Last Update : 2017/05/20 戻る

白馬大雪渓報告(標高2932m)

日時:2017年5月3日(水))〜5月5日(金)    天気:晴れ
メンバー :L・加瀬、 M・菅澤、田中秀和、かえどん、川島、吉岡
行程:
5/3(水):加瀬車は圏央道あきる野IC13:30→20:00猿倉荘(かえどん、吉岡車は17:00到着)(素泊)
5/4(木):猿倉荘5:00−5:10小屋上(シール登行開始)5:15−6:15白馬尻6:25−7:15大雪渓1875m付近7:35−8:15同2130m付近(クトー装着)8:30−9:15岩室付近9:35−10:00 2460m付近11:15−12:00頂上宿舎横12:20−13:00白馬山荘13:15−13:30 白馬山頂13:45−13:55白馬山荘(泊)
5/5(金):白馬山荘 6:50〜7:20大雪渓1940m付近7:35〜7:45白馬尻8:10〜8:30 猿倉荘 (田中秀和氏による記録)


白馬岳山頂より遠望(Photo by H.Tanaka)

 今年の白馬大雪渓は暖かい天気の後の4月下旬の降雪と雪崩による埋没事故があり、実施可能かどうかを含めて当日まで現地(白馬村振興公社猿倉荘、白馬館白馬山荘)に雪の状態を問合せるという緊張状態の準備となった。最終的には猿倉の登山相談所の指導に従うという事で猿倉荘に入った。

 当初の予定では大雪渓が登行不可の場合は栂池経由で白馬山荘に入る案もあったが、雪庇の発達が伝えられたこと、また前日まで強風であった事などを考慮して、
1 大雪渓が濃霧の時は中止。天候回復が見込めそうな時は岩室付近まで登行して状況判断をする。好天の時は白馬山荘まで登行する。落石なだれの恐れがある時はそこから滑降下山する。                 
2 大雪渓登行中に天候不良となった時は大雪渓滑降のみで帰京する。
3 小蓮華経由は雪庇の発達、稜線の風、ツボ足の踏み抜きを考慮し廃案。
4 栂池-小蓮華〜栂池自然園の案は5月5・6日の個人山行とする。
という事とした。

 猿倉荘は4月29日〜素泊り(@6300円)の開業という事で、自炊道具持参である。素泊まりにしては高いと思ったが猿倉荘前の宿泊者専用駐車場が使える事、昨年は5月3日は満車であったことから利便性を優先した。川島氏に「豪華どさん子鍋」の食材調達をお願いして酒と鍋の宴会を予定した。ところが、加瀬車(菅澤、田中秀和、川島)は中央道諏訪の手前で事故渋滞にはまりなんと猿倉荘到着が20時を過ぎてしまった。しかし皆さん山のベテラン揃い、到着後の手際が良くあっという間にニンニク風味のどさん子鍋が出来上がり、田中秀和さん差し入れの採れたてタケノコと蕗の煮物・逸品焼酎の伊佐美、菅澤さんの本マグロの刺身、吉岡さんのじゃこ天など贅沢な夕食が始まった。猿倉荘の情報で明日からの天気が安定すること、28日の雪崩の後は同じ小雪渓付近で2個所の雪崩があったが注意すれば登行出来ることが判り、一安心して就寝となった。

 5月4日4時起床。昨日の鍋の残りにパックのご飯を入れ、温かいおじやが出来上がった。実にうまい。5時に予定通り出発となった。天気は快晴模様である。今年は雪が多く、猿倉荘からスキー靴での歩行が可能で程よく登った場所からスキー歩行を開始した。


白馬尻付近(Photo by Kawashima)



1875m付近(Photo by Kawashima)

 大雪渓下部は斜度も緩いのでシールの効きがよい。気温も朝から高めで雪面はすでに柔らかかった。白馬尻付近まで白馬主稜方向からの雪崩デブリが来ていた。大汗をかきながらさらに登行すること約2時間2130m地点でクトーを装着した。岩室跡付近からは斜度がきつく、吉岡氏はここでシートラーゲン+山アイゼンで登ることとし、他の5名はスキーのままで登った。山スキー同志会の精鋭ぞろいの中で私は途中で足がつりそうになるなど悔しい思いを感じつつの登行であった。


2000m付近(Photo by H.Tanaka)


2300m付近 左から加瀬、川島、菅澤(Photo by H.Tanaka)

 岩室付近の急登では川島さんがバランスを崩し6mほど落ちたが何とか止まりこの急登を登りきった。2460m付近で遅れた2名を1時間15分ほど待つこととなった。やがて疲労の様子が見て取れるが両名が元気に登り切り合流となった。Lとしては今日のように快晴無風でなく、風と低温の時は低体温症への危惧から下山を決意せねばと考えていた。この地点からは傾斜も緩くなり疲労はしているものの、頑張りさえすれば白馬山荘へ到着できると確信することが出来た。


トラ―ゲンで頑張る吉岡氏


2460mより杓子岳(Photo by Kawashima)

 これ以上は無いという好条件のもとで、やがて左上方に頂上宿舎の屋根が見えはじめて白馬山荘まで30分の道のりとなった。稜線に上がると山荘は目の前となり、やっと辿り着いた山荘前では雷鳥のご夫婦が出迎えてくれた。それにしても人を恐れない堂々とした振る舞いに、毎度のことながらひどく感激させられました。


すたすた♂(Photo by Kawashima)


♀(Photo by Kawashima)

 取り敢えず山頂を極めようと、山荘前に荷物を置いて空身で山頂に向かった。


山荘より白馬岳(Photo by H.Tanaka)


白馬岳山頂(Photo by Yoshioka)

 山荘では夕食前にビールで乾杯のあと、吉岡氏が苦闘の末に担ぎ上げた逸品の伊佐美を堪能した。

 山荘で得た天気予報は6日は雷雨の可能性が伝えられた為、5日中に大雪渓を下山することにした。当初の予定の柳又谷源頭・清水谷源頭への滑降は大雪渓の雪が緩むまでの時間稼ぎという設定に変更した。

 早朝目を覚ますと空は快晴の様子。本日中は何とかなると期待を持ちつつ朝食を摂っていたところ、ガスが瞬く間に低く垂れこめはじめ、目の前の旭岳もガスに覆われはじめた。

 見通しのきかない雪渓の滑降はご免被りたい所である。他の登山者もあわただしく小屋を出発していった。我々も焦りを感じながら支度を終え、旭岳も柳又谷も割愛となり山荘前から大雪渓の滑降に入った。稜線付近はシュカブラのガリガリであったが大雪渓に入ると雪が柔らかく気持ち良く滑走が出来た、小雪渓付近の急傾斜はガリガリだった時は危険であると思っていたのだが幸いにも雪面が柔らかく危険を感ずることなく滑降が出来た。登りで苦労した大雪渓であるが途中休憩を入れても1時間40分で猿倉荘に到着。メインディッシュのみで前菜デザートなしの白馬大雪渓となったが私は充実感で満たされていた。(文責 加瀬幸男)

[吉岡さんの感想文]

 白馬大雪渓のツアーありがとうございました。奈良の拙宅に辿り着いたのは渋滞の影響もあり19時30分になりました。460キロの帰路は葱平までの急登を思いますと緊張感もなく、のんびりできた時間でした。皆様は渋滞大丈夫でしたでしょうか。

 3日、 奈良の拙宅を出たのは7時前。幸い渋滞なく糸魚川インターまで走れました。しばらく行くと左に雨飾山、やがて陽の光を浴びた白馬の峰々が右手に現れます。まだ、人を寄せ付けない多くの残雪。「登れるものなら登ってみよ」 そんな声が聞こえそうです。小谷村の日帰り温泉で汗を流して猿倉荘に16時30分に到着。一番乗り。気合い十分です。

 「今日は、100人以上、あがりましたよ。小雪崩が上部で少々ありますが、天候は明日も安定するでしょう。」小屋のスタッフの情報は貴重です。 全員が猿倉荘に合流したのは20時。そして小宴会。川島さんのニンニク入り鍋、田中さんの採りたてタケノコ、ふきの煮物、菅澤さんの小魚、本マグロ。贅沢そして、何より美味。幸せな山の時間が始まりました。

 4日朝、 猿倉を5時過ぎに出発。快晴。鍋倉山で苦労したキックターンの場面がないものの、私は何回かずり落ちました。「踵に加重して踏み込んで」「斜めに登る時はエッジを使おう」 皆さんのご指導に感謝です。

 白馬尻を越えたあたりから太陽が雪に反射し全方向から襲いかかります。風はなく、汗が滴り落ちます。それでも岩室付近の急登までは順調でした。急登直前の休憩で私だけ、スキー登行から山アイゼンに切り替え替えました。「この急登はターンする時、自分のスキルだと間違いなく滑落する。」この判断は間違えてなかったと思います。そして、最短距離の直登を選択しました。板をザックに装着してから担ぐのに時間がかかりました。近くにいた、岩さんからアドバイス。「斜面にザックを立てかけて、背負いましょう。」立ち上がれました。しかし重い。 とにかく重い。家に帰ってからでザックを登山時と同じ状況にし板ととともに体重計に乗せて計ると23kgありました。あと水等を足すと登行時の重量は24kg位になるでしょうか。

 私はゆっくり、足を運びました。長い板を背負うとふらつきます。一歩、一歩、そう亀以下のスピードです。暑くなってきました。のどが渇きます。先行する菅澤さん、川島さん、田中さん、加瀬さんの影がどんどん小さくなりました。しばらくすると杓子尾根の方からザーッっと音がしました。雪崩です。小川のような規模で、ゆっくりでした。「雪崩の先端に人がいなくて良かった。」今でこそ、そう思いますが、その時は人を気遣う余裕など私にはありませんでした。

 急登の途中でザックを下ろし休憩をいれました。そして、斜面に仰向けに倒れ込みました。息は荒く空はとても青かったです。水を胃に流し込み、再び立ち上がりました。ザックが肩に食い込みます。重い。重い。雪が糊のように貼りつきます。歩きはじめましたが、既にフルマラソン終盤の鉛の脚に変わっていました。さらに傾斜がきつくなりました。四つん這いでいきました。そうしないとバランスを崩し滑落するからです。過去、ホワイトアウト、暴風、降雪等で登頂を諦めた場面はありましたが重力で諦めるのは経験がありません。もう少しがんばろう。

 川島さんが様子を見に来てくれました。「がんばれー」急登が終わると平な休憩場所に辿り着きました。どれ位、時間がかかったのおぼえていません。とにかく皆さんをお待たせしました。

 「シャリバテだね。無理してでも食べないと」と田中さん。反省です。パンを食べて少し元気がでました。山アイゼンから再びスキーに履き替えました。白馬山荘までもう少しです。私の後ろに加瀬さんが付いてくれました。しかし、足が動きません。急登と重荷で脚が壊れました。加瀬さんが後ろから「歩いていると必ず到着するよ」心が軽くなりました。そして山荘が見えて来ました。近づくと、まだ衣替えが終わらない雷鳥が私達を迎えてくれました。

 翌日の大雪渓滑降は予想どおりでした。脚が踏ん張れず後傾でスキーになりません。菅澤さんの後をゆっくり、ゆっくりです。そして猿倉荘の赤い屋根が見えました。

 皆様、本当にお世話になりました。本格的な山スキーは2回目ですが道具の扱い方、登り方、さらに勉強になりました。「登れるものなら登ってみよ」私は登ることができませんでした。山はギリギリで登ってはいけないことを改めて白馬岳も教えてくれました。

 今夏、山スキーに向けた体力づくりもやってみようと思います。そして、自信をもって来シーズンを迎えられるようがんばりたいと思います。 ありがとうございました。(吉岡)

 


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