行の時よりも登山口に近い場所に駐車できました。

 A とB の班分けを前夜したのですが「まだいいよ!」とリーダーのお言葉があり自由な順番で出発。そろそろ都立大学小屋へと左へ進みたいところでなにやら立看板のような物が見え田中(秀)さんが確認しに行ってくれました。「私有地の為立ち入り禁止」との事で小屋前を行くのは諦め目の前のそこそこの斜面を登る事になり予想外のいきなりのキッククターンで新人の吉岡さんは戸惑っていましたが先輩方のアドバイスを受けながら切り抜けました。 ここまでの道程には去年迄なかった道標の簡単な案内があったので誰が作ったのかしら?と思いながら順調に足を進めブナの大木にて少し休憩をとり尾根に向かって登行を開始。ここからは田中(秀)さんがラッセル隊長となりキックターンを繰り返し登って行く。次に小森宮さんが続き後方の私達がターンしやすいように雪を踏み締めてくれたので私達は楽でした。ですが新人の吉岡さんは苦労していていました。先輩方々の色んなターンを教わり少し困惑しているようにも見えたので教育係を決めておけば良かったのでは?と思ったりしながらも尾根筋に到着。

 皆飲み物を飲んだり行動食を食べたりした後山頂へと順調に進み、なんと10 時20 分に山頂到着。今まで数回登頂しましたが今回が一番速くたどり着きました。出発時間もいつもより早かったですが皆歩行が速かったのだな?と思いました。

 シールを外し皆滑る気満々なご様子で余り休憩する事なく滑り戦隊モードに。

 リーダーの安全確認の後、今回も田中(秀)さんがカメラマンとして先に滑降開始。皆うらやましそ うに見送る。そして次々に滑り始め私も気持ちよく滑走。やっぱり山頂直下北面の雪質はいいな?最 高だな?。

 次第に雪が重くなり、ガリッと引っ掛かる事もあり慎重になりつつも楽しく都立大小屋裏迄滑って きました。メンバー数人で「蔵田さ?ん」と叫ぶが応答なし。後日電話で聞いたのですが行ってなか ったそうです。そして看板の事を聞いたら、やはり都立大学OB の方が看板を作ったそうです。

 晴天の為ますます雪が重くなってきたので無理せず車道を滑り登山口に到着。途中野うさぎをみか け嬉しくてたまりませんでした。

 到着時間を確認すると12 時前でビックリ。皆笑顔で解散となりました。

 ここ数年雨に悩まされる事も多かったので今回天候に恵まれたことをお天気様に、そしていつも車 を停めさせて頂く温井集落の方々に感謝しつつ車を走らせ温泉へと向かいました。

【参加者感想】
 山スキー同志会の皆様、初めまして吉岡と申します。今後ともよろしくお願いいたします。
 鍋倉山では本当にお世話になりました。シールを装着した登行は2 週間前に少し練習した程度で、 今回、登りのターンは全くできませんでした。同行いただきました皆様のご指導と、踏跡のお陰で何 とか山頂にたどり着くことが出来ました。道具の使い方にも慣れておらず、助けていただきました。 反省点いっぱいです。この場をお借りしまして御礼申し上げます。
 さて、滑りです。新雪を体いっぱい浴びました。これが、「スキー」なんだと初めて経験したよ うな気がします。生涯忘れられない「少年 」に戻った1 日となりました。今も体が白い粉を欲してい ます。私は今、50 歳ですが人生の先輩方の背中を見て、皆さんのように元気に歳を重ねたいと思いま した。これが鍋倉山の一番の感想です。山スキーを続けなければなりません。現在、東京都大田区に 住んでいますが4 月から四国、松山に転勤になります。9 回目の転勤で単身赴任が続きます。新しい職 場は自分の判断で自由時間が創造できそうですので東京にいるよりも参加しやすくなると喜んでおり ます。ご迷惑おかけしないよう精進いたします。また、贅沢な時間を共有させてください。何卒、よ ろしくお願いいたします。

 


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