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ら・ねーじゅ No.49
1980.2月号


苗場山登頂成功 藤谷さん大感激!!

1980年1月11日〜1月15日
メンバー:藤谷・長谷川・針谷・郡司
郡司 記
1月11日
 上野駅22時11分発。われら苗場隊と神楽隊(菅沼・梅原・鈴木)は一路湯沢へ
 見送りには、伊藤碩志さん坂井さんがウイスキーの差し入れ。”ご馳走さま”。

1月12日 晴れ
 3時16分湯沢着、仮眠。6時15分(バス)=>6時45分(みつまた)=>7時30分(ロープウェイ)=>9時20分(神楽第二リフト)。神楽第三リフトは動かず、スキー訓練などで時間つぶし。やむなく新設リフトにて中間地点へ、シールを取りつけ下ノ芝へ(10:15=>12:50)。100m地点でテントを張る。14時、中ノ芝へ向け、下見も兼ねシール登行。中ノ芝往復、15時。神楽隊はラッセルあとをのんびりと登行。下山(15:20)。夕食後、交流会(18:10)歌を唄う機会が多くなりました。就寝(21:00)。

1月13日 雪
 5時起床(1時間の寝坊です)。出発(6:40)=>中ノ芝(7:31)=>上ノ芝(8:05)ラッセルの連続である。神楽峰(8:30〜9:10)スキーデポし、ワカンに履きかえる。ワカンの取り付け方を知らない人がいた。私は唖然とした。菅沼さんが手解き。私達の様子をうかがっていた梅原さん、うらめしそうな顔。内心苗場山に登りたかったのではないかと直感。苗場山の頂上は見えず、雪の降りしきるなか、4人は進む。鞍部(9:50)アイゼンに履きかえる。視界は10〜15mで軟雪、風もなく、まずまずのコンディション。
(10:25)斜面の北側をはいつくばるように登頂開始。斜度40〜45度、南側斜面をトラバース。ここから落ちたら春まで見つからないと思いつつ、気を引き締めて進んだが、雪中が空洞になっており、一瞬”ドキッ”崩れるのではないかと思い、方向転換、尾根に取り付く。藤谷さんは最後に登ってきて、何度も後すべりしてたいへんだったとのことです。山頂の湿原に出る(11:20)。アイゼンの上にワカンを取りつけ頂上へ(山小屋)。13時、苗場山頂上アタック、”バンザーイ”苦労しました。
(13:20)下山。南斜面はザイルを使用。神楽峰(15:50)テント着(17:05)。下山途中、ふたりのパーティがスキーを引っ張って登って来る。ふたりは下山時にスキーで南斜面を下ってきたとのことです。さすが!。興奮さめやらぬ中、のんびりと夕食。いつになくおいしく、大満足。あすはどうにでもなれという様子。(20:05)就寝。

1月14日 雪
 起床(6:20)。9時ゲレンデへ。スキー訓練。新雪の滑り方、制動、プルークファーレン、ETC・・・。10時30分ごろ、私は転倒して足首を捻挫、のち2週間の治療。昼食は和田小屋裏にておしるこ。うまかった。テント着(14時)16時からは各々天気図を画く。就寝(20:40)。

1月15日 雪 30cm
 起床(6:00)。テント撤収下山(8:30)。ロープウェイ(9:40)=>バス(10:18)=>湯沢(11:00)=>上野へ。

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