Last Update : 2017/12/30 戻る

姫街道 気賀宿から三ヶ日宿まで

平成29年12月12日 天気:快晴だが冷たく強い西風

参加者 梅原秀一

 通称「姫街道」は、東海道の見付宿(磐田市)から別れ、浜名湖の北側に延び、御油宿(豊川市)で東海道に戻る脇街道である。正式名称は東海道本坂越。「姫」の俗称は、気賀の関所は東海道の新居宿の関所より、女性への取り締まりが緩かったので、女性の利用者が多かったここから。というのが一説である。その全長約60qのうち、気賀宿から三ヶ日宿までのやく12−13qを歩いた。

 ひかり6:34AM品川発を豊橋で下車し、東海道線を二駅乗り、新所原で天竜浜名湖線に乗換え(タンコロのジーゼル)、気賀に9:19下車。NHKの「直虎」の舞台なので、そのポスターや史料の展示館もある。ポスターの直虎は超ミニの着物で、目鼻立ちは彫りの深い西洋人風。最近の流行りである。

 人影の殆ど無い気賀の町を歩いた。関所跡などは説明書きの立札のみで、それらしき物は残っていないが、入場無料の史料館で頂いた姫街道の地図は、大変役に立った。25000分の1の地図が2枚必要なエリアなので、今回は購入しなかった。

 快晴だが強い西風が冷たいなか2qほど舗装路を進んでから、農道のような林道で丘を登る。以降標高100〜200m程度の丘や峠を幾つも越え、道は石畳・山道・未舗装の林道・舗装路と、三ヶ日町に入るまで多様に変わる。姫街道は歴史遺産として整備されたそうだが、農道として大いに利用されている。この地域は日本有数の蜜柑産地であり、一面蜜柑畑に覆われた山も少なくない。農作業の軽トラが何台も乗入れられていた。

 山道に入ると、樹林が風除けになってほっとする。一里塚・道祖神・薬師堂などあるが、姫街道は時折姿を見せる浜名湖の眺めが魅力だ。また、蜜柑畑の向こうの、幾重にも連なった山々の紅葉も見ごたえあった。

 1,707年の大地震で、東海道の浜名湖付近の通行が困難になったのが、この街道が利用される発端とのことである。浜名湖沿いのルートならば、これほど何度も起伏を越えることはないが、入り組んだ入江のため、距離は大幅に増えるのだろう。

 三ヶ日の町に入ると、街道の面影は全くない舗装路となる。三ヶ日は周辺では商業規模の大きな町らしく、パチスロや商店街もある。天竜浜名湖線は無人駅が多いが、三ヶ日駅は駅員がいる。この沿線の多く駅の内部は食堂や喫茶店となっているものの、この駅の食堂も、他の駅と同様、長らく休業している様子であった。

 次の電車まで小一時間。駅前通りの喫茶店で寒さを凌いだ。「寒いら〜」という静岡弁を久しぶりに聞いた。

帰路は天竜浜名湖線を東に西鹿島駅乗換えで、電化されているが単線の遠州鉄道で浜松に出た。

気賀駅9:22→気賀関跡9:30→9:40姫街道と銅鐸の歴史民俗史料館10:00→修理殿松 10:40→姫岩11:10→引佐峠11:25→慈願寺庚申堂12:05→12:53三ヶ日駅



記:梅原

 


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