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ら・ねーじゅ No.43
1979.8月号


南八甲田 櫛ケ峰〜十和田湖    

1979年5月3日〜4日
メンバー:福田、藤谷
藤谷和正 記
5月3日 曇時々雷
 坂井・郡司両氏と睡蓮沼で分かれて、オオシラビソ・コメツガの混合林を南西に登る。樹林の中のテントはよいが、道路から見えるスキー協の掘立小屋はあまり見栄えの良いものではない。シールがよく効く腐った雪。ニセ駒ケ峰の北側から駒ケ峰の北側へ渡り1375mのコブとその西のコブの間に出る。時々遠い雷鳴。各峰の上部は層雲の中、ときおり現れる。  さきほどアリのように降りてきた70名位の雪訓らしき一団の前を通って空身で櫛ケ峰へ登る。今までいた山スキーヤーも消え、見渡す限り我々ふたりのみ。三角点付近は土が出ていた。直下の社は1977年の秋に見た時には頂上からもっと離れていたと思ったのに数mの距離だった。屋根の一部が露出。シールを腰に滑降。もう少し締まっている時に滑りたいがやむを得ない。窪地でテントを張り昼食。
 田型やちを確認して基点にしようと東にトラバース。一部露出していてそれと判明。道標は出ていない。田堰沢と黄瀬川の間の尾根線上で広葉樹に囲まれていた旧道はどこなのか不明。オオシラビソの林が一番広くあいているところを下る。コメツガが混じっている。
 1200m〜1100m付近で黄瀬川に寄りすぎたので沢を2本越して修正。尾根の東側、ダケカンバが混じってくる。1050m付近で再び東に寄って南下すると、980m付近で夏道上へ出た。大谷池の東端の針葉樹の森に道が続いている。大谷池は雪の下だが道標1本とツゲが露出している。930m付近、大谷池のはずれで、切り開きを見失い、東に進んでしまうが、西にトラバースして、ほぼ夏道沿いに進んだと思う。エッジのあとが潅木にかなりついている。  890m峰あたりに「五所川原林道入口」があったはずだが、それを見出せなかった。更に886mの標高点まで来ているつもりで890m峰から東南東に進んでしまった。翌日の状況からみてジョージ川沢の北、764mの標高点付近にて幕営。このあたりもエッジのあとが多く、五所川原に抜ける人が居るのかもしれない。あさってまで晴れ。

5月4日 快晴
 シールを付けて沢を左に見て、ブナの林の中を西北西に緩く登る。小沢がつまってくると渡るようにして西南西に緩く登って行く。幕場から見えた954m峰の肩が次第に近づく。北に櫛ケ峰と乗鞍岳が見えほっとする。更に進むと864mの湿原が隠されているであろう、針葉樹林に囲まれた空き地が見えた。
 ここで一段低くなっていて、はっきりそれとわかる夏道上へ出た。数日前のスキーの跡と今朝の足跡。この足跡は20cmほどで空身の単独で、湿地の雪の上に続いている。886m標高点付近の林道の標識のところで西から上がってきている、不審。
 954m峰はまいている道をショートカット。善光寺平への分岐は見出せなかった。938m標高点まで稜線通しに進み、東に下る。この付近は町界標識が50cmほど出ている。このあとはひたすらブナ・カバの林を上り詰めて湖岸道路へ出た。車道でくたびれた。
 御鼻部山への尾根を詰める。今日初めてシールをはずす。車できた観光客がいる。20cmほどの雪で子供が遊んでいる。
 やっと来たバスの前に出て手を上げたのに素通り、困っていたら、黒石の山岳会の人から声をかけられた。フキノトウの行列の中を梅の咲く黒石へ、スキーを下駄の如く使った二日間であった。


[概念図]



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