ら・ねーじゅ No.40
1979.5月号
八甲田山日焼けの彷徨
(全国交流スキーツァー)
1979年5月3日〜6日
メンバー 郡司光雄・小森宮秀昭・坂井聖・梅原彬暉・針谷俊江・
鈴木由美子・今野
梅原彬暉 記
5月2日
19:08発の急行八甲田。十和田から入るという藤谷氏の姿が見える。
美人の奥方と三才の娘の手を摂る坂井氏の顔もある。
5月3日
コースタイム:
6:17 青森着 7:30 雲谷ドライブセンター
8:30/8:50 開会式 9:20 睡蓮沼幕営地
10:35 出発 11:50/12:30 硫黄岳
13:30/55 小岳 14:40/15:10 石倉岳
15:30 幕営地
雲谷で見られなかった雪が酢ケ湯あたりで充分にあるのを見て一安心。前日飛行
機で着いた郡司氏、寝台の坂井氏と合流。
硫黄岳頂上に着くや、坂井氏が板を流し、ゆっくり休んでいてくれと取りに行く。
まず20分と踏んでいると、7分もたたずに登って来たのに、皆たまげる。さすが
スーパーマン。
4、5日前に降雪があり、重い雪の上に新雪が加わり、急にブレーキがかかるあ
りさまでなんとも滑りづらい。小岳の南斜面に二ケ所のクレバスが口を開けて、体
重を乗せるだけで雪崩れそうな按配。そこへ小生ビンディングが外れて転がりこん
だ。肝をつぶしたが、崩れはしなかった。無事、そこを越えると、何とも滑りの良
い斜面。
7時より我がテントで青森の長谷川氏、全国協の篠原氏、ガラのリーダーと明日
の行動についてミーティング。
5月4日
コースタイム:
6:20 出発 7:25/55 仙人岳ヒュッテ
8:35/55 大岳南噴火口 9:05/45 大岳頂上
10:30/12:20 仙人岳ヒュッテ 12:50/13:30 小岳
14:35 猿倉温泉口 14:50/15:35 入浴
朝6時に仙人岳ヒュッテ前で、宿組とテント組合流と小林会長が連絡に来てくれ
たのが、ヒュッテに着くと赤倉岳に変更になっていた。冗談じゃないよ。テント組
は大岳を降りてきたばかり。再び登る気をなくし、連絡のうまくないことにへそを
曲げた。テント組は小岳に向かう。本日着いたばかりの我がコモさんだけがガイド
の後について赤倉岳へ向かう。
小岳から真南に2キロの大滑降は実に爽快。猿倉温泉(ひとり300円)で汗を
流し予定外のことで皆元気付く。バス待ちするほどにガラの買出し組といっしょに
なる。我々も当然ビールを買い込んでいる。バス満員と断られる。ガラの女性会員
と今野女史何と車を止める。サングラスのお兄さんであったが、ふたりの気迫に車
を止めたもの。素通りすれば石でもぶつけられると思ったらしい。男どもは後のバ
ス。
5月5日
コースタイム:
4:00 起床 6:00 出発
7:00 猿倉岳 7:35 駒ケ峯
8:10/25 櫛ケ峯山麓 8:50/9:30 櫛ケ峯
10:40/11:15 駒ケ峯 11:40 乗鞍山麓
12:30/13:20 乗鞍頂上 13:50 猿倉岳山麓
14:20/30 猿倉頂上 15:20 猿倉温泉着
CLの郡司氏は胃腸の調子をくずし、ひとり残る。コモさんは8時に来るはずの
旅館組を待つ。櫛ケ峯からは十和田湖・岩手山が見えた。 駒ケ峯で地元の人から
「そんなにいそいで登って、どこから来たの?」。それを合図にしてか女性陣、も
う歩けぬとダダをこねる。スパルタの郡司がいなくてもスーパーマンの坂井が居た
のだ。
乗鞍頂上でガラ・新潟スキー協のテント組といっしょになる。彼らも旅館組と同
じ、登ってきたコースを降りる。頂上でコモさんと合流し、我々はベストの東斜面
を滑り、北に回り込む。樹林コース・猿倉岳を経て、また温泉。スキー良し、温泉
良し、言うことなし。
翌日、青森スキー協の車で酢ケ湯温泉に送ってもらい、また温泉。いっそのこと
「山スキー湯治会」に名称変更しようと言い合った程。
12:55特急はつかり10号で帰路につく。
ルート図
電子化 遠山