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ら・ねーじゅ No.112
1985.4月号


守門大岳

【概念図】

1985年3月1日 曇り 上部ガス

メンバー:石垣

大白川は、昨年6月、浅草岳にショートスキーを試しに来て以来である。大原スキー場まで歩き、リフト沿いにシール登行。曇天、3月初めとは思われない生暖かさ。視界はよく、越後ならではのローリングヒルズが見渡せる。雨後で雪が締まり、ラッセル無し。東藤平山に近づくとクラストし始め、ガスに覆われてくる。頂上へ連なる稜線は視界不良で、時折現れる灌木の枝で斜面の状況を知り、尾根のやや左(右は雪庇)を外さずに登る。頂上を確認後、大岳へ向けて下降開始。全くのホワイトアウトで、斜面の感覚がつかめない。ターンするたび宙に浮く感じ。頻繁に磁石を取りだし方向を定める。かろうじてわかる。右に切れ落ちる斜面の境目を頼りに、つかず離れず下降する。登り返して、大岳のだだっ広い頂上に着くとガスが切れ始める。再び越後平野へ連なるローリングヒルズのパノラマ。大岳周辺の尾根筋、沢筋はいずれも山スキーにうってつけ。片っぱしから滑ってみたい欲求にとらわれる。しかし、いざ大斜面をを滑降し始めると、あいにくの雪質(モナカ状)で、ターンがスムーズにいかない。斜滑降と疲れるジャンプターンを繰り返すうち、なし崩しに高度を下げ、残念無念。樹林帯になり、雪が腐り始めて、ようやく本来のスキーを楽しむ。しかし、これも保久礼小屋まで。あとはクロカンの領域。栃堀までの行程の長さに辟易していたところ、大平部落の除雪された道路が見えたのでそちらに下る。二分、貫木と歩き、バス時刻を見ると間があるので、再び上条駅まで延々と歩く。5分遅れの列車に1分差で乗れた。思えば夏の浅草岳の帰りも1分差だった。山の帰りは、私の場合、ほとんどついている。

(石垣 記)
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