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ら・ねーじゅ No.62
1981.3月号


谷川岳・天神尾根

1981年2月1日(日)高曇りのち雪(ガス)

メンバー:長谷川(淳)、重田

前日、スキー練習の後、田尻沢ノ頭を下ったコルに雪洞を掘る。天気図では明日の天気はあまり期待できそうもないが、行けるところまでといった気持で気にせず就寝する。

朝起きて外へ出てみると天気は高曇りで、寒さはあまり感じない。シールを付けて出発する。天神平では5m近くの積雪であるが、稜線の雪は割合固く、ラッセル無しで進める。途中で、6〜7mほぼ垂直に切れ落ちた箇所(「尻出し岩」)にぶつかったが、何とかスキーを付けたまま降りることができ、去年4月の時とほとんど同じペースで熊穴沢避難小屋まで着いた。

その先からは、やや急な斜面を左から巻き気味に進む。表面が固くクラストしており、キックターンに神経を使う。バランスを崩すと一直線に滑って行きそうな気持になる。天狗の休場(割と大きく岩が出ていた。)の手前のピーク(春は露岩が出ていたところか?)でスキーをデポし、アイゼンに履き替える。

出発する頃には、南側の稜線からガスの中に隠れ始め、間もなく周り全体がガスの中に包まれた。この段階では、それでも視界は百メートル以上はあった。標識(シノ竹)を所々に立てて進む。コンタクトラインがはっきりしないせいもあって、木の着いて時には稜線の右手を進んでいた。途中一ヶ所足を踏み抜いたところがあったが、帰りによく見ると、幅50〜60センチのクレバスが斜めに奥深くまで走っていた。

さらに進んで行くうちに、視界はますます悪くなり、まさしく白一色の世界となってしまった。これから先は地形的にも迷い易い所であり、標識も切れてしまったので、1860m付近で引き返すことにする。天狗の休場まで急いで下り、ホワイトバレー隊と定時連絡を取った。

デポ地から避難小屋までは、転ばないことだけを念頭に、ほとんど横滑りと斜滑降だけで下る。雪洞に着いた時には、流石に疲れを感じ、ホワイトバレー隊を追いかける気も無くしてしまった。

[タイム]
雪洞出発6:50→避難小屋7:20→デポ地7:50/8:20→1860m付近9:50/10:05→避難小屋10:20→雪洞10:45/12:00→天神平スキー場レストハウス12:30

真白に覆われた谷川岳の眺めは美しいが、登るのはなかなか難しい山であった。春の時には目印となった露岩もほとんど埋まってしまい、山の感じが大分違っていた。目標物の少ない雪原でのルートファインディングの力を付けることと、クラスとした斜面でのスキー技術の向上(自信のようなものを身につけること)が今後の課題として残った。

この次に試みるときには、スキー練習と併せてといったことではなく、必ず登るんだという心構えで準備していきたいと思う。

(長谷川(淳)記)
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